儚くて透明な最後の冬に、春の声を感じた

(私は、みんなと同じなのに……)

 線引きをされた私は、再びマスクの世界へと閉じこもる。
 午後の授業の準備をしようと思って、机の中から教科書を取り出そうとしたときのことだった。
 教室を流れている空気が変わった。

「…………」

 昼休みだから、織原くんがどこに行こうと何も気にすることはない。
 でも、織原くんがいなくなった教室を(まと)う空気の寂しさに気づいてしまった。
 廊下へと向かって行く織原くんに視線を向けてしまったが、最後。
 次の授業の準備なんてどうでも良くなってしまって、自然と動き始めた私の足は教室からいなくなった織原くんのあとを追いかけた。

(どこに行くんだろう……)

 織原くんはロッカーに詰め込まれたコートを取り出して、それを着込んだ。
 マフラーも巻いての重装備。
 登下校のときと同じ格好をしている織原くんに違和感。
 でも、鞄は持っていないから、織原くんは早退するための重装備というわけではないらしい。

(マスクつけてて、良かった)

 織原くんがどこに向かうのか想像もつかなかった私もコートを着込んできたけど、コートを来た二人が昼休みの廊下を歩くのは明らかな不自然。
 誰も私たちに注目していないと分かっていても、二人だけっていう特別は私に大きな羞恥を運んでくる。
 マスクは、そんな羞恥すらも隠してくれる大切な存在。

(屋上……)

 屋上は自由に出入りができるようになっている。
 開放感ある人気な場所で、昼休みや放課後に利用する人が多い。
 でも、11月から2月までは、その人気を集める場所が封鎖される。
 寒さや雪で健康を害するといけないっていう、先生の配慮というわけではない。

(屋上に行くの、初めて……)

 私の高校では、11月から2月にかけて美術部が屋上で活動をする。
 美術部に所属する三年生の卒業制作、チョークアート。
 完成したチョークアートに卒業生が混ざり込んで、卒業式の日にドローンで記念撮影。
 卒業アルバムには残らないけど、卒業生の心には大きく響く高校の伝統行事でもあった。

「藤島さん」

 奥所の階段を上る途中で、私は織原くんに迎え入れられた。
 階段を上り切ったところでマスクを外して、必要な酸素を取り込むためにマスクを外す。
吐き出す息が真っ白に染まっていくところが視界に入って、私は再びマスクで自分の口を隠す準備を整える。

「美術部へようこそ」

 友達に屋上に行こうと誘われたことのなかった私は、屋上に行くのも初めてだった。
 そして、クラスメイト(他人)に興味を持つのも、初めてのことだったかもしれない。
「藤島さん、久しぶり~」
「あ、藤島さんだ」

 マスクを利用して自分の声を閉じ込めていた私は、高校生活の中で碌な人間関係を形成できなかったと思う。
 それなのに、屋上でチョークアートの制作に勤しんでいる同じ学年の人たちは私の苗字を知っていた。

「あ……」

 マスクの中で、声が止まる。
 想いをかき集めて彼女たちのことを呼びたかったのに、自信のなさは元クラスメイトの苗字を呼ぶことすら許してくれない。

「色塗り、手伝ってもらおうと思って」
「えー、助かる」

 美術部の生徒が何人いるとか、今年の三年生は何人とか。
 まったく把握していなかった。
 関心を持っていなかった。
 だから、屋上には織原くんを含めて四人の生徒しかいないってことに驚かされた。

「卒業式には感動に浸れる、いい催しだとは思うんだけどねー……」

 織原くんは溜め息交じりに、赤いチョークが敷き詰められた箱を持って私を誘導する。

「今年は四人しか三年がいないから、地獄の作業」

 相変わらず、マスクをしている織原くんの感情は声と瞳で確認するしかない。
 でも、その声と瞳だけで、織原くんがチョークアートの制作を心底嫌に思っていないことが伝わってくる。

「屋上チョークアートって、上から撮影するときになんの絵かわからないとダメで……」

 美術部でもない私に、織原くんは丁寧に説明をしてくれる。
 卒業生が全員集うことができるくらい広い屋上。
 屋上全体に広がるチョークアートを完成させないといけないのに、四人の美術部部員は心もとなく見えた。

