翌日の朝、バス乗り場の前で健也と合流した。とは言っても、会話はしない。視線を交わして、健也が小さく頷いてくれたのを見て、萌も覚悟を決める。
 作戦は極めて単純。ただし、とても勇気のいるものだ。
 萌はいつも通り、同じ時間のバスに乗る。犯人はここ数日続けて萌を付け狙っているようなので、きっと今日もいるに違いない。
 健也は言った。「狙われているなら、逆手に取って捕まえようよ」と。

 ポイントは三つ。
 言い逃れできないように現行犯で捕まえること。
 健也以外にもう一人、その場に居合わせた誰かに目撃者になってもらうこと。
 犯人を捕まえたら警察に介入してもらい、復讐などを企む隙を与えないこと。

 上手くいくかは、正直分からない。
 それでも成功すれば、その犯人を捕まえ、このバスを二度と利用しないように約束させることも出来るかもしれない。
 さらにバス内で大々的に痴漢が捕まれば、しばらくの間このバスでの痴漢行為を考える人間は少なくなるだろう。

 バスは定刻通りにやってきた。犯人が、もうすでにバスの中にいるのか、それとも萌と同じバス停から乗車するのか分からない。そのため、健也とはあえて言葉を交わさなかった。美人局だ、などと言いがかりをつけられて、冤罪を訴えられたら困るからだ。

 大丈夫、と萌は自分に言い聞かせる。
 今日は健也がいるのだ。すぐ近くで待機して、萌が触られたらすぐに行動に移してくれると言っていた。
 バスのステップに震える足を無理矢理乗せる。昨日の記憶がよみがえり、息が上手く出来なくなる。
 
 どうしよう、こわい。こわくて堪らない。
 バスはいつも通り混んでいる。もしも健也が身動き出来なかったら。触られて、逃げ場もなく、声を上げることも出来ず、昨日よりもエスカレートしてしまったら。
 
 ポケットの中でスマートフォンが震えた。はっと我に返り、バスに乗り込む。それからスマートフォンを取り出して、届いたメッセージを確認する。

 大丈夫。絶対捕まえよう。

 健也からだった。短いその文章を二回読み返して心に刻む。
 後から乗ってきた健也は、萌の近くに立ってくれた。それだけでとても心強く感じた。