ーーー 神影の自宅まで、電車で15分。駅前は、コンビニと、大きな公園があるくらいで、栄えているとは言えない立地だ。
公園通りを脇道に入ってしまえば、あっという間に住宅街となり、人の温かみを感じる景色へと移り変わる。
3人は、「内密にな」と、千香から教えて貰った住所を頼りに、神影の自宅前まで、難なく到着していた。
「じゃあ、行くよ」
洸は、2人の前に立つと、鉄の柵で遮られた外門のインターホンを、緊張下面持ちで鳴らす。
留守番中、少しドキッとする来客を知らせるその音は、今日は、別の緊張感を帯びて洸の鼓膜を揺らした。
「はい? 」
暫くして、先ほど受話器越しに聞いていた声が、インターホンから流れてくる。
「あ、初めまして! 私、先ほど連絡しました、一柳洸というものです。いきなりの訪問で恐縮ですが、神影さんと、お話させて頂けないでしょうか? 」
面接のように、ハキハキと、好感良く言葉を紡ぐ洸。
「さっきも言いましたけれど、神影は、合宿に参加させません。というより、部活も辞めさせますので」
しかし、受話器越しのその声は、淡々と冷たい言葉を送り返してくる。
「は! 辞めさせる? 何なんだよそれ!」
近所迷惑も気にせずに尚人が声を荒げたため、洸は急いで仲裁する。
「申しありません! でも、神影さんとお話がしたいんです。神影さんの口から、ちゃんとその言葉を聞きたいんです!」
洸は誠実に頭を下げる。
十秒程の沈黙が過ぎ、ようやく返答が届く。
「分かりました。では、少しお待ち下さい」
その言葉を最後に、受話器がブチッと切られる音が、スピーカーから流れる。
「やっぱり、母親と何かありそうだな?」
辞めさせる。突き出されたその言葉に、まだ怒りが静まらない様子の尚人。
「うん。でも、冷静にね。ここでこれ以上、印象を悪くするような事があれば、神影にも悪いから」
「ああ。分かってる」
まるで、突入前の特殊部隊のように、張り詰めた緊張感が2人を包む。
その後で咲耶は、普段通り、涼し気な顔で待機をしていた。
それから、十分程の時間が経ち、ようやく家内で動きが見られた。
玄関先で、ドアのロックが解除されて、中から咲耶の面影のある、容姿端麗な女性が姿を見せる。
「あ、改めまして! 一柳洸と申します!」
洸は、誘導されたソファに腰を下ろす前に、再び自分を示すと、45度腰を曲げる。
それにつられるようにして、両隣の尚人と咲耶も続く。
「こんな暑い中、ご苦労さまね」
神影の母は、氷の入ったグラスに麦茶を注いで、3人の前に差し出す。
洸は、ありがとうございますとその麦茶を一口含み、喉を潤ませると口を開いた。
「あの。神影さんは? 」
洸は、神影の姿を探すように周囲を見回してみせる。
「ええ。部屋にいるわ。でも、あの子と話す前に、私と話して欲しいの」
「あ、はい」
突然の申し出ではあったが、いずれ話さなくてはいけない時が来ると考えていた洸は、それを承諾する。
「あなた達は、部活動の仲間と言ったでしょ? その、部活って、どういう部活なのかしら? 」
「はい。言の葉部といって、秋に行われる、県の青少年主張コンテストに参加するため、発足された部活です」
「そう………」
神影の母は、酷く疲労したかのように、深いため息をついた。
「私はね、部活動をする事には何も言わないわ。内申点にも繋がるでしょうし。問題はその内容なの。本当にあの子の身になるのか。運動部よりはマシよ。吹奏楽のような、芸術的な部よりマシ。どうせ、将来の役に立たないから。でも、あなた達の、言の葉部? これもまた、同じように、あの子の将来に必要ないものね」
3人とは、視線を交差することなく、淡々と、冷酷にそう言い切る。
「身にならないですか?」
その言葉には、温厚な洸も前のめりになる。
「ええ。だってそうでしょ? 主張コンテスト? そんなものが、将来のどんな役に立つというの?」
「それは………分かりません。僕にも……」
正解の分からない問に、洸は沈黙と手を繋ぐものだと、両隣の2人も思っていた。しかし、続け様に洸は口を開いた。