「これが桜の花びらで……」

 それでも、四人の美術部員は高い技術を誇っていた。
 私は織原くんの説明を理解するのにいっぱいいっぱいで、それだけで時間が潰れてしまうほど。
 そんな私を置いて、美術部員の人たちはチョークアートを完成させるために手を動かしていく。

「赤と黄色混ぜると、こんな感じで温かみのある色になって……」

 私にチョークアートの技術を説明しながら、一枚の花びらを完成させてしまう織原くん。

「藤島さん、選択なんだった?」
「音楽……」

 屋上に来て、初めて出した声。
 とても弱々しくて、聴覚が拾うことすら難しいと思えてしまうほどの音。
 ここにはノートがないから、筆談で話をすることもできない。
 私は自分の声で言葉を交わさざるを得ないのに、自分の声には綺麗さの欠片もないから恥ずかしくなってしまう。

「よし、じゃあ、藤島さんは赤担当ね」

 短時間の間で多くの技法を説明されたのに、私にできることといったら指定された場所に赤を塗っていくことくらい。
 それしかできないことに申し訳なさを感じていると、そんな私の感情に気づいた織原くんは頻繁に声をかけてくれる。

『大丈夫』

『自信を持って』

『綺麗、綺麗』

 それらのお世辞に戸惑ってしまうけど、織原くんの声で紡がれた言葉の数々に心が温められていくのを感じる。
 お世辞も積み重なれば他人()の役に立つんだってことを、織原くんの声を通して教えてもらう。

「藤島さんが赤を加えてくれると」

 吹く風の音と、チョークと屋上のコンクリートが響き合う音しか拾っていなかった聴覚が、織原くんの声を聴くために活動を始める。
 
「花が生きてるって感じがする」

 織原くんも、私と同じマスク仲間のはずなのに。
 どうして、こんなに人の聴覚を惹きつけてしまうのか。
 ずっと、ずっと、狡いと思っていた。
 ずっと、ずっと、羨ましいと思っていた。
 でも、それらを言葉にしたら、私は織原くんに嫌われてしまうと思って、私は口を閉ざして赤色のチョークと向き合う。

「普通は授業で、色を混ぜたりしないからね」

 チョークの色を混ぜ合わせるって技術があることも、チョークアートをやるまでは知らなかったと織原くんは教えてくれる。

「……卒業制作ならでは、だね」

 長いようで短い昼休み。
 私が発した言葉は、その一言くらい。
 その、たった一言を発しただけで、織原くんは柔らかく笑ってくれた。
「来月から、自由登校かぁ」

 灰色がかった雲が覆う空の下、今日も美術部の人たちは卒業制作に勤しんでいた。
 私以外にもボランティアの生徒が屋上を訪れていて、いつもよりほんの少しだけ賑わう屋上。
 人の活気で溢れているのに、屋上にストーブを運んできたいくらい空気が冷え込んでいる。
 新鮮な空気を取り込むためにマスクを外して、呼吸を繰り返すたびに白い息が空へと昇っていく。

「俺、学校が好きだったから」

 今日も私は織原(おりはら)くんの話を聞きながら、緑の塗装がされているコンクリートの上に赤い色を足していく。

(学校が好きな織原くんは進学、かな)

 高校生活の三年間に想いを馳せる織原くんを見て、そんなことを思った。
 高校を卒業するって、やっぱり中学の卒業のときとは感覚が違う。
 高校に進学するのが当たり前のように思えた中学の頃と違って、進むべき未来の選択肢が広がりすぎて怖くなる。

「卒業式の、たった一日しか披露することがないチョークアートだけど」

 織原くんの話を聞いたところで、彼が満足しているのかなんて分からないけれど。
 ただ単に、言葉を発しない私に気を遣っているだけのことかもしれないけれど。
 そんな不思議さと申し訳なさが漂う空気の中、私は織原くんの話を聞くのが好きになりつつあった。

「卒業式に、みんなの笑顔が見れるなら寒いのも苦にならないんだよねー」

 織原くんは、卒業式の日のことを夢見ているのかもしれない。
 あまりの寒さに顔が硬直して、口角を上げることすら難しい。
 マスク越しの口角は無理をしているはずなのに、織原くんは私に綺麗な笑みを向けてくれた。

