死んだ。
八木さんの口から発せられた3文字の言葉を聞いて、頭の中で記憶の扉がガチャリと音を立てて開いた。
そうだ。そうだった。
あれは、あの夏祭りの時だった。
夏祭りのシーンを撮り終わり、私たちは人気のない神社に寄って屋台で買った焼きそばやフランクフルトを食べていた。
「今日はもう終わり?」
「いや、もう1シーン。浜辺で花火してるシーンが撮りたい」
「花火なんてねーよ。今日はもう終わり」
今日撮りたい、と駄々をこねる純也だったが、八木さんは断固として首を振った。
「だからそういう準備がいるものは前もって言っとけ」
「今思いついたんだからしょうがないだろ!」
「しょうがなくない!」
「しょうがない!」
二人の言い合いはだんだんと白熱してきて、とうとう野田さんが「俺が買ってくるから」と仲裁してその場は収まった。
野田さんがいなくなった後も、なんだか険悪な雰囲気が続いて、私は気まずくて飲み物買ってくる、といってその場を離れた。
祭りはもう終盤で、屋台通りの人数は減ってきていた。
半額になったりんご飴に惹かれつつも、首を振って前に進んだ。
すでに焼きそばにじゃがバターにかき氷に焼き鳥まで食べてしまった。さすがにやばい。
私は目的通り、4本の瓶ラムネを買って神社へともどる。
それにしても八木さん、どうしたんだろう。
純也のわがままは今に始まったことじゃない。むしろこれくらいはいつもどおりなのに。
不思議に思いつつ石段をのぼりきると「奏には言わないでくれ」という純也の声が聞こえ、私はとっさに鳥居の陰に隠れた。
「言わないでくれって。お前はそれでいいのかよ?」
「いい。あいつには、あいつにだけは、俺のことを『もうすぐ死ぬやつ』なんて風に見られたくない」
どういう意味? もうすぐ死ぬ?
私はどくん、とはねる心臓を抑えて耳を傾ける。
「俺たちだって、お前のことそんな風に見てねえよ。だけど、約束しただろ? この映画の撮影期間内には絶対に死なないって」
「ああ」
「人通りの多い道を歩くのは常人だって体力をごっそり奪われる。それに夜も遅い。無理して撮影して、病気が悪化することだってあるだろ。残り少ない命なのに、もっと早く死ぬつもりかよ?」
境内は沈黙に包まれる。
病気? 残り少ない命……?
一気に押し寄せる受け入れがたい情報に、呼吸が浅くなる。
「ごめん、いいすぎた……」
「いや、わがままいってるのはおれの方だからさ。急に俺の遺作を撮影してくれなんてお願い、お前たちにしか頼めなかったから」
八木さんはたしかに、とやさしく笑った。
「でも、俺はさ……」
それからの純也の声は聞くことができなかった。
目にたまった涙をこぼさないように必死だったから。
泣いたらダメだ。今泣けば、絶対にみんなに気づかれてしまう。
それに、泣いて目が赤く腫れてしまうと、夏祭りのシーンと浜辺のシーンで私の顔が変わってしまう。
私はふーっと長く息を吐いて気持ちを切り替え、二人の会話が終わったタイミングを見計らい、今来たように走って鳥居をくぐった。
「ただいまー! ラムネ買ってきたよ!」
そうして私たちは浜辺へ向かい、手持ち花火で遊ぶシーンを撮影した。
手持ち花火で無邪気に遊ぶ純也。そんな純也はもうすぐ死んでしまう。
自分の秘密を知ってほしくない。
その気持ちは、とてもよくわかる。だから私は知らないふりをするしかない。
私はただ、純也の願いを叶えるしかない。
そう思ったのに。
純也に突然好きと言われ、我慢していた涙はあふれ、私の決心は簡単に崩れた。
純也にいなくなってほしくない。純也に死んでほしくない。
だから私は次の日から映画撮影に参加しなくなった。
だって純也は映画撮影期間内には死なないんでしょ。
だったら映画を完成させなければいいんだ。
そうすれば、純也は死なないでしょ?
