「来月から、自由登校かぁ」

 灰色がかった雲が覆う空の下、今日も美術部の人たちは卒業制作に勤しんでいた。
 私以外にもボランティアの生徒が屋上を訪れていて、いつもよりほんの少しだけ賑わう屋上。
 人の活気で溢れているのに、屋上にストーブを運んできたいくらい空気が冷え込んでいる。
 新鮮な空気を取り込むためにマスクを外して、呼吸を繰り返すたびに白い息が空へと昇っていく。

「俺、学校が好きだったから」

 今日も私は織原(おりはら)くんの話を聞きながら、緑の塗装がされているコンクリートの上に赤い色を足していく。

(学校が好きな織原くんは進学、かな)

 高校生活の三年間に想いを馳せる織原くんを見て、そんなことを思った。
 高校を卒業するって、やっぱり中学の卒業のときとは感覚が違う。
 高校に進学するのが当たり前のように思えた中学の頃と違って、進むべき未来の選択肢が広がりすぎて怖くなる。

「卒業式の、たった一日しか披露することがないチョークアートだけど」

 織原くんの話を聞いたところで、彼が満足しているのかなんて分からないけれど。
 ただ単に、言葉を発しない私に気を遣っているだけのことかもしれないけれど。
 そんな不思議さと申し訳なさが漂う空気の中、私は織原くんの話を聞くのが好きになりつつあった。

「卒業式に、みんなの笑顔が見れるなら寒いのも苦にならないんだよねー」

 織原くんは、卒業式の日のことを夢見ているのかもしれない。
 あまりの寒さに顔が硬直して、口角を上げることすら難しい。
 マスク越しの口角は無理をしているはずなのに、織原くんは私に綺麗な笑みを向けてくれた。

(マスクをつけてるのに、織原くんの笑顔が伝わってくる)

 無理に笑わなくてもいいよって声をかけることもできるけど、織原くんが頑張りたいことだったら私は織原くんの笑顔を受け入れたい。

「この卒業制作も気合入れて、完成させたいなって」

 赤いチョークを持つ手に、力を込める。
 独りでは桜の花びらを彩ることはできないけれど、織原くんが黄色を塗り重ねてくれると屋上に春を呼び込むことができるから。

「……技術がないのに」

 マスクの向こうから、声を出す。
 織原くんと言葉を交わすために、声を絞り出す。

「手伝わせてくれて、ありがとう」

 声を出すってだけで、心臓の音がうるさくなる。
 この間まで、赤の他人に等しかった織原くんと言葉を交わさなければいけないプレッシャーからなのか。
 自分の声を人に聞かせるのが、恥ずかしいだけなのか。
 どんな理由があるにしても、私の心臓は可笑しな揺れ動きで私のことを驚かせる。