ーーー 現在。部室とかした病室で、四人は他愛のない時間を浪費していた。

「あ、そうそう。渡すの忘れてたよ! 見やすいといいんだけど、これ」

神影は鞄から、自らのノートのコピーを手渡す。

「これって………」

「授業のノートだよ。休んでいる間は暇だと思うし、少しでもやっておけば、不安なく復帰できるでしょ!」

復帰。その言葉に異を唱える者も、そもそも抱く者もこの場には居ない。

「ありがとう。これで、復帰後、問題なくついていければ、評価が上がるし、そうでなくても、休んでいたから、という言い訳も出来るし、選択肢の幅が広がったわ」

「そういうところ、ちゃっかりしてるよね」

咲夜のユーモアの含んだ返答に、神影は大きく笑窪を作る。

「うしっと!」

そう会話に一区切りついたところで、病室の時計を一瞥した尚人が立ち上がる。

「わりぃ。俺はそろそろ行くわ。帰りに、お遣い頼まれていてよ」

「それじゃあ、私も。参考書見に行こうと思ってたんだ。洸くんはどうする?」

「うん。僕は、もう少しここにいるよ」

「したっけ。またな、咲夜。洸は明日」

尚人は、咲夜と洸に向けて手を挙げると、背伸びをしながら扉へと向かう。

「なぜ急に、北海道弁? まぁいいや。じゃあ、咲夜ちゃん、洸くん。バイバイ!」

神影も尚人に続いて、右手を紙吹雪のようにひらひらと振りながら、病室を後にした。

残された二人の間には沈黙が訪れ、それでも、二人にとっては、その沈黙も居心地の悪いものでは無かった。

「もうあっという間に、コンテストだね」

咲夜はそう言って、ベッドの横の暦を見る。

「うん。ここまで来たら、あとはやるだけって感じだし、本番はどうか分からないけど、今のところ、緊張する要素は見当たらないよ」

洸は、そんな心のゆとりを、笑みに反映させる。

「流石は部長さんだね。肝が座ってるよ」

「どうかな? 鈍感なだけなのかも」

「フフッ。それはあるかもね」

穏やかに流れる空気が、二人の時間までも緩やかに流していく。

「なんかさ。昨日の夜、ふと考えたんだ。この数ヶ月の事。普通の人なら、ほんの一握りの時間だと思うけど、分母の少ない私にとっては、とても貴重な時間だった。大袈裟に言えば、私の人生史上、最高の瞬間を、日々更新しているような。そんな日々だった。そして、それを、きっと私は、全て伝えられずに、また次の世界に行くことになるんだと思う」

咲夜は窓に流れる夕焼けを見上げる。

「それは、本音を言えばとても怖くて。それでも、そう思える事が嬉しくて、そう思えるという事は、それほど幸せな時間を、生きてこれたという事だから。だから、出来れば、みんなの描く未来図に、私の姿も描かれている事を、祈ってしまうの。私には描く事さえできない、そんな未来図に」

これまでずっと見せてこなかった、咲夜の弱々しげな姿に、洸は、そんな儚い咲夜を奪おうとする運命に憤り、いよいよその日が間近に迫っているかのような不安感に、押しつぶされそうになりながら、柔らかな声色から届く鋭利な言葉に、耳を傾ける。

「これだけは言えるよ。間違いなく。僕も、みんなも、この日常は、これからの未来は、思い出の中には、いつでも咲ちゃんがいる。それだけは、揺るがないし、変わることはない。だから、どんな事があろうと、咲ちゃんは、独りなんかじゃないよ」

洸は、言葉を選ぶことなく、浮かんだそのものを声にして、咲夜に届ける。

そんな純粋な言葉に、洸の優しさを見つけた咲夜は、「うん」と嬉しそうに微笑み頷いた。

その咲夜の表情に、声色に、言葉に、まるで自分の死期を悟ったように感じた洸は、改めて自分の無力さを思い知り、咲夜に見えないように、強く拳を握りしめた。

それから、数十分が経ち、面会のタイムリミットが近づいた頃。

「じゃあ、僕はそろそろ行くね」

「うん。じゃあね」

いつもなら、何の気無しのその挨拶が、今日の洸には妙に切なく感じた。

「咲夜!」

病室の扉付近。洸は不意に振り返り咲夜を捉える。

「ん? どうしたの? 」

「僕は、ずっと………」

相変わらずの眩しい微笑みに、洸は、次の言葉を躊躇い。ついには、違う言葉を発していた。

「ううん。また、来るから!」

そうして、咲夜からの返答を待つことなく、洸は病室を飛び出していった。

その潤んだ瞳を見せぬように。

咲夜との約束を守るために。