重版もしたことない。コミカライズもしていない。ただポッと出てきた、量産型の作家。今回の依頼だって、ただの代打だ。俺の作品を望んだ訳ではない。空いていたのが俺だったというだけ。風が少しでも吹けば消えてしまいそうな灯を、必死になって護っている惨めな物書きだ。

 そうやって自分を憐れみながら天井を見上げていると、自分の右手に柔らかい温もりを感じた。視線を落とすと、緒川の細い手が俺の手の上に重なっていた。

 呆然とする俺に構わず、緒川が俺の手を両手で掬いあげる。

「そんなことない。そんなことないんだよ。だから、そんな悲しいこと言わないで」

 緒川が泣きそうな顔で俺の手を握る。どうして俺のことなのに、緒川がこんなにも震えるくらい泣きそうになっているのだろう。

 戸惑いながらも握られた手を程かないでいると、徐に彼女の口が動き始めた。

「きみは世界を作れる。どこにでも行ける。それができるきみを、私は尊敬するよ」

 そう言った矢先、緒川がゆっくりと俺のほうに倒れ込んできた。咄嗟に緒川を支えてみると、彼女の体は火のように火照っていた。

「お、おい。緒川?」

 軽く体を押し返してみると、緒川の目がとろんとしていた。よく見ると顔も全体的に赤くなっている。水族館の館内が薄暗いから気がつかなかった──いや、俺が写真撮影やメモを取っているせいで、彼女の体調の変化に気づけなかったのだ。

「悪い緒川。緒川が具合悪いの、全然気づかなくて……でも、言ってくれれば」

「良かったのに」そう言う前に、慌てて口をとめる。俺は今、ひどいことを言おうとした。緒川は何も悪くない。俺がもっと彼女のことを気遣えば良かったのだ。それを俺は、緒川のせいにしようとした。最低な男だ。

 口を噤んでいると、緒川が「フフッ」と乾いた笑みをこぼした。

「言えないよ……だって、これを逃したら、もう風田君に会えなくなるかもしれないもん」
「それって、どういう──」

 だが、問いただす前に緒川の頭がガクッとうなだれた。息も絶え絶えで、見ているだけで苦しそうだ。

「病院に行くぞ。もうちょっと我慢できるか?」

 彼女を運び出そうと腕を取ろうとしてみると、緒川に「待って」と言われた。

「病院……行くなら、ここに……」

 そう言って彼女が財布から取り出したのは、とある病院の診察券だった。どうやらここが彼女のかかりつけの病院らしい。

「ごめんね、風田君……」
「謝らなくていい。行くぞ」

 と、俺は改めて緒川の腕を自分の背中に回し、彼女を背負い込んだ。

 なるべく彼女を刺激しないよう優しく、それでいて早足で出口を目指す。途中、首筋に生温かい雫を感じたが、気づかないふりをした。緒川を泣かせてしまった。その重たい罪がずっしりと心にのしかかった。