組紐を珀弧に渡して数日後、凍華は凛子に渡された真綿紡ぎの訪問着に袖を通していた。
 縦糸、横糸ともに真綿で紡いだこの着物は、ふっくらとして暖かい。
 淡い桃色地に手毬柄の可愛い着物に、半襟は塩瀬(しおぜ)、帯揚げは綸子(りんず)を合わせる。もちろん全て凛子の見立てだ。

 髪は上半分だけを結い上げ、あとはふわりとおろした。
 なみうつくせ毛は目立つけれど、珀弧が綺麗だと言ってくれたので、おろすことにしたのだ。

 玄関に向かえば、洋装に身を包んだ珀弧がいた。
 夜の空のように深い紺色の背広は長身の珀弧にとてもよく似合い、凍華の心臓が勝手に早くなる。
 それに、いつもと違って見えるのは服の所為だけではない。

「どうした? やけに見られている気がするんだが」
「髪と瞳の色が違います」

 銀色の髪は濡れ羽のような漆黒に、綺麗な琥珀色の瞳も黒曜石のように黒く変わっている。

「あの髪と瞳では目立つからな」
「……私も、瞳の色を変えることができるのでしょうか?」
「うまく妖力を扱えるようになれば可能だが、凍華は自分に妖の力を感じたことはあるか?」

 激しい喉の渇きと、遊郭で男の喉を掴んだことを思い出す。思い出すと同時にぞっと背中が粟だった。
 あれが人ならずの力――妖力だとしたら。

 しかし、口に出すのが憚られ黙っていると、珀弧はサラリと話題を変えた。

「では行くか。糸以外にも春物の着物や細々とした必要なものを買えば良い」
「そんな、そこまでしていただく理由がございません」
「理由ならある。この組紐だ」

 珀弧は洋装にも関わらず髪につけている組紐を指差す。

「凍華の予想通り、この組紐は妖の力を隠すことができるようだ。ロンとコウからそれを確認したと報告があった」
「報告ですか。でも、どうやって確認したのですか?」
「組紐を身に着けたまま妖狩りに近付いたらしい。いつもより至近距離にいても気づかれなかったと喜んでいた」
「そ、そんな。危ないではないですか!」
「逃げ道は確保していただろうし問題ない。少々頼んでいた調べ物もあり好都合だった」

 けろりと言う珀弧に対し、凍華の顔色はどんどん青くなっていく。
 もしかして、と安易な気持ちで作った組紐のせいでロンとコウの身に何かあったらと思うと恐ろしい。

「そんな顔をするな。あいつらはああ見えて賢い。無茶なことはしない」
「とてもではないですが、そうは見えないです!」
 
 あんな小さな子に何をさせるのかと怒っていると、珀弧は目を丸くし凍華を見てきた。

「何でしょうか?」
「いや、凍華が怒るのを初めて見たと思ってな」
「あっ、も、申し訳ございません。私、失礼なことを」

 慌てて頭を下げようとすると、肩を掴まれ止められる。恐る恐る珀弧を見上げれば、その顔は嬉しそうに笑っていた。

「随分感情が戻ってきたようだ。それでいい」
「あ、あの……。私、珀弧様に無礼を……」
「ロンとコウを心配してのことだろう。それぐらいで俺は気を害さない。むしろ、人のために怒れる凍華は優しいと思う」

 そう言って、珀弧はカラカラと笑う。とっつきにくいほど美形なのに、一緒にいる時間が長くなるにつれ、飾り気のない姿を凍華にも見せるようになった。

「ではいくか」
「はい」

 出された手に戸惑いながら凍華が手を重ねると、珀弧は庭を歩きだした。

「少々目が回るかもしれぬが慣れれば大丈夫だ」

 何を、と聞くまでもなく白い狐火が目の前に現れた。
 ひとつ、ふたつ、と数を増やすにつれ、あたりに白い靄が立ちこめる。
 妖狩りから逃れたときと同じように激しい眩暈がしてきて、凍華は珀弧の腕にしがみいついた。

「二度目だから気を失うことはないだろうが、しっかり掴まっていろ」

 浮遊感と共に目の前の景色が真っ白になっていく。凍華は離れてしまわないように珀弧に掴まる手の力を強めた。


 「着いたぞ」の言葉に目を開ければ、そこは暗い裏路地だった。細い通りの向こうには大通りが見え喧騒が聞こえてくる。
 
「あ、あの。ここは?」
「人間の里、帝都の中心街だ。来たことがないのか?」
「はい。叔父から人の多いところに行くなと言われておりましたから」
 
 珀弧が大通りへと歩いていくので、凍華もその後を追う。
 大通りは大勢の人が行きかい、活気にあふれていた。

「こんなに人がいるのですね」
「休日はもっと多い。はぐれぬよう気を付けろ」
「はい」

 通りには幾つもの店が並び、簪や和食器、洋風の置物などありとあらゆるものが並んでいた。
 そのどれもが凍華にとっては初めて見るもので、ついつい視線をあちこちに動かしてしまう。
 物珍しさに周りを眺めることばかりに気を遣っていたが、やがて自分と珀弧をチラチラみる視線に気がついた。
 今もすれ違った若い娘が珀弧を見て頬を染め、次いで隣を歩く凍華に視線を移し、その青い瞳にぎょっと眉を顰めた。

(珀弧様はやはり見目がよろしいのだわ。それに対し、私はこんな目で……)

 奇異なものを見る目、蔑むような視線に凍華の背中がどんどん丸くなり、俯いてしまう。
 それに気がついた珀弧が立ち止まり、凍華の手を掴むと軒下へと連れていった。

「どうした、気分が悪いのか?」
「いいえ」
「では、なぜ下を向く」
「……私は珀弧様のように瞳の色を変えることができませんから」 
「そうか。すまない、早く気がついてやるべきだった。では、先にあの店に行くか」

 そういうと、珀弧は凍華の手を引き早足で歩き出した。妙齢の男女が手を繋ぐなど珍しいことで、ますます視線が集まり凍華は下を向き必死で珀弧に着いていった。