「でも、部活動っていうのは、大会やコンテスト、そこで得る結果のみが大切なのでしょうか? そこまでの過程。紆余曲折が、何よりも、得難いものなのではないでしょうか?」
「そうね。それでも答えは同じよ。それが、あの子の将来に、どんな役に立つの?」
一向に譲る気配のない神影の母に、怯まない洸。
「では仮に、神影さんが、部活を辞めたとしましょう。その時間を、別の時間に割くとしましょう。その時間は、必ずしも、将来に役に立つと思いますか? 」
「ええ。勿論よ。たくさん学びを得て、いい大学に入って。今は学歴の社会。それが、いい人生への近道だと思うわ」
「なぜそう言いきれるんですか?」
「簡単よ。私がそうではなかったから。それだけ」
淡々と返答し続ける様は、声真似をするぬいぐるみのようだ。表情も変わらず、微かな温かみだけが、唯一、命ある人間の形を保っている。
「では、お母様。あなたは今、幸せじゃないと言うのね?」
すると、言葉に詰まっている洸を援護するかのように、咲耶がそう言葉を投げかけた。
「え? 」
「今のお話から察すれば、私は幸せじゃない。だから、神影さんには幸せになってもらいたい。そう聞こえたけれど? 」
その切り返しは、予想していなかったのだろう。初めて表情に困惑が浮かぶ。
「そんなこと………。ない………わ。今になってはね。でもね、ここまで来るのに、どれだけ苦労したか分かる? 今ある幸せはね。ようやく。ようやく手にした物なのよ! 」
咲耶の言葉は、核心をついていたようで、神影の母は、初めて冷静な口調を崩し、声を荒げる。
「それでも、こうして幸せを手に入れた。なら、その逆も然りなのではないのかしら? いい人生を歩んだと思っても、どこに落とし穴が潜んでいるかは、誰にも分からない。不服だけど、それが人生なのでは? 」
神影の母は、顔色を青白く染めていく。
「でも! でも! それでも、可能性がある方を選ぶのが………」
「もう! やめて!!」
そこへ、リビングに流れる居心地の悪い空気を割くように、神影の声が響き渡る。
「神影………」
リビングと廊下の扉の前、3人の背後に立つ神影の姿を捉えた母は、目尻に涙を浮かべはじめた。
公園通りを脇道に入ってしまえば、あっという間に住宅街となり、人の温かみを感じる景色へと移り変わる。
3人は、「内密にな」と、千香から教えて貰った住所を頼りに、神影の自宅前まで、難なく到着していた。
「じゃあ、行くよ」
洸は、2人の前に立つと、鉄の柵で遮られた外門のインターホンを、緊張下面持ちで鳴らす。
留守番中、少しドキッとする来客を知らせるその音は、今日は、別の緊張感を帯びて洸の鼓膜を揺らした。
「はい? 」
暫くして、先ほど受話器越しに聞いていた声が、インターホンから流れてくる。
「あ、初めまして! 私、先ほど連絡しました、一柳洸というものです。いきなりの訪問で恐縮ですが、神影さんと、お話させて頂けないでしょうか? 」
面接のように、ハキハキと、好感良く言葉を紡ぐ洸。
「さっきも言いましたけれど、神影は、合宿に参加させません。というより、部活も辞めさせますので」
しかし、受話器越しのその声は、淡々と冷たい言葉を送り返してくる。
「は! 辞めさせる? 何なんだよそれ!」
近所迷惑も気にせずに尚人が声を荒げたため、洸は急いで仲裁する。
「申しありません! でも、神影さんとお話がしたいんです。神影さんの口から、ちゃんとその言葉を聞きたいんです!」
洸は誠実に頭を下げる。
十秒程の沈黙が過ぎ、ようやく返答が届く。
「分かりました。では、少しお待ち下さい」
その言葉を最後に、受話器がブチッと切られる音が、スピーカーから流れる。
「やっぱり、母親と何かありそうだな?」
辞めさせる。突き出されたその言葉に、まだ怒りが静まらない様子の尚人。
「うん。でも、冷静にね。ここでこれ以上、印象を悪くするような事があれば、神影にも悪いから」
「ああ。分かってる」
まるで、突入前の特殊部隊のように、張り詰めた緊張感が2人を包む。
その後で咲耶は、普段通り、涼し気な顔で待機をしていた。
それから、十分程の時間が経ち、ようやく家内で動きが見られた。
