ーーー 「さよならの終着点」
死は、平等に訪れる。善人でも、悪人でも、関わってきた人達も、出会うことの無いその人も。
生まれ育ちも違う、趣味も思考も違う、容姿も性格も違う、辿ってきた足跡も違う。そんな異なる私達でも、唯一平等に訪れる死。
訪れは決まっていても、その日がいつ訪れるかは分からない。欠点をあげるとすればそこだろう。
では、もし、死が予見できるのならばどうだろう?
それまでの期間、無駄を費やすことも無く、精一杯を生き抜けるだろうか?
私の考えは否だ。
そう考えるようになったのは、とある人達の存在があったからだ。
私には、幼少期からつい先日まで死を患った親友がいた。
彼女は、死と向き合いながらも、生と共に歩んでいた。
弱みも見せずに、近い将来に訪れるであろう平等に、真っ直ぐに向かっていた。
それ故に、彼女は独りだった。誰もが彼女を腫れ物のように扱い、それでも彼女自身は人として生きていた。
そんな彼女に、私達に訪れた転機、それは、いたって普通で、当たり障りのない日常へとの片道切符。
見る人によれば、無駄と片付けられる程の日常への誘いだった。
そんな変哲のない、他人から見れば、魅力的にも映らないであろう日常。それを、無駄と呼ぶ人だっていると思う。
それでも、思い返せば、無駄とはかけ離れた日々だった。
その言葉のひとつひとつを、その顔のひとつひとつを、その匂いひとつひとつを覚えている訳ではない。
それでも、確かに刻まれ、染み込まれた想いは、有益で、大切で、幸福を纏って、確かに残っている。
当たり障りのないと思っていた日常がだ。
さて、先で述べたように、私は、予見出来た死があれば、無駄を費やすことなく、精一杯に生きていけるとは思ってはいない。
他者から見た無駄も、今の私を作っている、小さな核みたいなものだ。
これがなければ、今の私は存在しないと言えてしまうほど。
では、いつ訪れるか分からない平等を、私達はどう受け止めればいいのだろうか?
無駄がないと信じた今、その突然が訪れた時に、後悔はしないだろうか。
断じて否だと私は考える。どんなに準備を重ねても、どんなに思い出を重ねても、どんなに精一杯生きていても、最後の最後にはきっと、満足なんてしていないと思う。
生きる事に、満足なんて存在しないからだ。
定められた期間、それはとても短い時間。その中に詰め込むのには、私達の生には、魅力的なものが多すぎるのだ。
人間関係ひとつ。夢ひとつ。愛ひとつ。趣味ひとつ。仕事ひとつ。
そのどれをとっても、無限に増え続ける欲求が満たされる事は、きっと、どれほどの時を経ても、不可能だと私は思う。
しかし、その後悔の中で朽ちるとは思わない。
無駄のない人生。足りないこともあれば、一瞬でもいい。満ち足りた瞬間だってあるはずだと私は思う。
最後の瞬間。後悔よりも、満ち足りた事を思い浮かべ、それで良かったと思えれば、御の字以上だと思う。
そして、これは、自身に訪れる旅立ちに限った話ではない。
親しい誰か。私という個人の人生に、関わりを持ってくれた誰か。その人との別れにも共通するものだ。
もっと話したいこと。したい事。未来のこと。考えれば考えるほど、足りないものばかりでも、紡いできたもの。感じていたもの。交わした言葉。思い出は、満ち足りたモノとして、確かに残っている。
その確かな繋いだ縁は、私の人生となり、共存していくものだと思う。
この先、言葉を交わす事はできなくとも、思い出の中の貴方に、語りかける事はできる。
この先、この目に、その姿を映すことができなくとも、 脳裏に残像を浮かべることができる。
この先、聞き慣れた足音を、聞くことができなくとも、私が、その音を鳴らすことができる。
そうやって、サヨナラをした後の残り香は、色褪せなく続いていくのだと思う。
大切な貴方に、貴方の大切な人に、独りの夜が来ないように。
と、実はここまで綴った言葉は、今は亡き、その友人に読んで貰っていた。
彼女は、私らしいと褒めてくれた。でも、この場を借りて謝罪をしたい。
これが、私の本音ではない。まだ、言えていない事がある。彼女には言えない思いがある。
だからこの先は、理論的ではない、本能的な言葉だ。
もっと。もっと。もっと。一緒にいたかった。ただ、話をして、有限な時間を、当たり障りのない言葉で浪費したかった。
やはり、君の居ない世界には、まだ慣れることが出来ない。
気がつくと、君がいた場所を見ている。
気がつくと、君と交わした言葉を思い返している。
見慣れた景色に君がいない。そんな、永遠に満たされない日々を生きている。
変わりなんていない。変えたいとも思わない。きっと、この先も、癒える事のないこの寂しさと共に、生きていくのだと思う。
言えなかった言葉は、言えないままで。やりたかった事も、出来ないままで、大人になっても、子供のままの君を、思い描いていると思う。
ありがとうだけじゃない。ごめんなさいだけじゃない。愛してるだけじゃない。私が、言わなきゃいけない言葉。
それを言える日は来るのだろうか。この先、訪れるのだろうか。
今は到底、想像のつかない。君の居ない世界を受け入れた後に待つ世界。
しかし、今日は、ここで、形式上に、表面上に、この言葉を残しておこうと思う。
いつか、本当にそう言える日が来ることを願って。
この十八年にも満たない時間、君と過ごしてきた日々は、本当に幸せだった。同時に苦しかった。
それでも、幸せという感情が大きかったと思う。
本当に幸せだった。幸せだったんだ。ありがとう。愛してる。そして、さよなら ーーーー
死は、平等に訪れる。善人でも、悪人でも、関わってきた人達も、出会うことの無いその人も。
生まれ育ちも違う、趣味も思考も違う、容姿も性格も違う、辿ってきた足跡も違う。そんな異なる私達でも、唯一平等に訪れる死。
訪れは決まっていても、その日がいつ訪れるかは分からない。欠点をあげるとすればそこだろう。
では、もし、死が予見できるのならばどうだろう?
