「おじさんとおばさんにはもう話したんだけどさ、式場、ここでいい?」
「んっ!?」
「海が見えるんだって。ほら、俺も美海も名前が海に関連してるから」
「あー、そういう共通点ねぇ、って違うよ! なになに! びっくりなんだけど!」

 病院からほどよく近い、海の見える結婚式場を探した。参列者は家族だけだ。
 俺がまだ十八歳になっていないから、入籍は出来ない。でもどうしても美海と結婚したい。形だけでも、短い時間でも、俺の手で幸せにしてあげたい。まずは自分の両親を説得して、それから美海の両親に頭を下げに行った。そんなことをしている時間はないと怒られると思っていたのに、美海の親は泣きながら喜んだ。
「美海ちゃんは小さい頃から凪斗くんが大好きだったから、きっと喜ぶわ……ありがとう、本当にありがとう」
 そう言って涙する二人に、俺も涙が止まらなくなった。美海のタイムリミットは三ヶ月。泣いて足踏みしている時間はない。

「いい式場でしょう? お母さん昨日早速行ってきたんだけどね、式場の方にお話したら、ドレスの写真が入ったタブレットを貸してくれたのよ」

 美海は困惑しながらも母親からタブレットを受け取り、その画面に目を落とす。

「わぁ…………きれい」
「ウェディングドレスもカラードレスもいっぱい種類があるみたいだから、気合い入れて選ばないとな」
「んっ、いや、ちょっと待って! 今流されちゃってたけども! 式って、ドレスって、何の話!?」

 焦る美海は珍しい。ぱたぱたとベッドの上で手を動かしながら、説明してよぉ! と訴えてくるので、髪をくしゃりと撫でてなだめる。
 胸の辺りまで伸びた長い髪を手櫛で整えて、美海は俺を睨みつける。でもそのほっぺたがぷくりと膨らんでいるものだから、ちっともこわくない。むしろかわいいくらいだ。

「俺にしなよって言ったじゃん」
「なぎちゃんは私が死んだら泣いちゃうからだめだってば」
「やだ。美海の時間、全部俺にちょうだい。絶対幸せにするから」

 俺のわがままに、美海が眉を下げる。

「おかあさーん、なぎちゃんが無茶苦茶なこと言うよぉ」
「あらぁ、全然無茶苦茶じゃないでしょ。素敵なプロポーズじゃない」

 プロポーズ。その言葉に、俺と美海の頰が真っ赤に染まる。
 いや、それはそうなんだけど。
 確かに結婚式を挙げたい、美海の時間を全て欲しいというのは、プロポーズに違いないけれど。
 突然豪速球のストレートを顔面間近に投げられたような感覚に、何も言えなくなってしまう。
 赤くなった二人を見て、「やだ、せっかくのプロポーズにお母さんがいたら邪魔になっちゃうわね」とおばさんが気を利かせて退室していく。

 恥ずかしくていたたまれない。逃げ出したくなるが、そこはぐっと堪えて我慢する。
 それでも照れ隠しに窓の外に目をやるくらいは許して欲しい。しばらくの沈黙の後、美海の震える声が病室に響いた。

「…………さっきの話、本当?」

 振り返ると、美海がまっすぐ俺を見つめてくる。タブレットに触れている指先はかすかに震えていて、目にもうっすら涙が浮かんでいる。

「全部、本当だよ」

 自分の声とは思えないくらい、優しい声が出た。
 美海も驚いたように、目を丸くする。それからじわじわと耳が赤く染まっていく。

「美海のことを独り占めしたいのも、絶対幸せにするっていう覚悟も、全部本当」
「なぎちゃん…………」
「美海は、自分がいなくなった後に俺が悲しむ心配をしてるけどさ、今、美海が隣にいてくれれば、それだけで一生分の幸せなんだよ」

 くさすぎるセリフかもしれない。でも、本心だった。
 うるんだ瞳で美海はくちびるをかむ。それからゆっくりとまばたきをして、とびっきりの笑顔を見せた。

「返品不可だからね、クーリングオフもなしです!」
「はいはい」
「骨になっても愛してね!」
「自虐が過ぎて笑えないんだけど」
「うそうそ! ちゃんと最後まで好きでいてくれれば、それで十分!」

 そうと決まれば、やりたいことリストを作らなきゃ! と美海がノートを取り出す。
 真っ白なノートの最初のページに、なぎちゃんと結婚式、と書かれた文字が震えていたことには気付いていたけれど、気付かないふりをした。

「指輪交換もしたいなぁ。安くていいから!」
「もうちょっと言い回しあるだろ!」
「かわいいやつね! それから新婚旅行は世界一周! …………はさすがに無理だと思うから、新婚ドライブとか?」
「俺、免許まだ取れないんだけど」
「よし! じゃあ運転手つきドライブ!」

 それは果たしてドライブデートになるのだろうか。甚だ疑問なところではあるが、美海が楽しそうなら何でもいい。
 真っ白なノートが、どんどんやりたいことで埋まっていく。
 最終的にはコンビニスイーツを全部食べる! なんて書いてあった。それでもよかった。
 どんなに小さなことでも叶えてあげたい。美海の残りの時間が、全て幸せなものでありますように。そう祈りながら、美海のやりたいことリストに手を伸ばす。
 不思議そうな顔で見上げてくる美海に、ちょっとだけ意地悪な笑みを向けてみせた。

「ペン貸して」
「いいよー、何書くの?」

 それには答えずに、美海の整った字の下に、なるべく丁寧な字で書き込む。
 凪斗とキスする。
 書き終えてペンを置くと、美海がきょとんとした顔でまばたきを二つ。それから、面白いくらいに頰を真っ赤に染めて、慌て出した。

「な、なに書いてるの! ボールペンなのにっ」
「ツッコむところ、そこかよ」

 もー、なぎちゃんのばか、からかわないでよ、と頰を膨らませる美海。
 からかったわけではないけれど、ふざけていると思われたらしい。

 美海、と名前を呼ぶ。頰の赤い美海が、首を傾げた。座っていた椅子から身を乗り出して、美海に顔を近づける。
 状況を理解したらしい彼女が、目をうろうろとさまよわせ、それから覚悟を決めたようにぎゅっとまぶたを閉じる。
 時間でいったら、きっとほんの数秒のことだ。それでも俺には、永遠のように感じられた。
 ふわりとやわらかいくちびるに、自分のそれを重ねる。そこから先は、どうしていいか分からなかったので、角度を変えて何度もくちびるを求めた。

 美海の細い指がぎゅっと俺の服を握ってきて、はっと我に返る。そっとくちびるを離すと、美海がゆっくり目を開ける。その瞳は涙で潤んでいて、お腹の奥の方が熱くなるような気がした。

「ご、ごめん、がっつきすぎた……」
「…………う、うん、えっと…………」

 照れているのか、やけに静かな美海はとても珍しくて、まじまじと見てしまう。赤い頰の熱をとるように、ぱたぱたと手で仰ぎながら、美海が小さく呟く。

「知らなかった」
「ん?」

 ちゅーって、気持ちいいんだね。
 その言葉に、何やらたまらない気持ちになった俺は、椅子の下に崩れ落ちた。

「えええっなぎちゃん!? 大丈夫!? 発作!?」
「ち、違うし…………」

 ある意味発作だけど。言えるはずがない。
 美海がかわいすぎて、心臓がやられそうだ、なんて。
 幸せだ。今、間違いなく、俺は幸せだ。
 どうか美海も同じ気持ちでありますように。そう願いながら、昂った気持ちをおさめるべく、うずくまりながら深呼吸を繰り返すのだった。