◇◆◇◆◇◆◇◆
サディアスは神殿に足を運んだ。
王城からも白亜の建物が見えるが、馬車で三十分ほど離れている距離にある。
神殿では神官と巫女が竜に祈りを捧げながら暮らしている。
竜は、この神殿の奥にある竜の間と呼ばれる広い部屋にいる。ごろりと寝そべって、寝ているのか起きているのかわからないが、そこからレオンクル王国を感じているらしい。
聖女は竜の間のすぐわきに私室をかまえており、竜に何かがあればすぐにそれを察して対処する。そのため、竜の世話をする聖女も神殿で暮らす必要があるのだが、今はそこにはいない。
なぜなら、その聖女であるアイニスは王城で暮らしているからだ。そのかわり、三日に一度、神殿を訪れるという約束をした。しかし最近では、神殿への行きしぶりを見せている。
そのうち仮病を使い出して行かなくなるのではと、キンバリーもサディアスもそう思い始めていた。そう思えるくらいのアイニスの態度なのだ。
「これはサディアス様。お待たせしまして、申し訳ありません」
サディアスが神殿に来たのは、アイニスのこともあるが、ラティアーナに会いたいがためだった。その気持ちはキンバリーもアイニスも同じで、彼らももう一度ラティアーナと会い、話をすることを望んでいる。
白い上衣姿の神官長は、サディアスの向かい側にでっぷりと座った。この神官長は肉付きがよく、血色もよい。どのような生活を送っているのか、なんとなく想像ができる。
質素で倹約はどこにいってしまったのか。
案内された応接室だって、派手ではないが、手がかけられているだろうことは見てわかる。
壁に施された細やかな装飾も、天井に描かれている竜の絵も、見事なものだ。それに今サディアスが座っているソファだって、王城と使用しているものと同じくらい豪奢なものだ。
ここにあるものは、どれも質素で倹約なものではない。
「早速ですが。ラティアーナ様に会いたいのですが、居場所はわかりますか?」
彼女の名が出たところで、神官長の顔は曇った。さらに、わざとらしく大きく肩を上下させて息を吐く。
「何をおっしゃるのかと思えば……。ラティアーナの居場所など、我々も知りませんよ。王太子殿下が婚約を解消されたから、彼女はここからいなくなったのです。竜王様が聖女へと望んだのは、アイニスではなくラティアーナであったというのに」
それはまるで、聖女がアイニスでは不安であると言っているようなものだ。
「ですが聖女は、『聖女の証』を持っていればいいのですよね?」
だからラティアーナは、次の聖女としてアイニスに聖女の証を手渡したのだろう。
「王族の方々は、何か誤解をされているようですね。聖女を選ぶのは竜王様。竜王様がラティアーナを選んだから、『聖女の証』を彼女に与えたのです」
それはラティアーナが聖女となったときの話である。竜がラティアーナを聖女として選んだため、神官長は神殿で保管していた聖女の証である月白の首飾りを彼女に授けた。
「となれば。ラティアーナ様がアイニス様に『聖女の証』を与えたとしても、アイニス様は聖女にはなれないということですか? 今でも正式な聖女はラティアーナ様なのでしょうか?」
ふん、と神官長は鼻で息を吐く。その仕草すらわざとらしい。まるで、サディアスを馬鹿にしているような感じさえする。
いや、ばかにしているようなではなく、ばかにしているのだろう。聖女ラティアーナを王族の不手際、いやキンバリーのせいで失ったとでも言いたいかのように。
「聖女は、竜王様がお認めになるか、聖女から聖女へと引き継ぎされるかのどちらかです。聖女ラティアーナがアイニスを聖女として認めたのであれば、誰がなんといおうとアイニスが聖女になるのです」
それもどこか冷たい声。淡々とした、感情の色を押し込めた声で、神官長は説明した。
「そうですか……」
「サディアス様からも、王太子殿下とアイニスに伝えていただけませんか? 聖女は神殿で暮らす必要があると。神殿の暮らしによって、聖女の穢れは浄化されるのです」
今でも三日に一度の神殿へ行き渋るようなアイニスに向かって、神殿で暮らせというのはなかなか難しい。
だが、それが本来の聖女のあるべき姿なのだ。
「聖女が神殿で暮らすのは、古からの決まりであるから、ですか?」
「ええ、そうですよ」
神官長は首肯する。
「古より、竜王様と聖女は一心同体と伝えられています。竜王様がいらっしゃるからこそ聖女が生まれ、聖女がいるからこそ竜王様がお目覚めになる」
「だが、聖女が竜に対して行うのは、うろこを磨くことくらいだと聞いています。それも、毎日ではなく三日に一回でいいと」
「竜王様はお優しいですからね。慣れないアイニスを気遣ったのでしょう。本来であれば、それだって毎日行うことなのです。ですが、少しずつ、聖女としての自覚を持ち、いずれはこの神殿で暮らしてくれることを望んでいるのです」
「なるほど……」
神殿側の考えはわかった。
ラティアーナがいなくなった今、アイニスを手元に置いておきたいのだ。アイニスが聖女であるかぎり、それは神殿の正当な主張であるのも理解している。