それまでの期間、無駄を費やすことも無く、精一杯を生き抜けるだろうか?
私の考えは否だ。
そう考えるようになったのは、とある人達の存在があったからだ。
私には、幼少期からつい先日まで死を患った親友がいた。
彼女は、死と向き合いながらも、生と共に歩んでいた。
弱みも見せずに、近い将来に訪れるであろう平等に、真っ直ぐに向かっていた。
それ故に、彼女は独りだった。誰もが彼女を腫れ物のように扱い、それでも彼女自身は人として生きていた。
そんな彼女に、私達に訪れた転機、それは、いたって普通で、当たり障りのない日常へとの片道切符。
見る人によれば、無駄と片付けられる程の日常への誘いだった。
そんな変哲のない、他人から見れば、魅力的にも映らないであろう日常。それを、無駄と呼ぶ人だっていると思う。
それでも、思い返せば、無駄とはかけ離れた日々だった。
その言葉のひとつひとつを、その顔のひとつひとつを、その匂いひとつひとつを覚えている訳ではない。
それでも、確かに刻まれ、染み込まれた想いは、有益で、大切で、幸福を纏って、確かに残っている。
当たり障りのないと思っていた日常がだ。
さて、先で述べたように、私は、予見出来た死があれば、無駄を費やすことなく、精一杯に生きていけるとは思ってはいない。
他者から見た無駄も、今の私を作っている、小さな核みたいなものだ。
これがなければ、今の私は存在しないと言えてしまうほど。
では、いつ訪れるか分からない平等を、私達はどう受け止めればいいのだろうか?
無駄がないと信じた今、その突然が訪れた時に、後悔はしないだろうか。
断じて否だと私は考える。どんなに準備を重ねても、どんなに思い出を重ねても、どんなに精一杯生きていても、最後の最後にはきっと、満足なんてしていないと思う。
生きる事に、満足なんて存在しないからだ。
定められた期間、それはとても短い時間。その中に詰め込むのには、私達の生には、魅力的なものが多すぎるのだ。
人間関係ひとつ。夢ひとつ。愛ひとつ。趣味ひとつ。仕事ひとつ。
そのどれをとっても、無限に増え続ける欲求が満たされる事は、きっと、どれほどの時を経ても、不可能だと私は思う。
しかし、その後悔の中で朽ちるとは思わない。
無駄のない人生。足りないこともあれば、一瞬でもいい。満ち足りた瞬間だってあるはずだと私は思う。
最後の瞬間。後悔よりも、満ち足りた事を思い浮かべ、それで良かったと思えれば、御の字以上だと思う。
そして、これは、自身に訪れる旅立ちに限った話ではない。
親しい誰か。私という個人の人生に、関わりを持ってくれた誰か。その人との別れにも共通するものだ。
もっと話したいこと。したい事。未来のこと。考えれば考えるほど、足りないものばかりでも、紡いできたもの。感じていたもの。交わした言葉。思い出は、満ち足りたモノとして、確かに残っている。
その確かな繋いだ縁は、私の人生となり、共存していくものだと思う。
この先、言葉を交わす事はできなくとも、思い出の中の貴方に、語りかける事はできる。
この先、この目に、その姿を映すことができなくとも、 脳裏に残像を浮かべることができる。
この先、聞き慣れた足音を、聞くことができなくとも、私が、その音を鳴らすことができる。
そうやって、サヨナラをした後の残り香は、色褪せなく続いていくのだと思う。
大切な貴方に、貴方の大切な人に、独りの夜が来ないように。
と、実はここまで綴った言葉は、今は亡き、その友人に読んで貰っていた。
彼女は、私らしいと褒めてくれた。でも、この場を借りて謝罪をしたい。
これが、私の本音ではない。まだ、言えていない事がある。彼女には言えない思いがある。
だからこの先は、理論的ではない、本能的な言葉だ。
もっと。もっと。もっと。一緒にいたかった。ただ、話をして、有限な時間を、当たり障りのない言葉で浪費したかった。
やはり、君の居ない世界には、まだ慣れることが出来ない。
気がつくと、君がいた場所を見ている。
気がつくと、君と交わした言葉を思い返している。
見慣れた景色に君がいない。そんな、永遠に満たされない日々を生きている。
変わりなんていない。変えたいとも思わない。きっと、この先も、癒える事のないこの寂しさと共に、生きていくのだと思う。
言えなかった言葉は、言えないままで。やりたかった事も、出来ないままで、大人になっても、子供のままの君を、思い描いていると思う。
ありがとうだけじゃない。ごめんなさいだけじゃない。愛してるだけじゃない。私が、言わなきゃいけない言葉。
それを言える日は来るのだろうか。この先、訪れるのだろうか。
今は到底、想像のつかない。君の居ない世界を受け入れた後に待つ世界。
しかし、今日は、ここで、形式上に、表面上に、この言葉を残しておこうと思う。
いつか、本当にそう言える日が来ることを願って。
この十八年にも満たない時間、君と過ごしてきた日々は、本当に幸せだった。同時に苦しかった。
それでも、幸せという感情が大きかったと思う。
本当に幸せだった。幸せだったんだ。ありがとう。愛してる。そして、さよなら ーーーー