美海の病室で、スイーツを広げながら、結婚式の写真を二人で見返した。事情を話し、アルバムは最速で作ってもらった。追加料金はかかってしまったが、それでも美海と一緒に見たかったから、出来上がったものを受け取ったときは泣きそうになってしまった。

 美海は、眠っている時間が増えた。病気と戦っているのだと医師に説明された。少しずつ痩せていき、筋力が落ち、美海は歩けなくなった。
 日課だった病院内散歩も出来なくなってしまったので、車椅子を押して院内を回った。俺はほとんど高校に行っていなかったので、留年が確定していたけれど、それでよかった。両親も何も言わなかった。

「あ、この写真。美海すごくかわいいじゃん」

 結婚式の写真を一枚ずつ見ながら、これがかわいい、こっちはきれいだとコメントしていく。食べたいと言っていたコンビニスイーツは、ほとんど手がついていなかった。
 薬の副作用で食欲が出ないらしく、食べられるなら何でもいいよ、と医師には言われていた。大好きだったはずのいちごのショートケーキを見ても、笑顔が見られないのはひどく切なかった。
 一口だけ美海が食べた、シュークリームの残りを口に含む。口いっぱいにカスタードクリームが広がり、それを飲み込もうと必死になっていると、ふいに美海が呟いた。

「結婚式、大変だったけど嬉しかったなぁ」

 なぎちゃんのタキシード姿、かっこよかった。お姫様抱っこも、憧れてたからすっごくきゅんとしたんだよ。
 まるで二度と戻れない、遠い昔を懐かしむような声で、美海が言う。それだけで涙がこみ上げてきて、慌ててそのときの写真を探す。
 ほら、とお姫様抱っこをした写真を見せると、美海はかすかに微笑んだ。

「…………いい写真。海も見えるし、二人とも楽しそう」
「うん。楽しかったし、幸せだなぁって実感したよ」
「私もだよ」

 美海が左手を少しだけ持ち上げる。何かを取ろうとしているのかと思ったが、どうやら指輪を眺めているらしい。
 買ったときよりも美海が痩せてしまったので、指輪は少し緩そうに見える。サイズのお直しもできるらしいよ、と俺がいうと、このままでいいの、と美海は答えた。

「ちょっとの間でも、この指輪が私から離れてたら、不安だから」
「不安?」
「うん。もう二度とはめることができなくなっちゃいそうで……」

 それは、珍しく吐き出された弱音だった。
 美海の不安を受け止めてやりたい。その一心で、「じゃあこの指輪は美海のお守りになってもらおう」と返す。美海の左手を、俺の両手でぎゅっと包み込む。
 永遠の愛を誓った指輪。
 だけど今は、どうか美海が少しでも長く生きられますように。笑っていられますように。そんな願いを込めて。

「なぎちゃん。私ね、…………こわいの」
「…………美海」
「変だよねぇ。死ぬまでにしたいこと書き出して、一個ずつ、お父さんと、お母さんと、なぎちゃんと…………一緒に叶えてきたんだよ」

 全部は無理だったけど、たくさん叶えてもらったよ。
 そう言って、美海がノートを開く。やりたいことリストは、たくさん花丸がついていた。言葉通り、一つずつ一生懸命叶えてきたことを、俺は知っている。

「なのに、なのに…………、なんでこんなに死ぬのがこわいんだろう。後悔しないように毎日生きてきたはずなのに、なんでっ……………やだよ、なぎちゃんと一緒にいられなくなったら、やだよ……。幽霊になって、なぎちゃんのそばにいられるのかな。でもなぎちゃんに私は見えないんでしょ? キスも、ハグも、なんにもできない……どんなに好きって言っても届かない、そんなのやだよぉ…………」

 悲痛な声だった。
 幼い頃から難病と戦ってきた美海は、苦しくても笑顔を絶やさなかった。それが、両親の、自分の周りの人の希望になることを、誰よりも知っていたから。
 そんな美海が、泣きながら訴えている。泣きじゃくって、こわいと叫ぶ。死にたくない、と。なぎちゃんと一緒にいたいと、泣き続ける。
 俺にできることは、震える美海を抱きしめることだけだった。

「もし、もしもね、私が…………幽霊になれたら……」
「…………ん」
「毎日、なぎちゃんが寝る前に……っ、大好きって、いうから………………だから、」
「それなら俺は、寝る前に絶対、美海愛してるって言うよ」

 そしたら会話が成立だ。
 なぎちゃん、大好き。
 美海、愛してる。
 ほら、普通の彼氏彼女の…………いや、幸せな夫婦の会話だ。
 そこに姿がなくても、見えなくても、いると信じて語りかけるよ。

 俺の詭弁に、美海は泣きじゃくる。
 指と指を絡めて、ぎゅっと手を握って、涙でぐしゃぐしゃの顔にキスをする。短い前髪も、少しはれたまぶたも、赤くなった鼻も、涙に濡れた頰も、俺の名を呼び続けるくちびるも。ひとつ残らず口付けていく。

 そうしてゆっくりくちびるを落としていくうちに、美海は少しだけ落ち着いたようで、浅かった呼吸も安定してくる。
 手はぎゅっと握ったまま、もう一度美海にキスをして、俺は笑いかける。きっと俺の顔も、涙でぐちゃぐちゃに違いない。

「美海はきれいか、かわいいか、って言ったら、絶対かわいい方だと思うんだけどさ」

 唐突な俺の言葉に、美海は控えめに首を傾げる。

「でも結婚式のとき…………美海のこと、世界で一番きれいだって思ったんだ」
「え……?」
「世界で一番、美海がきれいだ」

 美海が息を飲む。こんなにストレートに美海のことを褒めたのは、もしかしたら初めてかもしれない。
 もっと早く言えばよかった。
 美海を好きになって、十年。ずっと素直になれなくて、言い訳ばかりして、告白を先延ばしにしてきた。
 美海が大人になるのは難しい、ということは、俺だって知っていたはずだ。それでも心のどこかで、美海ならきっと大丈夫、とありもしない奇跡を信じていた。それが逃げだということも知らぬまま。

 もっと早く好きだと言えばよかった。振られても、かっこ悪くても、ちゃんと伝えればよかった。
 そうしたらもっと美海と恋人として過ごす時間があったかもしれない。世界一周は無理でも、小旅行くらいだったらできたかも。昔は俺も病弱だったし、発作が多かったけど、少なくとも美海は今よりずっと元気だったのだから。
 後悔はいくらでも溢れてくる。でも今必要なのは後悔じゃなくて、希望だ。
 美海の不安や恐怖を拭ってあげられる、一筋の希望の光。

「体調が落ち着いたら、世界一周旅行しよっか」

 美海の目が、驚きに揺れる。
 どうやっても叶わない約束。それでも、俺は言葉にして紡いでいく。

「二人で世界一周してさ、いろんな人と出会って、日本に帰ってきて。そうしたら、また同じことを美海に言うよ」
「同じこと……?」
「世界で一番、美海がきれいだ、って」

 美海がくすりと笑う。同時に涙もこぼれ落ちたけれど、美海は自分の指で涙を拭った。

「世界一周した後だったら、すごく説得力があるねぇ」
「だろ? だからさ、それを楽しみに待っててよ。約束」

 小指を重ねて、目を閉じる。美海が真似をして目をつむったので、その隙に唇を奪ってやった。
 美海は「あー! いい雰囲気だったのにー!」と文句を言っていたけれど、そんなのは関係がない。
 美海が元気に笑っていてくれるなら、それ以上に大切なものなんて、どこにもないのだから。