報告のためにキンバリーの執務室へ入ると、彼は笑顔で出迎えてくれた。
 いつものソファ席に深く座る。自覚していなかったが、サディアスも疲れていたらしい。座った途端、全身が重くなったように感じた。
 慣れた場所にきて、気が抜けたのだろう。
「それで、ラティアーナの居場所はわかったのか?」
 侍従がお茶の用意をして姿を消すとすぐに、キンバリーはそう尋ねてきた。
「いえ。孤児院にもいませんでしたし、孤児院でも彼女の居場所を知らないようでした。むしろあれ以降、ラティアーナは孤児院に足を運んでいないようです」
 だからマザーや子どもたちから、ラティアーナのことをたくさん聞かれたのだ。
 あまりにも聞かれ過ぎて、頭が痛くなるほどに。
 こんなときは、甘い物を食べるのがよい。目の前に用意されたチョコレートを一粒つまむ。口の中にはまろやかな甘さが広がり、頭痛をやわらげてくれるような気がした。
「……そうか。いろいろと悪かったな。ありがとう」
「いえ」
 一度にチョコレートを食べ過ぎてしまったようだ。喉の奥が焼けつける感じがして、紅茶で流し込む。
「疲れただろう?」
 キンバリーは声をかけつつ、やわらかな眼差しでサディアスの様子を見つめていた。以前よりも表情は穏やかになった。それでも、目の下には隈ができているし、頬もこけた。
「ですが、僕が好きで調べていますので」
「そうか……」
 そう言って目を伏せる様子も憂いを含んでいる。
「アイニス様の様子はいかがですか?」
 彼女は、なんとか三日に一度の聖女の務めに神殿まで足を運んでいる。行きたくない、気が重いと言いながらも、行っているだけ褒めるべき行為だろう。
「変わりはない。やるべきことはやろうとしている。そういった努力している点は、認めてもいいだろうと思っている」
「さようですか……」
 近くにいればいるほど、情が沸いてくるものだ。キンバリーがアイニスに向けている気持ちは、愛なのだろうか。
「それよりも兄上。兄上にお聞きしたいことがあるのです」
 サディアスは少しだけ姿勢をすっと正した。
「どうした? 何があった?」
 サディアスの些細な仕草で、キンバリーは敏感に何かを感じ取ったようだ。怪訝そうに眉根を寄せた。
「兄上は、あの孤児院に定期的に寄付をしておりますよね? それは、ラティアーナ様が聖女をおやめになってからも変わりはないですよね?」
「ああ。孤児院の寄付は、王族の義務のようなものだ。ラティアーナはいっさい関係ない。私個人から、いくつか絵本を送ったことはあるが」
「なるほど……。ですが、マザー長は、兄上からの寄付金など、一切、受け取っていないと」
「なんだと? 孤児院も、ラティアーナがいなくなってからがめつくなったものだな」
 サディアスは首を横に振る。
「孤児院が貧しいのは事実です。僕がこの目で確認してきました」
 キンバリーは、唇の端をひくつかせた。
「どういうことだ?」
「きちんと帳簿を確認しなければ、確かなことは言えませんが。ただ、食糧は乏しいのです」
「ん? どういう意味だ?」
「ですから、寄付金を横取りしているとか、そういった様子も感じられず。あそこは、ただただ貧しかったのです」
「だが、私は……。寄付金は定期的に送っている、はずだが?」
 それはサディアスも彼の仕事を手伝っているからわかっている。
 キンバリーは孤児院への寄付金を予算化しており、それを定期的に送っている。
 だが、孤児院ではそれを受け取っていない。
 双方での主張が異なっているのだ。となれば、そこの間に何かがある。
「寄付金だって、兄上が直接孤児院へ手渡しているわけではないですよね」
「それは、そうだ。人に命じて、やってもらっている。金額は私が決めているが」
「その者は信用に値する人物ですか?」
「何が言いたい?」
