教室に残された3人は、顔を見合わせる。

「どうするんだよ? 」

尚人は、脱力して背もたれに体重を預ける。

「どうするって言っても。もう、やるしかない空気よね。これ」

神影は小さくため息をひとつついた。

「まぁでも。先生の言う通り、断わるような理由はないし、有り余る時間だってあるし、内申的にも悪くないよね。コンテストに出るのは、1人な訳だし。大きな活動といえば、それくらいでしょ? 」

2人に反して、ポジティブな意見を並べたのは洸だった。

「まぁ。それはそうだけど。咲耶さんは…………って、ちょっと!」

咲耶はもう1人の被害者である咲耶に、意見を問いかけようと、視線を移すと、咲耶は、そそくさと帰り支度をはじめていた。

「何? 別に私には関係ないし。大学だって、行くつもりもないから、内申とかいらないし」

「いや、でも…………。そうか。そうね。分かったわ。私に止める権利は、ないからね」

咲耶の意図を読み取ったように、神影は1度頷くと、「じゃあね。また明日」と快く咲耶を見送る。

「ええ」と咲耶も小さく返すと、空き教室を後にした。

「まぁ。咲耶の事は仕方ないよな。そもそも、咲耶の事知っているのに、千香ちゃんは、なんで誘ったんだろうな? 」

「さぁね。まぁ、先生には先生の、役職みたいなのがあるんだよ。きっと」

尚人と神影は、数分まで咲耶のいた席を見つめる。

「そういえば、洸くんは、咲耶さんとは幼なじみなのよね? 」

「え? うん。まぁ、幼なじみと言っても、家が近所で、たまに遊んでいたくらいだよ。中学生くらいからは、殆ど会話もしないし。まぁ、少なくとも、僕からしか、話をかけることもないかな」

「へぇ~。それで、純朴な洸くんは、寂しいと? 」

尚人は、左側の口角だけつり上げて、悪戯に洸に微笑む。

「いやいや! 別に寂しいとかそんなんじゃないし! てかなに? 寂しいってなに? それ、どういう感情!? 」

ジェスチャー多めのたどたどしさに、今度は神影までも、無粋に笑みを浮かべる。

「凄いね。こんなに分かりやすい人いるんだ。アニメの主人公みたいだね」

「な、こいつのこういうところ、俺は好きだよ」

「アニメの主人公? 主人公かぁ。主人公だったら、どれほど良かったか………」

「あら? ごめんね。なんか、余計な事言っちゃった? 」

「ううん。何でもないよ」

伏し目な洸に、後ろめたさを抱く神影。

「あの~。さりげなく、俺の告白をスルーするのは、どうなん? 」

そんな、尚人の言葉も見事にスルーされることで、3人は帰路につくことにした。

ーーー 3人と別れた洸は、通いなれた小さな公園脇の細道で足を止める。

その公園内で、ブランコで小さく揺れる少女と、正反対に大きく振り子する少年に目が奪われていた。

そんな小さな影は、洸の目にはいつかの記憶としてすり変わる。

6歳の洸と、同じく咲耶の影。

ーーー「咲ちゃんはさ! 僕が、ここから、あの木を超えるまで翔べたら、きっと、笑ってくれるよね? いや、笑ってよ!」

「な、何を言ってるの? 駄目だよ。そんな危ないことしたら、こー君が怪我しちゃうよ? 」

「そんなのへっちゃらだよ! 怪我なんて怖くないもん! それより、笑って欲しいんだよ! 咲ちゃんには、笑っていて欲しいから!」

洸はさらに助走をつけて、振り子の幅を大きくする。

隣に座っている咲耶にも伝わる揺れで、咲耶の不安もさらに大きくなる。

「ねぇ! もう、やめ……」

咲耶は、その先にある最悪を想定して、瞬発的に発した言葉は、勢いよく跳躍を始める洸によって遮られる。

咲耶の目には、その一瞬がスローモーションのように映り、
洸が、示した木を越え、着地する瞬間、バランスを崩して、尻餅をつくように倒れる瞬間までをしっかりと捉えた。

「こーくん!!」

慌ててかけよる咲耶の目には涙が滲み、笑顔とは程遠い表情をしている。

「ねぇ! 見た! 飛んだよ! あの木よりも、もっともっと遠くに!」

そんな咲耶とは正反対に、パアッと満面に笑みを咲かせる洸。

「バカ! だから危ないって言ったのに! なにやってるの! 洸が………。洸が怪我したら、私、私………」

そこで溜め込んでいた涙を、盛大に溢れださせる咲耶。

「わ、わぁぁ~、ご、ごめん! でも! でも! 僕は、笑って欲しくて! 咲ちゃんには、笑っていて欲しくて! 」

そんな必死な弁明も、咲耶の涙には打ち勝つ事はできない。

「ごめん………」

洸は、咲耶をベンチに座らせると、少ない小遣いで買った缶ジュースを手渡す。

そうして、咲耶が泣き止むのを、爪先で土を掘り起こしながら待つ洸は、己の行いを恥じて、深く後悔をしていた。

「こーくん」

そんな、洸の俯き顔に、目を赤く腫らした咲耶が言う。

「私は、笑うのが下手くそだけど、楽しいんだよ。嬉しいんだよ。こんな私でも、こーくんが居てくれる。ずっとずっと、居てくれる。それだけでいいよ」

「咲ちゃん………」

咲耶は、泥だらけの洸の左手を、小さな右手で強く握りしめる。

「ありがとう。とっても、とっても、楽しいよ!」

そうして、無邪気に笑う咲耶の表情は、どれだけ年を重ねたとしても、洸の記憶に、色褪せず残り続けていた。

意図せずに、こうして、咲耶の笑顔を受け取った洸は、そこで初めて恋を知ったのだった。

ーーー 公園で和気藹々と遊ぶ子供。それに自分たちを重ねていた洸は、その場に微笑みを置くと、再び歩みを進める。

「また、笑顔が見たいなぁ」

そんな小さな独り言が、すっかり夕焼けに染まった空に溶けていく。

しかし、洸の胸には確かな願いがまたひとつ芽生えていた。