(マスクをつけてるのに、織原くんの笑顔が伝わってくる)

 無理に笑わなくてもいいよって声をかけることもできるけど、織原くんが頑張りたいことだったら私は織原くんの笑顔を受け入れたい。

「この卒業制作も気合入れて、完成させたいなって」

 赤いチョークを持つ手に、力を込める。
 独りでは桜の花びらを彩ることはできないけれど、織原くんが黄色を塗り重ねてくれると屋上に春を呼び込むことができるから。

「……技術がないのに」

 マスクの向こうから、声を出す。
 織原くんと言葉を交わすために、声を絞り出す。

「手伝わせてくれて、ありがとう」

 声を出すってだけで、心臓の音がうるさくなる。
 この間まで、赤の他人に等しかった織原くんと言葉を交わさなければいけないプレッシャーからなのか。
 自分の声を人に聞かせるのが、恥ずかしいだけなのか。
 どんな理由があるにしても、私の心臓は可笑しな揺れ動きで私のことを驚かせる。
「藤島さん」

 彼に、苗字を呼ばれた。
 顔を上げると、マスク仲間の織原くんが私のことを待っていた。

「やっぱ綺麗だね、藤島さんの声」

 ほかの場所で作業している美術部員が、私のことを呼ぶはずがない。
 屋上で他人()を迎え入れてくれるのは織原くんって決まっているはずなのに、私は織原くんの顔を視界に入れるたびに安堵の気持ちを抱える。

「クラスが同じになったときから、綺麗だなって思ってたから」

 私のことなんて、誰も注目していない。
 私のことなんて、誰も興味を持っていない。
 線引きをされた私がクラスメイトの輪に入ることなんてできないはずなのに、織原くんは引かれた線を消し去って私を線の向こう側へと招き入れてくれる。

「私……ほとんど喋ったことないよ」
「気づいてたよ。気づいてたから、たまに聴く藤島さんの声が印象に残ったのかも」

 織原くんは、大丈夫だよって語りかけてくれているかのような優しい笑みをマスクの向こう側から届けてくれる。
 マスクを外した織原くんの笑顔が見てみたいって思ったけど、その言葉はマスクの中に引っ込んでしまう。

「俺と話をしてくれて、ありがとう」

 私の瞳が、涙で揺らぎ始めてしまったのかもしれない。
 織原くんが与えてくれる安堵の気持ちが一瞬、寒さで揺らいでしまったのかもしれない。
 織原くんは声と穏やかな目元を通して、いつもと変わらない笑顔を与えてくれる。

「ちょっと、今日は冷えるなー……」

 織原くんは手袋と手袋を擦り合わせてみるけど、それだけでは体温が戻らない季節が巡ってきたということ。
 寒さがだんだんと厳しくなることで、私は織原くんと一緒に過ごす休み時間を失っていく。

「ごめん!」

 こんなにも広い屋上なのに、織原くんの声はどこまでも届いてしまいそうな希望に包まれる。
 屋上で作業していた人たちの注目を集めた織原くんは、みんなに伝言するために大きな声を出す。

「中に戻る!」

 外で作業をしていたから、体調を崩しました。
 そんな言い訳をするわけにもいかないため、寒さに限界を感じたら校舎の中に入っていいことになっている。

「藤島さん、どうする?」
 
 確かに、寒いことは寒い。
 でも、まだ11月下旬ということもあって、校舎に戻るほどの寒さには悩まされていない。

「一緒に……」

 織原くんがいないと、美術部でもなんでもない私は作業ひとつのミスがチョークアートの失敗に繋がってしまう。
 美術部員に迷惑をかけないためにも、一旦校舎の中へと戻った。
藤島(ふじしま)さんみたいなボランティア、もう少し増えてくれるといいんだけど……っ」

 屋上から、暖房が稼働している教室へと向かう途中の階段で。
 織原(おりはら)くんは一段、踏み外した。

「織原くん!」
「大丈、夫っ!」

 本当は、大丈夫じゃないのかもしれない。
 そう思ってしまうのは、マスクをつけていた状態では織原くんのことを確認できないから。
 声と、目元でしか、織原くんの無事を確認することができない。

