「それで店主、少々相談があるんだが」

 幾つかの品の購入を決めたあと、珀弧は(おもむろ)に切り出した。

「へぇ、なんでも仰ってください。こんなにお買い上げいただいたのですから多少の無理はいたしますよ」
「これを店に置いて欲しい」

 珀弧は首を捻り、髪を結んでいる組紐を指で摘まみ見せた。

「組紐、ですか。そりゃ、置けと言われましたら置きますが、いったいその組紐にどんな意味があるんですか?」
「凍華が作った物で妖狩りの目を眩ませる効果がある」
「へっ。妖狩りのですか? それはいったいどういうことでしょう?」

 ぐいっと前のめりになった店主の反応に、珀弧はにやりと口角をあげると、凍華を見て説明するように促した。
 組紐を店頭に置いてもらうということさえ今知ったばかりなのに、と狼狽えながらも、凍華は桑の葉もどきや、大きな蚕に似た生き物から繭を作って糸を紡いだことを話した。
 
 その話を頷きながら聞いた店主は、手を膝の上に乗せ感心したように大きく頷く。

「そんなことができるなんてぇ、お嬢様は器用なんですね」
「いえ、育ててもらった家が養蚕工場を経営していたので、見知っていただけです」
「謙遜されなくてもようございます。あの葉には確かに妖狩りの目を眩ます作用がありますが、煎じて飲んでも効き目はせいぜい二刻。私は一度味見しただけですが、それはもう、あれを飲むなら店の前の泥水を飲んだ方がマシってもんでして。それが組紐を身に着けるだけで良いなんて、こんな画期的なことはございません」
「では、置いてくれるんだな」
「もちろんです。この店には妖も多く来ますので皆、喜ぶでしょう。むしろこちらからお取引をお願い申し上げます」

 店主が頭を下げるのを見て凍華は慌てるも、珀弧は口角を上げながら袂に腕を入れゆったりと二人を見ていた。
 どうやらこうなることが初めから分かっていたようだ。

「あ、あの。頭を上げてください」
「はい! で、いつ、どれぐらい(おろ)してもらえますでしょうか」
「え……えっと」

 すっかり商売人の顔になった店主は、ぐいぐいと詰め寄ってくる。
 助けを求めるように珀弧を見れば、自分で決めろと言わんばかりに茶を飲んでいた。
 それでは、と三週間後に五十個ほど持ってくると約束をすれば、先払いに金を払ってくれるというではないか。

「お代金はお品をお渡ししたときで結構です」
「いや、これは私の都合なんですよ。こんな貴重な品、他の店に奪われてはいけませんから、前払いとして四割支払います。ですから、出来た品は全部この河童堂にお持ちください」

 商売のことなんて全く分からない凍華が、茶を飲む珀弧の袖をひっぱり助けを求めると「それでいいだろう」と答えてくれた。
 さらには、これからの取引は凍華が直接、店主とやり取りをするようにとも付け足す。

「私が、ですか」
「これからは、女性も仕事をする時代になるだろう。初めのうちは俺も同行するし、俺が無理なときは凛子に頼むので心配はいらない。やってみてはどうだ」

 いきなりのことに、凍華は事情が飲み込めない。
 でも、いつまでもお世話になりっぱなしというわけにはいかないし、珀弧や凛子が助けてくれるのならと、戸惑いつつも頷いた。
 何より、自分の作ったものが人の役に立てるなんて初めてのことで、胸が熱く腹の底から力がこみ上げてくるように思う。

(珀弧様は、俯き自信のない私を変えようとしてくださっているのだわ。仕事をくれるのは、居場所のない私を思ってのこと)

 新しい世界が目の前にどんどん開かれていくように感じる。
 世の中は、凍華が思っていたよりずっと広く、良いものなのかも知れない。


 店を出ると、珀弧は再び大通りへと歩いていく。
 凍華も、今度は顔をしっかりと上げそのあとに続いた。
 とはいえ、二人を見る視線がなくなったわけではなく、相変わらずは珀弧を見てはほぉ、と嘆息する女性は多い。