ただアイニスのことを考えると、今の申し出を「はい」と即答するのははばかれる。いくら張りぼての令嬢であり聖女であっても、アイニスも一人の人間だから。
「私は、ラティアーナが聖女であるときから思っていたのですよ」
そう言った神官長は、背中を丸め少しだけサディアスに顔を寄せてくる。
「やはり、聖女という理由で王太子殿下と婚約するのは、いかがなものかと」
「つまり……兄は聖女様の相手として相応しくないと。神官長はそうおっしゃりたいわけですか」
王族と神殿の関係は同列である。どちらの地位が高いとか、そういった関係はない。
それは神殿が国を庇護する竜を住まわせているからだ。
「いいえ、ちがいます。アイニスでは、王太子殿下の相手として相応しくないと。そう思っております。殿下であれば、もっと地位があり教養のある女性のほうが、将来の王太子妃として安心されるのではないですか?」
「ですが……。兄の婚約者にと、最初に聖女であるラティアーナ様を推薦なさってきたのは、神殿からですよね?」
「竜王様のお望みだったからです」
そこで神官長は喉を潤した。カップを持つその仕草を、じっくりと観察する。彼のふっくらとしている手も、荒れていない指も、神殿の教えに従っているとは思えない。
「兄とラティアーナ様の婚約は、竜が決めたと?」
神官長はカップの裏が見えるくらいに傾けて、お茶を飲み干している。そのたびに喉元は上下するが、その時間が異様に長く感じられた。
「ああ、すみません。喋ったら、喉が渇きましてね」
ベルを鳴らし別の神官を呼ぶと、神官長はお茶を淹れるようにと命じた。
その神官が部屋を出ていく様子を、サディアスは目で追う。
「何を話していましたかな……。あぁ、そうでした。ラティアーナの婚約についてですね」
「そうです。ラティアーナ様と兄の婚約は、竜が決めたのですか?」
「そうですよ。竜王様は、このレオンクル王国の未来を案じております。ですが、ラティアーナと王太子殿下が夫婦となり、二人の間に新たな命が育まれることで、この国の未来は明るいだろうと、そうおっしゃっておりました。竜王様が決めたというよりは、認めた、ですね」
サディアスは眉間に深くしわを刻む。
「ですが、ラティアーナ様は自身が聖女であったために、兄と婚約したと。聖女であることが王太子との婚約の条件であったと。そう思っていたようですが」
「彼女は少し、思い込みの激しいところもありましたからね」
神官長は目を細くして、口角をあげた。
サディアスは神殿に足を運んだ。
王城からも白亜の建物が見えるが、馬車で三十分ほど離れている距離にある。
神殿では神官と巫女が竜に祈りを捧げながら暮らしている。
竜は、この神殿の奥にある竜の間と呼ばれる広い部屋にいる。ごろりと寝そべって、寝ているのか起きているのかわからないが、そこからレオンクル王国を感じているらしい。
聖女は竜の間のすぐわきに私室をかまえており、竜に何かがあればすぐにそれを察して対処する。そのため、竜の世話をする聖女も神殿で暮らす必要があるのだが、今はそこにはいない。
なぜなら、その聖女であるアイニスは王城で暮らしているからだ。そのかわり、三日に一度、神殿を訪れるという約束をした。しかし最近では、神殿への行きしぶりを見せている。
そのうち仮病を使い出して行かなくなるのではと、キンバリーもサディアスもそう思い始めていた。そう思えるくらいのアイニスの態度なのだ。
「これはサディアス様。お待たせしまして、申し訳ありません」
サディアスが神殿に来たのは、アイニスのこともあるが、ラティアーナに会いたいがためだった。その気持ちはキンバリーもアイニスも同じで、彼らももう一度ラティアーナと会い、話をすることを望んでいる。
白い上衣姿の神官長は、サディアスの向かい側にでっぷりと座った。この神官長は肉付きがよく、血色もよい。どのような生活を送っているのか、なんとなく想像ができる。
質素で倹約はどこにいってしまったのか。
案内された応接室だって、派手ではないが、手がかけられているだろうことは見てわかる。
壁に施された細やかな装飾も、天井に描かれている竜の絵も、見事なものだ。それに今サディアスが座っているソファだって、王城と使用しているものと同じくらい豪奢なものだ。
ここにあるものは、どれも質素で倹約なものではない。
「早速ですが。ラティアーナ様に会いたいのですが、居場所はわかりますか?」
彼女の名が出たところで、神官長の顔は曇った。さらに、わざとらしく大きく肩を上下させて息を吐く。
「何をおっしゃるのかと思えば……。ラティアーナの居場所など、我々も知りませんよ。王太子殿下が婚約を解消されたから、彼女はここからいなくなったのです。竜王様が聖女へと望んだのは、アイニスではなくラティアーナであったというのに」
それはまるで、聖女がアイニスでは不安であると言っているようなものだ。
「ですが聖女は、『聖女の証』を持っていればいいのですよね?」