玄関先で、ドアのロックが解除されて、中から咲耶の面影のある、容姿端麗な女性が姿を見せる。
「あ、改めまして! 一柳洸と申します!」
洸は、誘導されたソファに腰を下ろす前に、再び自分を示すと、45度腰を曲げる。
それにつられるようにして、両隣の尚人と咲耶も続く。
「こんな暑い中、ご苦労さまね」
神影の母は、氷の入ったグラスに麦茶を注いで、3人の前に差し出す。
洸は、ありがとうございますとその麦茶を一口含み、喉を潤ませると口を開いた。
「あの。神影さんは? 」
洸は、神影の姿を探すように周囲を見回してみせる。
「ええ。部屋にいるわ。でも、あの子と話す前に、私と話して欲しいの」
「あ、はい」
突然の申し出ではあったが、いずれ話さなくてはいけない時が来ると考えていた洸は、それを承諾する。
「あなた達は、部活動の仲間と言ったでしょ? その、部活って、どういう部活なのかしら? 」
「はい。言の葉部といって、秋に行われる、県の青少年主張コンテストに参加するため、発足された部活です」
「そう………」
神影の母は、酷く疲労したかのように、深いため息をついた。
「私はね、部活動をする事には何も言わないわ。内申点にも繋がるでしょうし。問題はその内容なの。本当にあの子の身になるのか。運動部よりはマシよ。吹奏楽のような、芸術的な部よりマシ。どうせ、将来の役に立たないから。でも、あなた達の、言の葉部? これもまた、同じように、あの子の将来に必要ないものね」
3人とは、視線を交差することなく、淡々と、冷酷にそう言い切る。
「身にならないですか?」
その言葉には、温厚な洸も前のめりになる。
「ええ。だってそうでしょ? 主張コンテスト? そんなものが、将来のどんな役に立つというの?」
「それは………分かりません。僕にも……」
正解の分からない問に、洸は沈黙と手を繋ぐものだと、両隣の2人も思っていた。しかし、続け様に洸は口を開いた。
「でも、部活動っていうのは、大会やコンテスト、そこで得る結果のみが大切なのでしょうか? そこまでの過程。紆余曲折が、何よりも、得難いものなのではないでしょうか?」
「そうね。それでも答えは同じよ。それが、あの子の将来に、どんな役に立つの?」
一向に譲る気配のない神影の母に、怯まない洸。
「では仮に、神影さんが、部活を辞めたとしましょう。その時間を、別の時間に割くとしましょう。その時間は、必ずしも、将来に役に立つと思いますか? 」
「ええ。勿論よ。たくさん学びを得て、いい大学に入って。今は学歴の社会。それが、いい人生への近道だと思うわ」
「なぜそう言いきれるんですか?」
「簡単よ。私がそうではなかったから。それだけ」
淡々と返答し続ける様は、声真似をするぬいぐるみのようだ。表情も変わらず、微かな温かみだけが、唯一、命ある人間の形を保っている。
「では、お母様。あなたは今、幸せじゃないと言うのね?」
すると、言葉に詰まっている洸を援護するかのように、咲耶がそう言葉を投げかけた。
「え? 」
「今のお話から察すれば、私は幸せじゃない。だから、神影さんには幸せになってもらいたい。そう聞こえたけれど? 」
その切り返しは、予想していなかったのだろう。初めて表情に困惑が浮かぶ。
「そんなこと………。ない………わ。今になってはね。でもね、ここまで来るのに、どれだけ苦労したか分かる? 今ある幸せはね。ようやく。ようやく手にした物なのよ! 」
咲耶の言葉は、核心をついていたようで、神影の母は、初めて冷静な口調を崩し、声を荒げる。
「それでも、こうして幸せを手に入れた。なら、その逆も然りなのではないのかしら? いい人生を歩んだと思っても、どこに落とし穴が潜んでいるかは、誰にも分からない。不服だけど、それが人生なのでは? 」
神影の母は、顔色を青白く染めていく。
「でも! でも! それでも、可能性がある方を選ぶのが………」
「もう! やめて!!」
そこへ、リビングに流れる居心地の悪い空気を割くように、神影の声が響き渡る。
「神影………」
リビングと廊下の扉の前、3人の背後に立つ神影の姿を捉えた母は、目尻に涙を浮かべはじめた。