「足、上手く動かせなかった……はは……」

 だから、聞かなきゃいけない。
 本当に大丈夫かってことを、確かめなきゃいけない。

「織原くん、体調悪い……?」

 階段を踏み外した織原くんの元へと駆け寄って、私は織原くんの顔を覗き込む。
 マスクが邪魔だって思うけど、仕方がない。
 声と、目元と、織原くんの言葉を信じることしか私にはできない。

「……少し……ほんの少しだけ」

 織原くんは、笑った。
 大丈夫だよ。
 なんでもないから、心配しないで。
 そんな気持ちを伝えるための笑顔を、マスクの向こう側から用意した。

「向かうのは教室じゃなくて、保健室。ね」

 ひんやりとした何かが、私の手をかすめた。
 校舎の中に入った私たちは手袋を外していて、互いの手を触れ合わせることができる状態。

「手、借りてもいいかな」

 手を繋ぐ。
 手を握る。
 織原くんを近くに感じるはずなのに、どっちの手も冷たくて互いの熱を感じられない。

「好きでもない男に触れられるって、気持ち悪いよね」
「保健室に連れて行くだけで、大袈裟」

 早く、春になればいいのに。

「だから、気にしなくていいよ」

 早く、暖かさを感じられたらいいのに。

「気にしないで」

 早く、織原くんに春の暖かさを感じてもらえたらいいのに。
「昨日は、本当にごめん!」

 織原(おりはら)くんと再会した翌日。
 織原くんは、これでもかっていうくらい深く頭を下げて私に謝罪した。

「織原くんが元気になったなら、それで……」

 私が織原くんのことを保健室まで送り届けたのは間違いないけれど、織原くんの体調が回復してくれたら何も言うことはない。
 それなのに、織原くんは何度も何度も謝罪の言葉を告げてくる。

「あー……藤島(ふじしま)さんとの会話、記憶に留めておきたかった」
「たいしたこと……話してないよ」

 赤いチョークがすり減って、屋上を赤で染めることはできなくなってしまった。
 チョークの箱から、新しいチョークを取り出す。
 長さを取り戻した赤は、早く黄色と出会うのを待ちわびているようにも思えた。

「言葉を交わし合うって、奇跡と奇跡の積み重ねだなって」

 私が、赤を塗る。
 織原くんが、黄色を加える。
 赤と黄色が混ざり合って、新しい色が生まれる。

「あ、真面目すぎとか思った? 俺は、本気なんだけどな」

 単色だった色同士が混ざり合って、卒業を迎える三年生を祝福するための準備を整えていく。

「ひとつひとつの言葉の重なりが、俺を作ってくれてる」

 雨は降らないけど、空が暗い。
 織原くんは前向きな言葉を紡いでくれているのに、雲は太陽の存在を隠してしまった。

「藤島さんも、だよ」

 私との会話が、織原くんという人を作り上げている。
 織原くんは、そう言いたいのだと思う。
 けど、私は織原くんの話の聞き役でしかない。
 そんなに凄いことはできていないのに、織原くんは物語に出てくるような綺麗な表現をしてくれる。

「……卒業っぽいね」

 物語を読み終わるときの寂しさのようなものが渦巻いていく。

「あ、藤島さんが返してくれた」

 言葉を返しただけで、織原くんは嬉しそうに笑ってくれる。
 それだけ自分が、マスクの中に自分の声を閉じ込めているってことを自覚する。

「もっと早く、藤島さんに話しかければ良かった」

 もっと早く出会っていたら、私はもっと早く声を出すことができたかもしれない。
 自分の声を閉じ込めることなく、クラスメイトと話ができるようになっていたかもしれない。
 でも、もっと早くって言葉は妄想するだけで、現実の私たちは過去へ戻る術を持たない。
「あ、でも、未来に希望を抱いてもいいのか」

 未来に夢見るだけなら、いくらでもできるはず。
 それなのに、私だけは悲観的になってしまっていた。
 卒業したら、もう二度と織原くんに会うことができないと思い込んでいた。
 卒業したら、もう二度と織原くんと言葉を交わすことができないと思い込んでいた。
 未来に希望を抱くなんてことはできないと思い込んでいた私に対して、織原くんは未来への希望をくれる。

