ここ数日、やけに周りから視線を感じるな、と思っていた。制服も着崩れていないし、寝癖がついているわけでもない。そもそも身だしなみがおかしかったなら、友人である雪穂が教えてくれるだろう。
 気にしすぎかな、と萌が一人で納得し始めた頃、その情報は舞い込んできた。

「駿介に振られたって本当?」
「えっ?」
「この間から女の子たち、みんなその話題でさー。雨宮ちゃんのこと心配になっちゃった」

 心配していると言いながらも、まっすぐ質問してきたのは、駿介と萌の共通の友人である健也だった。

 矢吹くんに振られたって、誰が? 心配されているってことは、私?

 心配も何も、萌はそんな話初耳だ。
 思わず首を傾げながら、なにそれ、と笑うと、健也は珍しく真面目な表情で萌を見つめる。

「いつも雨宮ちゃんと駿介って一緒に帰ってたじゃん。確か朝も一緒なんでしょ?」
「うん、そうだね」
「でも、最近は雨宮ちゃんじゃなくて、麻衣と一緒らしいからさ」

 健也の口から出た女の子の名前を繰り返す。

「麻衣って…………篠原麻衣さん?」
「そ。俺、あいつと同中なんだよねー」

 麻衣と健也が同じ中学校だったとは知らなかった。
 とはいえ健也ほど人懐っこく、そして女の子に優しければ、他のクラスの女子と仲がよくても不思議ではない。実際に、同じ学校出身でもなく、同じクラスになったことのない女の子が、健也に会いに来ることは多いのだから。

 いや、問題はそこではない。最近の駿介が、麻衣と一緒にいるというのはどういうことだろう。健也の言い方だと、萌との登下校をやめて、麻衣と一緒に登下校をしている、というように聞こえる。
 駿介と一緒に帰らなくなったのは事実だ。萌は朝ももちろん一人で登校している。なにか駿介には事情があるようだったが、詳しいことは何も聞いていない。
 事前に言われていた通り、駿介は部活の朝練習と居残り練習に来ていないので、てっきり一人で登下校しているものだと思っていた。
 戸惑いながらも平静を装い、健也の目を見つめ返す。きっと興味本位で訊ねてきているのだろう。健也はいつもと変わらない口調で萌に言葉を投げかける。

「で、振られたの?」
「もし本当に私が振られてたとしたら、この場で泣くか、五十嵐くんのこと引っぱたいてるよ」

 もうちょっとオブラートに包みなさい、という意味で言ったのだが、どうやら健也にはうまく伝わらなかったらしい。
 雨宮ちゃんは人前で泣くタイプじゃないからビンタかなー、とけらけら笑っている。

「んー、じゃあもしかして、そもそも二人は付き合ってない感じ?」

 健也の声は大きいわけではなかったけれど、その瞬間だけ教室が静かになった気がした。もしかしたら駿介に好意を抱いている女の子が、耳をそばだてているのかもしれない。
 付き合ってないよ、と答えた自分の言葉に、どうしてか胸の奥が痛んだ。
 交際を隠しているのだから、付き合っていないと答えるほかない。
 隠す理由だって、部活での公私混同を避けるため、と真っ当なもので、萌だって賛成している。
 頭と心がばらばらに生きているみたいで、なんだか気持ちが悪い。
 それ以上萌が何も言わずにいると、健也が隣の席に腰を下ろす。

「なんか雨宮ちゃんが元気ないとつまんないなー」
「えっ? 元気ないかな。なんかごめんね」
「ううん、俺の方こそごめん。俺が余計なこと言っちゃったせいだね」

 かまをかけただけだったんだけどなー、と続いた言葉に、萌はその意味を考える。
 つまり、健也自身は萌と駿介が付き合っているとは思っていなくて、からかうことで事実を知ろうとしたということだろうか。
 自分の発言に問題がなかったか思い返していると、健也が小さく何か呟いた。

「……駿介の片想いだったらよかったのにな」

 教室の喧騒に紛れて聞こえなかった言葉。
 今なにか言った? と萌が首を傾げると、健也はいつものやわらかい笑顔を見せた。

「なんにも? 元気のない雨宮ちゃんを、どうやって笑顔にさせようか考えてたところだよ」
「…………何か甘いものくれたらすぐに元気になるよ」

 まあもともと元気だけどね、と笑って冗談を言えば、健也が嬉しそうに目を輝かせる。今朝ちょうど買ったやつがあるよと言って健也が持ってきてくれたのは、萌の好きないちごのチョコレートだった。

「あ、これ私もよく買う。おいしいよね」
「お。ラッキー。じゃあそんな雨宮ちゃんには特別にいっぱいあげよう」

 その言葉通り、萌の左手いっぱいに積み上げられたチョコに、思わず笑ってしまう。

「これ半分以上あるじゃん。五十嵐くんの分がなくなっちゃうよ」
「いいのいいの。元々一人じゃ食べきれないし」
「えっ嘘!? 私いつも一日で食べ切っちゃうよ」
「いいじゃん。俺はおいしそうにいっぱい食べる女の子、好きだよ」

 何でもポジティブに変換してくれる健也に、本当に元気をもらえたらしい。萌はいつのまにか自然に笑っていた。結局両手いっぱいに乗せられたいちごのチョコレートを、健也と二人で半分こして食べた。