「いえ、とても単純なことですよ。兄上は寄付をしている。だけど、孤児院は寄付を受け取っていない。兄上の帳簿は、僕も確認しているから兄上が嘘をついていないのはわかります。では孤児院は? あれは、嘘をつけるような状態ではなかった」
 そこでサディアスは腕を組んだ。
「神殿へ行き、あの神官長と顔を合わせた時は『よほどいいものを食べているんだろうな』というのが第一印象です。ですが、マザー長からはそんな様子が感じ取れません。今日をやり過ごしたら、明日はどうしようか。そんな気持ちが漂ってくるような、そんな感じです」
「だったら、その寄付金はどこに消えたんだ?」
「だからです。その間で消えたと考えるのが妥当ですよね」
「……チャド・シェパード」
 キンバリーは苦し気に一人の男の名を口にした。
「私が、孤児院への寄付金を任せている男は、チャド・シェパードだ。シェパード侯爵の嫡男だから、信用していた」
「孤児院へは、いろいろと確認するために、もう一度足を運ぶつもりです。次は、帳簿を見せてもらおうと思っています。兄上はそのチャド殿を……」
「ああ」
 キンバリーは深く頷く。
「兄上。まずは、チャド殿に話を聞いてみてはいかがでしょうか。本当のことを言うかどうかはわかりませんが……」
「そうだな。まずは彼に話を聞いてみることにするよ」
 そう言ったキンバリーは悄然とした面持ちであった。気持ちを落ち着かせるかのようにカップに伸ばす指の先が、微かに震えている。その一連の仕草を、サディアスは黙って見ていた。
 音を立てて、カップが戻される。
「……だが、そうだったとしたら。チャドは私の寄付金をどうしたのだろうか? 彼が私的に何かに使った?」
「そう考えるのが無難ではあるのですが、シェパード侯爵は特にお金に困っていないのですよ」
 それでも金はないよりはあったほうがいい。
「今回は……私の落ち度だな……」
「不正な金を作るのに、帳簿の改ざんなんてはよくわることですから。そんなに落ち込まないでください」
 とは言ってみたものの、それを見抜けたなかったのだから、こちらの落ち度で間違いはない。
 サディアスは唇を噛みしめる。
 奪われた金は、誰が、どこで、何に使ったのか。もしくは、使っているのか。
 少なくとも、孤児院の子どもたちのために使われていないことだけは確かである。せっかくラティアーナが大事に育てた子供たちの能力が、枯れてしまう。
「ラティアーナは今、どこにいるのだろうか……」
 思い出したようなキンバリーの呟きが、胸にグサリと突き刺さった。それでもなんとか笑みを浮かべ、話題を変える。
「それで兄上。その孤児院の件なのですが。ラティアーナ様は子どもたちに食料や衣類などを寄付していたそうなのです。それに、子どもたちが作ったレース編みとか、そういったものをバザーで売って資金にしていたようなのですが……」
 キンバリーがサディアスの言葉の先を奪った。
「お前の言いたいことはわかった。ラティアーナがいなくなった今、それらが期待できないということだろう? すぐに、食料と衣類は手配する。バザーの件は、協力してくれそうな夫人を探しておこう」
「ありがとうございます」
 サディアスは礼を口にしたが、それでもキンバリーの顔は晴れないままだった。眉をひそめ、きつく唇を閉じている。
 ラティアーナが姿を消してから、問題ばかりだ。
 神殿に行きたがらない聖女。腐敗臭漂う竜。
 資金が不足している孤児院。指導者を失った孤児院の子どもたち。
 そして、消えた金。
 すべて解決しなければ問題であるが、どこから解決すべきなのかわからない。一つ一つの問題は独立しているように見えるが、それでも微妙に何かに絡まっているようにも見える。
 ラティアーナは今、どこにいるのだろう。そして、何をして、何を想っているのだろうか――。