だからラティアーナは、次の聖女としてアイニスに聖女の証を手渡したのだろう。
「王族の方々は、何か誤解をされているようですね。聖女を選ぶのは竜王様。竜王様がラティアーナを選んだから、『聖女の証』を彼女に与えたのです」
それはラティアーナが聖女となったときの話である。竜がラティアーナを聖女として選んだため、神官長は神殿で保管していた聖女の証である月白の首飾りを彼女に授けた。
「となれば。ラティアーナ様がアイニス様に『聖女の証』を与えたとしても、アイニス様は聖女にはなれないということですか? 今でも正式な聖女はラティアーナ様なのでしょうか?」
ふん、と神官長は鼻で息を吐く。その仕草すらわざとらしい。まるで、サディアスを馬鹿にしているような感じさえする。
いや、ばかにしているようなではなく、ばかにしているのだろう。聖女ラティアーナを王族の不手際、いやキンバリーのせいで失ったとでも言いたいかのように。
「聖女は、竜王様がお認めになるか、聖女から聖女へと引き継ぎされるかのどちらかです。聖女ラティアーナがアイニスを聖女として認めたのであれば、誰がなんといおうとアイニスが聖女になるのです」
それもどこか冷たい声。淡々とした、感情の色を押し込めた声で、神官長は説明した。
「そうですか……」
「サディアス様からも、王太子殿下とアイニスに伝えていただけませんか? 聖女は神殿で暮らす必要があると。神殿の暮らしによって、聖女の穢れは浄化されるのです」
今でも三日に一度の神殿へ行き渋るようなアイニスに向かって、神殿で暮らせというのはなかなか難しい。
だが、それが本来の聖女のあるべき姿なのだ。
「聖女が神殿で暮らすのは、古からの決まりであるから、ですか?」
「ええ、そうですよ」
神官長は首肯する。
「古より、竜王様と聖女は一心同体と伝えられています。竜王様がいらっしゃるからこそ聖女が生まれ、聖女がいるからこそ竜王様がお目覚めになる」
「だが、聖女が竜に対して行うのは、うろこを磨くことくらいだと聞いています。それも、毎日ではなく三日に一回でいいと」
「竜王様はお優しいですからね。慣れないアイニスを気遣ったのでしょう。本来であれば、それだって毎日行うことなのです。ですが、少しずつ、聖女としての自覚を持ち、いずれはこの神殿で暮らしてくれることを望んでいるのです」
「なるほど……」
神殿側の考えはわかった。
ラティアーナがいなくなった今、アイニスを手元に置いておきたいのだ。アイニスが聖女であるかぎり、それは神殿の正当な主張であるのも理解している。
ただアイニスのことを考えると、今の申し出を「はい」と即答するのははばかれる。いくら張りぼての令嬢であり聖女であっても、アイニスも一人の人間だから。
「私は、ラティアーナが聖女であるときから思っていたのですよ」
そう言った神官長は、背中を丸め少しだけサディアスに顔を寄せてくる。
「やはり、聖女という理由で王太子殿下と婚約するのは、いかがなものかと」
「つまり……兄は聖女様の相手として相応しくないと。神官長はそうおっしゃりたいわけですか」
王族と神殿の関係は同列である。どちらの地位が高いとか、そういった関係はない。
それは神殿が国を庇護する竜を住まわせているからだ。
「いいえ、ちがいます。アイニスでは、王太子殿下の相手として相応しくないと。そう思っております。殿下であれば、もっと地位があり教養のある女性のほうが、将来の王太子妃として安心されるのではないですか?」
「ですが……。兄の婚約者にと、最初に聖女であるラティアーナ様を推薦なさってきたのは、神殿からですよね?」
「竜王様のお望みだったからです」
そこで神官長は喉を潤した。カップを持つその仕草を、じっくりと観察する。彼のふっくらとしている手も、荒れていない指も、神殿の教えに従っているとは思えない。
「兄とラティアーナ様の婚約は、竜が決めたと?」
神官長はカップの裏が見えるくらいに傾けて、お茶を飲み干している。そのたびに喉元は上下するが、その時間が異様に長く感じられた。
「ああ、すみません。喋ったら、喉が渇きましてね」
ベルを鳴らし別の神官を呼ぶと、神官長はお茶を淹れるようにと命じた。
その神官が部屋を出ていく様子を、サディアスは目で追う。
「何を話していましたかな……。あぁ、そうでした。ラティアーナの婚約についてですね」
「そうです。ラティアーナ様と兄の婚約は、竜が決めたのですか?」
「そうですよ。竜王様は、このレオンクル王国の未来を案じております。ですが、ラティアーナと王太子殿下が夫婦となり、二人の間に新たな命が育まれることで、この国の未来は明るいだろうと、そうおっしゃっておりました。竜王様が決めたというよりは、認めた、ですね」
サディアスは眉間に深くしわを刻む。
「ですが、ラティアーナ様は自身が聖女であったために、兄と婚約したと。聖女であることが王太子との婚約の条件であったと。そう思っていたようですが」
「彼女は少し、思い込みの激しいところもありましたからね」
神官長は目を細くして、口角をあげた。