子どものような屁理屈をならべて私は部屋に閉じこもった。
しかし、そんな私のわがままは誰にも叶えられることはなかった。
それから数か月後、純也は死んだ。
私は泣いて、泣いて、そして、後悔した。
どうして映画撮影をやめてしまったのだろう。
どうして純也のそばを自ら離れてしまったのだろう。
私の心は答えのないどうして、と埋まることのない寂しさでいっぱいになった。
限界だった。
私は幾度となく憎んだ自分の病気に情けなくもすがった。
私は純也と出会った日から今日までの日記をはぎ取り、捨てた。
純也との記憶を忘れるために。
八木さんの口から発せられた3文字の言葉を聞いて、頭の中で記憶の扉がガチャリと音を立てて開いた。
そうだ。そうだった。
あれは、あの夏祭りの時だった。
夏祭りのシーンを撮り終わり、私たちは人気のない神社に寄って屋台で買った焼きそばやフランクフルトを食べていた。
「今日はもう終わり?」
「いや、もう1シーン。浜辺で花火してるシーンが撮りたい」
「花火なんてねーよ。今日はもう終わり」
今日撮りたい、と駄々をこねる純也だったが、八木さんは断固として首を振った。
「だからそういう準備がいるものは前もって言っとけ」
「今思いついたんだからしょうがないだろ!」
「しょうがなくない!」
「しょうがない!」
二人の言い合いはだんだんと白熱してきて、とうとう野田さんが「俺が買ってくるから」と仲裁してその場は収まった。
野田さんがいなくなった後も、なんだか険悪な雰囲気が続いて、私は気まずくて飲み物買ってくる、といってその場を離れた。
祭りはもう終盤で、屋台通りの人数は減ってきていた。
半額になったりんご飴に惹かれつつも、首を振って前に進んだ。
すでに焼きそばにじゃがバターにかき氷に焼き鳥まで食べてしまった。さすがにやばい。
私は目的通り、4本の瓶ラムネを買って神社へともどる。
それにしても八木さん、どうしたんだろう。
純也のわがままは今に始まったことじゃない。むしろこれくらいはいつもどおりなのに。
不思議に思いつつ石段をのぼりきると「奏には言わないでくれ」という純也の声が聞こえ、私はとっさに鳥居の陰に隠れた。
「言わないでくれって。お前はそれでいいのかよ?」
「いい。あいつには、あいつにだけは、俺のことを『もうすぐ死ぬやつ』なんて風に見られたくない」
どういう意味? もうすぐ死ぬ?
私はどくん、とはねる心臓を抑えて耳を傾ける。
「俺たちだって、お前のことそんな風に見てねえよ。だけど、約束しただろ? この映画の撮影期間内には絶対に死なないって」
「ああ」
「人通りの多い道を歩くのは常人だって体力をごっそり奪われる。それに夜も遅い。無理して撮影して、病気が悪化することだってあるだろ。残り少ない命なのに、もっと早く死ぬつもりかよ?」
境内は沈黙に包まれる。
病気? 残り少ない命……?
一気に押し寄せる受け入れがたい情報に、呼吸が浅くなる。
「ごめん、いいすぎた……」
「いや、わがままいってるのはおれの方だからさ。急に俺の遺作を撮影してくれなんてお願い、お前たちにしか頼めなかったから」
八木さんはたしかに、とやさしく笑った。
「でも、俺はさ……」
それからの純也の声は聞くことができなかった。
目にたまった涙をこぼさないように必死だったから。
泣いたらダメだ。今泣けば、絶対にみんなに気づかれてしまう。
それに、泣いて目が赤く腫れてしまうと、夏祭りのシーンと浜辺のシーンで私の顔が変わってしまう。
私はふーっと長く息を吐いて気持ちを切り替え、二人の会話が終わったタイミングを見計らい、今来たように走って鳥居をくぐった。
「ただいまー! ラムネ買ってきたよ!」
そうして私たちは浜辺へ向かい、手持ち花火で遊ぶシーンを撮影した。
手持ち花火で無邪気に遊ぶ純也。そんな純也はもうすぐ死んでしまう。
自分の秘密を知ってほしくない。
その気持ちは、とてもよくわかる。だから私は知らないふりをするしかない。
私はただ、純也の願いを叶えるしかない。
そう思ったのに。
純也に突然好きと言われ、我慢していた涙はあふれ、私の決心は簡単に崩れた。
純也にいなくなってほしくない。純也に死んでほしくない。
だから私は次の日から映画撮影に参加しなくなった。
だって純也は映画撮影期間内には死なないんでしょ。
だったら映画を完成させなければいいんだ。
そうすれば、純也は死なないでしょ?
子どものような屁理屈をならべて私は部屋に閉じこもった。
しかし、そんな私のわがままは誰にも叶えられることはなかった。
それから数か月後、純也は死んだ。
私は泣いて、泣いて、そして、後悔した。
どうして映画撮影をやめてしまったのだろう。
どうして純也のそばを自ら離れてしまったのだろう。
私の心は答えのないどうして、と埋まることのない寂しさでいっぱいになった。
限界だった。
私は幾度となく憎んだ自分の病気に情けなくもすがった。
私は純也と出会った日から今日までの日記をはぎ取り、捨てた。
純也との記憶を忘れるために。