ーーー 水曜日。三人は病室へと顔を出していた。

洸は、黙読で原稿を読み込んでおり、尚人は、漫画をぺらぺらと捲り、神影は、馴れた手付きで林檎の皮を剝いていた。

「あのさ。貴方たち。ここを何だと思っているわけ? ここはね。病院といって。身体の弱い人が、静養している場所なのよ。部室とは、わけが違うの」

まるで、部室のワンシーンを切り取ったような光景に、思わず咲夜はため息をついた。

「でも、嬉しそうだよね、咲ちゃん」

洸は珍しく、悪戯っ子のように微笑む。

「別に嬉しくないよ!」

その砕けた咲夜の言葉と声色に、一斉に顔をあげる神影と尚人。

咲夜もしまったといった表情をして、咳払いをする。

「別にいいのに。私達の前でも、そうやって、仲睦まじく、会話をすると良いよ」

「いや、そういう訳じゃないし」

咲夜はあくまでもポーカーフェイスを貫く。

「いや、はっきり言ってやれよ。俺達は気にせずに、イチャイチャしてくれて構わないと」

「本当に、頭がピンク色で困るわ」

咲夜は、尚人の指摘に、すっかりと冷静さを取り戻す。

その様子を暖かく見守る洸。

ーーー 昨日(さくじつ)。三人は、陽子に呼び出され、咲夜の自宅に来ていた。

「ごめんね。二人は、近くでも無かったのに、わざわざ来てもらって」

陽子は、白く細い指先で、三人の前にティーカップを置く。

「それで陽子さん。お話というのは?」

そう切り出した洸も、他二人も、話の内容は、咲夜に関する事だとは理解していた。

「みんなには、ハッキリと伝えて起きたいと思ったの。咲夜の容態は、今は落ち着いていると言えるけど、正直、芳しくはないみたいでね。日々、心臓の動きが弱まっているみたいなの。つまりね、いつ、その時が来ても、おかしくは無い状況でね。みんなには、覚悟をして貰いたいのよ」

三人は何処かで勘づいていた。そういう話なのだろうと。しかし、実際に、音となって鼓膜にまとわりついたその言葉は、思考を奪い、現実が現実ではないような、不快な感覚に陥っていた。

「急な話で、混乱しちゃうかもしれないけれど、ごめんなさいね。理解してほしいの」

何か言葉を返すべきなのだろう。そう、誰もが思ってはいたが、浮かぶ言葉は一つとして無かった。

無音が、痛みを帯びて、音のない悲鳴となって、三人にのしかかる。

今すぐに逃げ出したいと思う様な現状に、耐えるように、溢れてしまいそうな感情を堪えるように、三人は強く体を硬直させて、一時的にでも、その悲痛が和らぐ瞬間を待つ。

「ありがとう………ございます。教えていただいて」

そんな中、なんとかその言葉を声にした洸は、陽子の顔を見ることは出来ずに、深くお辞儀をする。

二人も洸に習うように、膝に頭がつくほど深く頭を下げる。

「ええ 」

陽子はそうか細く返答する。その返答を受けた洸は、これ以上、この場に留まる事に耐えられなくなり、ゆっくりと立ち上がる。

「それでは、僕たちはこれで。本当に、ありがとうございました」

洸はもう一度お辞儀をして、玄関へと向かい、フローリングが羽毛布団のように、柔らかく感じられる足取りで、何とか足を動かす。

二人もまた、洸に続くようにして、自分のものではないような感覚を帯びた足を、なんとか動かして敷居を跨いだ。

ーーー咲夜宅からの帰路。洸は、二人を駅まで送るために、二人の少し前を歩いていた。

家を出た後、誰も言葉を発することはなく、冷たさを帯びた秋風が、その間を縫って、冷えた心を更に凍えさせる。

三人の心情とは似つかわしくないほどの、青空に洸はふぅ〜とひとつ息を吐いた。

「最後まで。僕らしくいたいね」

そしてそのため息について漏れたようなその言葉に、背後の二人は一斉に俯き顔をあげる。

「咲夜だって知っていたはずだ。でも、僕らに何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。なら、僕らは、咲夜の気持ちを汲み取って、鬱々としてたらんないよね。だって、咲夜は生きている。今を生きている。そんな大切な今を、僕らしく、いつも以上にいつも通りに、生きなきゃだよね」

洸はくるりと半回転をして、二人の顔を見合わせる。

「洸………お前……」

そして、洸の言葉通り、変わらない笑顔を浮かべる洸に、尚人は思わず頬を緩めた。

「よし!」

その隣の神影もまた、透き通った頬に両手を張りつけ、気合を入れ直すと、大きく深呼吸をする。

「洸くんの言う通りだね! 私達らしく! 最後の最後まで! それを貫こう!」

そう神影の決意でまた、三人の意識はひとつとなり、同じ方向を見た三人は、同じ歩幅で歩き出した。