千香は、咲夜の容態の確認のために病院へと車を走らせた。

部室に残された部員達は、状況が分からないため、大勢で出向くのは迷惑になると千香に止められ、泣く泣く居残りする流れとなっていた。

「大丈夫なんだよな。なぁ。大丈夫なんだよな」

誰に問うわけでもなく、尚人は部内を歩き回りながら、何度も呟いている。

神影は、両肘を机に着けて、両手の指を絡ませ、祈るようなポーズを取り、自らの額にをその絡めた指に押し当てて、涙の浮かんだ目を閉じている。

洸は、いつも咲夜の座っていた椅子を凝視しながら、両手で強く拳をつくり、歯を食いしばるようにして、今にも溢れそうな涙を堰き止めていた。

グラウンドでは、秋季大会に向けて始動していた野球部の、活気のある声が響いている。

そんな声も、木々のせせらぎも、今の部員達には、鬱陶しさとなって、鼓膜を揺らしていた。

それぞれがその形を保ったまま、数十分が過ぎて、不意に部内に一つの音が流れ込んでくる。

それは、机の上に置かれた、洸のスマートフォンの着信音だった。

液晶には、真鍋千香先生と表示されている。

「千香先生からだ」

掠れた気味の声で、二人に状況を伝えると、直ぐに通話をタップする。

「あ〜、もしもし。俺だ」

「先生。咲夜の様子は?」

「うん。今は容態も安定して、とりあえず一安心って所にだな」

「そう……。ですか……」

洸は一気に肩の力を脱いて、大きく息を吐く。

「まぁ、面会はまだ無理みたいだが、そのうちお許しが出るだろうと。そん時にでも、顔を見に来てやんな。あと、俺はこの後、両親と話もあるから、多分、遅くなる。戸締まりをキチンとして、遅くならないうちに帰れよ」

千香は要件を言い終えて通話を切る。スマートフォンを耳から離した洸は、真っ直ぐに洸を見据える二人に、千香からの報告を伝える。

それを聞いた二人も、一気に脱力し、神影は背もたれに凭れかかり、尚人は、地べたにヘナヘナと座り込んだ。

「マジで、ビビったぁ〜」

尚人は今にも倒れ込みそうなほど、冷や汗をかきながら天井を見上げている。

「でも。ちょっと、考えちゃったよね。最悪の展開」

神影は、汗ばんだ手の平を乾かすように、パタパタと扇いでいる。

「そうだね………」

洸は、安堵はしていても、表情はまだ固いままだ。

「でも。そうか」

そんな洸の様子から察したのか、神影も再び表情に暗い影を落す。

「咲夜ちゃんも。咲夜のご家族も。洸くんも。いつか、来るかもしれない、こういう日を抱えて、今日まで、過ごしてきたんだもんね。ようやく、分かった気がする………。辛いね………。こういうの……」

神影は、いつもならそこに居るはずの、凛とした幻想を追いかけるように、空いた席を見つめる。

「うん。そう。だね。辛いね………。でも、同時に、ありがたみというのかな? 咲夜が居るありがたみ。咲夜と話せるありがたみ。咲夜の隣を歩けるありがたみ。そういうのが、より(ここ)に刻まれているからさ、こんな時間でも、大切にしたいと思うんだ」

洸は、自らの胸の真ん中で両手を重ねる。

「うん。私も、今なら分かる気がする。当たり前が当たりである。その幸せとか、わだかまりを抱えて生きる、そのわだかまりにさえ、生きてる意味を感じる。それすらも、愛せる気がする」

神影は、もう遠い昔のように感じながら、数カ月の日々に馳せている。

「まぁ、難しい事は良いとして、咲夜は生きているゆだろ? 今を、生きているんだろ? それならさ、俺らも、今を生きなきゃ、あいつに、咲夜に合わせる顔がねぇ。咲夜と一緒に、今に居なきゃ。だろ? 俺たちは、咲夜の青春になろうぜ!」

尚人は、飛び上がるようにして立ち上がり、そう高らかに言い放つと、サムズアップをする。

「うん。何が何でも、寒いとか、冷めるとか言おうとしたけど、そうだね!」

「おい。決め打ちしようとすんじゃねぇ!」

そんな尚人と神影の、いつもの会話を目処に、三人は顔を見合わせ笑い合う。

洸はふとその中に、咲夜の笑顔も一緒に浮かべていた。