聞き覚えのある着信音で、萌の意識は浮上した。手探りでスマートフォンを手に取り、通話ボタンをタップする。
 もしもし、と萌が呼びかけると、電話口で少し間が空き、それから雨宮? と名前を呼ばれる。
 その声が駿介のものだと分かり、寝ぼけていた頭がゆっくり覚醒していく。

『ごめん、起こしちゃった?』
「んーん、大丈夫。むしろ起こしてもらえて助かったかも」

 ベッドサイドに置いてある目覚まし時計を見て、二十分くらい眠っていたのだと分かる。
 変な時間に睡眠をとると、夜に眠れなくなってしまうかもしれない。それにせっかくの自由時間をあまり無駄にせずに済んだ。
 萌がそのことを説明すると、駿介が電話の向こうで少し笑った。

『まだすごい眠そうだな。喋り方がいつもよりのんびりしてる』
「そう? だいぶ目は覚めてきたよ」

 そう言って、小さく伸びをする。ほんの少し眠っただけなのに、頭がちょっとすっきりした気がしていた。
 そんなことより、と萌は話を切り替える。メッセージではなくわざわざ電話をしてきたということは、何か急ぎの用があったのかもしれない。
 どうしたの、何かあった? と訊ねる萌に、駿介が言い淀む。

『いや、雨宮って体調悪い日とかでも無理して練習するくらいだし、朝練も居残り練もほぼ毎日出てるだろ? その雨宮が早めに帰ったっていうから、ちょっと心配になって』

 その言葉は素直に嬉しいと思う。いつも萌のことを見てくれているからこそ、ささいな変化にも気づいてくれるのだろう。
 駿介は変わらず優しい。前に言っていた、好きな人にしか優しくしない、という言葉が本当ならば、今も駿介は間違いなく萌のことを好きなのだと思う。

 でも、それならどうして、篠原さんと一緒に帰ってるの?
 私より早いバスに乗ったのに、家に着くのが遅かったのは、もしかして篠原さんを送っていったから?
 それから、この間まではしていなかったはずのマフラー。いつからするようになったの? 誰かからのプレゼント? それってやっぱり、篠原さん…………?

 訊きたいことが、ひとつ、ふたつ、と萌の中で積み重なっていく。でもどれも口にはできないまま、胸の奥で澱のように溜まっていく。
 苦しい。苦しくて、うまく息ができない。

『雨宮?』

 黙り込んだ萌に、駿介の優しい声が呼びかけてくる。
 大好きなはずのその声が、今だけは萌を不安にさせる。

「…………大丈夫だよ。早く帰ってきたのは、勉強したかったの。今ちょっと英語でつまずいてるから、早めに対策しておきたくて」
『……そっか。俺も物理の課題やらないと』

 じゃあまた明日ね、と言って電話を切ろうとする萌に、駿介が慌てた声を上げる。

「疲れてるみたいだし、無理せず早めに寝ろよ」
「うん。ありがとう」

 最初から最後まで、優しい言葉だった。
 通話の切れたスマートフォンをベッドに置くと、視界に飛び込んできた綺麗なラッピング袋。
 駿介への、クリスマスプレゼントだった。
 クリスマスのデートが楽しみだから、わざわざ毎朝視界に入るところに置いていたのだ。麻衣との噂で不安になることもあるけれど、これを見て元気を出そう、と。
 目頭が熱くなり、唇を噛む。
 でも、もうこれは渡せない。駿介の首には、麻衣が選んだマフラーが巻かれていたのだから。
 声を上げて泣いてしまいたかった。泣けば少しはすっきりするのかもしれない。ごちゃごちゃと余計なことを考える頭も、疲れて何も考えられなくなるかも。
 萌は泣かなかった。
 泣いてしまったら、あの噂が本当だと認めることになる気がして。
 そんなことはないと分かっているのに、必死で涙を堪えた。
 これは女の意地だ。負けてたまるか。