(これほどの見目に加え、珍しい洋装を着こなしていらっしゃるのだから、振り返る人がいるのは当然よね)

 珀弧の一歩後ろを、買った品を包んだ風呂敷を抱え歩く凍華にも視線は飛んでくる。奇異なものを見る眼差しではないが、あからさまに嫉妬が含まれていた。それはそれで居たたまれない。

 縛らく歩き、もう帰るのだろうと思っていた凍華だったが、珀弧は再び暖簾をくぐった。
 今度は大通りに面する大店だ。

「ここも珀弧様のお知り合いが経営されているのですか?」
「ああ、先ほどの店主の姉がここに嫁いでいる。必要な着物はこの店で買うことが多く、凍華が今着ている着物も、ここで凛子が見繕ったものだ」

 凍華は改めて自分が着ている着物を見る。
 品が良いと思っていたけれど、まさかこんな老舗呉服店の品だったとは。

(私なんかが着て良い品ではないわ)

 そう思うと同時に、珀弧に自分を卑下しないよう言われたことを思い出した。 
 それならせめて珀弧に恥をかかせぬよう、みすぼらしく見えないようにと背筋を伸ばすと、背後から鈴を鳴らすような声が聞こえてきた。

「珀弧様、やっときてくださったのですね。叔父のところには顔を見せるのに、ここにはちっとも姿を見せてくれないのですもの。寂しかったですわ」

 凍華とさほど歳の変わらない娘が珀弧にかけより、その腕を掴む。
 ころころと笑う娘の様子からして二人は親しそうに見える。

「母親は留守か?」
「今、奥で常連様の接客をしています。母の手があくまで私がお相手いたしますわ」
「そうか、それなら彼女に見合う春物の反物を持ってきてくれ」
「彼女?」

 そこでやっと凍華の存在に気がついたようで、娘が眉根を寄せた。

「俺が世話をしている凍華だ。ついこの前、凛子が使いにきたはずだ」
「……はい。その毬の着物は見覚えがあります」
「凍華、この店の娘で若菜だ。歳は同じぐらいだから、彼女に選んでもらえば良い」

 珀弧は若菜に、店主である父親はいるかと聞き、店の奥で帳簿を付けていると知ると、少々席を外すといって奥の暖簾の向こうへと消えていった。

「珀弧様は、人間の里では着物を異国のかたに紹介するお仕事をされているのですよ」
「そうだったのですか。時々現し世に行かれるので不思議に思っていたのですが、仕事がおありなのですね」

 現し世に時々出かけるのは珀弧からも聞いてはいたが、仕事について聞くのは初めて。
 出かけるたびに美味し食べ物を買って帰ってくるので、考えればそのお金をどこかで稼いでいたはずだと思い至るのだが、妖が現し世で仕事を持っているとは想像だにしなかったのだ。

 自分より若菜が珀弧をよく知っていることに、凍華の胸が小さく痛んだ。

(でも、珀弧様と知り合ってまだひと月だもの。私が知らないことがあるのは当然だわ)

「父は妖のことは知らないので、あなたも父親の前では人間のように振る舞ってね」
「……私は半妖ですので、ご心配には及びません」
「あらそうなの。そういえば『人間の里』ではなく現し世と仰ってましたものね。妖は現し世、幽り世なんて言い方をしませんもの」

 言われて初めて、珀弧や凛子が『現し世』と言っているのを聞いたことがないと思い当たる。

(初めに、『現し世』『幽り世』は人間の呼び方だと仰っていたわ)

 若菜に指摘され始めて気づくなんてと、凍華は情けない思いでいっぱいになった。
 一緒に暮らし、いろんなことを知って理解したつもりになっていたが、実際は何も分かっていなかった。