「卒業したあとも、藤島さんと話がしたい」

 私は、もっと彼と話をしてみたい。
 私は、もっと彼の話を聞いてみたい。
 そんな感情が生まれてくるけど、言葉を返すことができない。
 私が話すことをやめてしまったら、織原くんとの言葉を交わす時間が終わってしまうと分かっているのに声が出てこない。

「織原くん、病み上がりだから……」

 自分の気持ちを伝えることなく、別の話題を振る。
 自分の声が嫌い。
 自分の声が、綺麗に聞こえない。

「普段以上に、あったかくしてね」

 自分の声が大嫌いな私は、自分の世界を狭めていくことしかできない。
 私に織原くんのような綺麗な未来を描くことはできないけど、織原くんの体調を気遣うことくらいならできる。
 あまりにも小さな声で何を言っているか聞き取れないかもしれないけど、織原くんの元に使い捨てカイロを持って行く。

「無理してない……?」
「うん、大丈夫」

 使い捨てカイロを手渡すときだけ、織原くんは手袋を外した。
 手袋同士でやりとりするのは礼儀がなっていないのかなと心配になって、私も一緒に手袋を外す。

「今日だけじゃなくて、明日も明後日も寒いから……」
「お互いに気をつけないとだね」

 使い捨てカイロを手渡す際に、織原くんの指に触れた。
 どっちの指も涙が出そうなくらい冷え切っていて、二人で急いで手袋をはめた。

「もっと保温性のある手袋欲しいー!」

 屋上に、織原くんの声が響く。
 チョークアートの作業をしている人たちが織原くんの方を振り向いて、みんなが織原くんの一言に笑顔を浮かべた。
 そして再び、それぞれの作業へと戻っていく。

「さて、今日も花びら担当、頑張りますかっ」
 
 手を取られる。
 今日はどこの花びらを塗るか説明を受けていて、織原くんに屋上を案内してもらう必要はない。
 それなのに、私たちは手を繋いだ。
「ありがと、藤島さん」

 織原くんの手袋と、私の手袋が触れ合う。
 互いの温もりなんて感じるはずがないのに、繋ぎ合った手にあたたかさを感じた。

「……織原くん」
「ん?」

 彼の温もりに触れた瞬間、泣きたくなった。
 自分の中で、どんな感情が湧き上がったのかは分からない。
 自分で、自分のことが分からない。
 でも、織原くんと過ごす一秒一秒が、とても大切な時間のように感じられた。

「藤島さん、泣かないで」

 泣いている子どもをあやすかのような、そんな優しい声色で織原くんは私に話しかける。

「笑顔は隠すことができても、涙は隠すことができないから」

 織原くんは、いつから私のことを気にかけてくれていたのか。
 三年生になって、同じクラスになったときから?
 それとも卒業間近になって、クラスメイトのことをよく知りたいと思ってくれたから?

「その涙、拭いたくなっちゃうから」

 その答えを知りたいのかもしれないけど、その答えすら知らないままでもいいと思えた。

「俺ね、毎日、泣いてばっかなんだ」
「毎日……?」
「そう、毎日っ」

 織原くんと過ごす、このかけがえのない一秒一秒があれば。
 私は、この幸福感に溺れることができる。
 ほんの少し、ほんの少しだけ、言葉を交わすために声を出してみようっていう勇気が生まれてくる。

「高校が大好きすぎるみたいで、卒業式が近づくたびに涙腺大崩壊。らしくないよね」

 私は、もっと織原くんと話がしたい。

「そんなこと……ない……そんなことない、よ……」

 それなのに、もうすぐで私たち三年生は卒業を迎えてしまう。

「ありがと、藤島さん」

 織原くんは卒業したあとも私と話がしたいと言ってくれた。
 けど、クラスメイトの関係が途絶える私たちが、未来で言葉を交わし合うことは難しくなっていく。

「いい卒業式、迎えたいね」

 こんなにも近くに織原くんがいるのに、彼の声が遠くで聞こえるような感覚。
 彼は、もうすぐで私の前からいなくなってしまうからかもしれない。
 もうすぐ、彼は私のクラスメイトではなくなってしまうからかもしれない。

「お互い笑顔で、ね」

 高校から卒業するって、そういうこと。

「うん、私も一緒に笑いたい」

 別れの日が近づいているって、そういうこと。

儚くて透明な最後の冬に、春の声を感じた

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