神影は、フローリングを強く踏みしめながら、母親の前へと歩を進め止まる。

「私は。ずっと、ずっと。お母さんの言いなりになってきた。それが正しいから。神影のタメだからって、その言葉だけを信じて、勉強だって、人付き合いだってやってきた。でもね。楽しくないの。これっぽっちも楽しくない。唯一楽しい時は、お母さんの言いつけに反して、自分のやりたいようにしている時だけ」

その言葉によって、母親が傷ついていくのが、神影は手に取るように分かった。それでも、堰き止めていた思いは、一度、声に出してしまえば、容易に止めることは出来ない。

「私は、私。お母さんの生き写しでも、操り人形でもない。もっと、好きに生きたい。好きだからって理由で、勉強もしたいし、みんなと一緒にいたい。それの何がいけないの? 」

「神影………」

これまで、一切反抗することなく、自分の言葉を守ってきた神影のその一言は、母として、これ以上にない程の愕きとなって、表情に現れている。

「これから、合宿に行ってくるから。続きは、帰って来てからにして下さい」

肉親にかけるには、あまりにも冷たく、あまりにも他人行儀な言葉を残し、神影は自室へと戻っていく。

残された3人は、いたたまれない状況に、困惑するばかりで、鼻を啜る神影の母にかける言葉も見つからずにいた。

暫く、そんな陰鬱とした空気の中、顔を見合わせたり、生活感の溢れる室内を見回したりと、体感では永遠にも感じられる程の時間を過ごす3人の背後から、軽い足取りで、階段を駆け下りる足音がリビングへと向かってくる。

「ほら、行くよ。もういい時間になっちゃったし!」

リビングの入口で足を止めた神影は、3人をそう急かすと、1人、玄関へと足早に去っていく。

「え? え? ちょっと! 」

唐突な展開に、慌てて足がもつれそうになりながは、洸は立ち上がる。

そうして、リビングに母親1人残して、尚人、咲耶、洸と続いて、リビングを出る瞬間、最後尾の洸が母親の方へと振り返る。

「お邪魔しました。それから、神影さんの事は、安心して下さい。部長として、責任を持って、帰宅させますから。その、お節介だと思います。まだ、青くさいガキの、戯言に聞こえると思います。きっと、この一日という時間ではありますが、一度、娘さんと距離を置いて、俯瞰して、物事を考える時間も必要だと思います。だから、大切な娘さんのために、今日は悩んで上げてください。失礼します」

洸は、静かに丁寧に、言葉をひとつひとつ置いてから、深々とお辞儀をする。

そして、嗚咽混じりの悲痛な泣き声を背中で受け止めながら、先に家を出た3人を追うようにして、ふわふわと現実味のなく、おぼつかない足を必死に動かした。

ーーーーそれから、数十メートル進むまで、互いに言葉を交わすことなく、気まずさを連れたまま、4人は駅へと向かっていたのだが、先頭を歩く神影が不意に足を止めた事により、その停滞していた空気が一変する。

神影は、3人に振り返ると、勢いよく頭を下げた。

「ほんと〜に! ごめんなさい! かっこ悪い所を見せちゃったし、心配させて、わざわざ家にまで来てもらって、巻き込んじゃって。本当にごめんなさい!」


まだ、住宅街を抜けきらない往来で、気にすることなく声を張る神影。

「そんな! 僕たちだって、お節介を焼いちゃってごめん。あまりズカズカと、他人(ひと)の家の事情に、足を踏み入れるのは、どうなんだろうって、今更になって思うよ」

洸も、まるで神影の鏡写しかのように、綺麗なお辞儀をして見せる。

「まぁ、なんだ。俺はただ、黙って見ていただけだし、何にも貢献できてないからよ、堂々と物申せるだけで、充分立派だと思うぜ。ほら、俺は役立たずだった訳だし。まぁ、悪かった」

ばつが悪そうに、視線を泳がせる尚人。

「あのさ。さっきから、謝ってばかりだけど、全て間違いだったとは、思ってはいないのよね? だったら、そんなウジウジとする必死なんて、ないんじゃないかしら?」

あっけらかんとして言い放つ咲耶の、無で彩った表情に、ふと柔らかく微笑む洸。

「そうだね! よし! じゃあ、合宿開始って事で! 急ごう!」

そんな洸の号令と共に、ようやっと言の葉部、一泊二日の合宿が幕を開けた。