「想から放課後に寄り道したいなんて珍しいな」

 バス停までの下り坂、見渡す限り学生は僕と神楽しかいない。唯一すれ違ったのは老犬を連れた主婦だった。
 そんな中からかうように、それでもどこか僕を心配するように神楽が振り向いて呟いた。神楽の不器用な優しさだった。
 いつもとなにも変わらない帰り道、いつもなら曲がる角を曲がらずに進む神楽の背を追いかける。

「そういう気分だっただけ。神楽しか話す相手いないんだから、悪いけど付き合ってもらいたくて」

「思い返してみれば想が俺以外のやつと一緒にいるとこあんまりみないかも、想って意外と人脈狭い?」

「意外じゃないでしょ、それ、わざと言ってる? そもそも僕は積極的に人と関わるタイプじゃないし、人脈なんてあってないようなものだよ」

「現役高校生がそんな悲しいこと言うなよな? あとちょっとでも社交的になれば友達なんてすぐできるのに」

「神楽みたいに人との距離感詰めるの得意じゃないんだよ」

「人脈とかは正直どうでもいいけどさ。それにしても「寄り道」って言い方、想って変なところで可愛さ出してくるよな、あざといキャラでも狙ってる?」

「そんなことあるわけだろ「寄り道」くらい、普通に誰だって使う言葉だよ」

 悪い悪い、と、反省のかけらもないような声色で神楽は僕を再びからかった。
 叶愛を家へ招いた日から、気づけば一週間が経っている。
 朝、叶愛は僕より早く登校して気づけば隣に座っているし、当たり前のように笑って「おはよう」と言ってくれる。転校当時より神楽や白石との会話にも積極的に参加するようになって叶愛自身の明るさを感じる回数も増えてきた。
 ただ僕の中にはずっと、晴らすことのできない靄がかかっている。
 その正体はわかってる、あの、一瞬感じた表情の中の影だ。

「ちょっと時間はかかるけどさ、想が嫌じゃなければバスに乗って新しくできたカフェにでも行かない? 想が通ってた中学校の近くにあるらしいんだけど」
 
 放課後に誰かと遊んだ経験がなさすぎて、場所は神楽に任せっきりになってしまった。申し訳なさを感じる僕へ「気にすんなって」と神楽は得意げな顔を見せてくれた。頻繁に白石とデートをしている神楽にとって放課後のプランは得意分野のようだった。
 タイミングよく停車したバスに乗る。下校ラッシュを過ぎたバスの乗客は少なく一番後ろの座席へ着いた。
 荷物を肩から下ろして隣を向くと、神楽が窓の外の遠くの方を見つめていた。

「ねぇ、どうしてバスに乗るなんて提案してくれたの?」

「どうしてって、どうして?」

「神楽、バス酔い酷い方じゃなかったけ。それなのにあえてバスを提案してくれるなんてなにかあったのかなって思って」

「なにかあったのは想の方なんじゃないの?」

「え」

「あんまり俺の目を甘くみないほうがいいぞ? 毎日仕事で家にいない母さんの代わりに妹と弟を一人で世話してるんだ。周りの人の違和感に気づくのは得意なんだよ」

 これもまた、神楽の不器用な優しさだった。
 大切なことを伝える時に、照れ隠しでぶっきらぼうな口調になるのは神楽の可愛らしい癖だ。まぁ、本人は気づいていないだろうけど。
 神楽は引き続きバスの小窓を少し開けながら、いくらスマートフォンの通知が鳴っても画面を見ずにひたすら遠くの方を眺めている。それくらい、バスに弱い。
 実感する。僕の唯一の友達がこんなにも優しい人でよかったと改めて気付かされた。

「神楽」

「ん?」

「ありがとう、ほんとに」

「いーの。なにかあったときになにかするのが友達なんだから、これくらい当たり前だ」

 ***

「店内結構混んでるね」

「オープンしたばっかりだし評判もいいらしいよ。長めに予約は取ってあるから時間は気にしなくて大丈夫っ」

 邦楽が響く店内には、パンケーキとカフェオレの甘い匂いが漂っていた。
 子供連れの賑やかな声と、テラス席で微笑むカップルの雰囲気、女子高校生の集団。その中で男子高校生二人ぐみというのは少し浮いているようにも思えたけれど、神楽に促されるまま店内の端のテーブルへ着いた。
 看板メニューらしきパンケーキセットを注文して落ち着いた頃に、神楽が口を開いた。

「想、最近ちゃんと寝てないだろ。今まで授業中に居眠りなんてしてなかったのに、最近やたらと多い」

「えっ嘘、僕寝てる?」

「見てる限り結構な頻度で寝落ちしてる、ひどい時は毎時間。それで赤点取らないのが不思議だよ」

 呆れと心配を半分ずつ含んだような表情を神楽は僕へ向けた。
 神楽も僕も、そこそこ成績はいい。
 無断欠席の多い神楽は一時期進級できるか危うくなったけれど、家庭の事情を考慮され予定通りの卒業が確定している。
 ただ三年間皆勤賞の僕は、ぼーっとしていることが多いとよく授業態度を指摘される。今回の居眠りも教師の目に余れば、大学の推薦枠から外されてしまうかもしれない。漠然と突然の危機感に襲われる。

「進学とか、やばいかな」

「想の成績なら大丈夫だろ、推薦でも一般でも受かるって」

「そうなるといいけどさ」

「俺もそろそろ本気で勉強しないとやばいなぁ、いくら就職って言っても、ある程度の頭は必要だろうし」

「そういえば今日は帰る時間遅くなって大丈夫なの? 弟さんとか妹さんのことあると思うし」

「今夜は二人とも宿泊野外活動で家に帰ってこないんだ。双子は大変だけど、こう言う時は助かるんだよな。門限はないから何時になっても大丈夫、バスの時間と想に合わせるよ」

 そう語る神楽の姿、というか貫禄が一家を支える父親のように見えた。
 すごく頼もしい、そしてパンケーキを頬張る姿とのギャップがすごい。
 学校を出るのが遅かったこともあって、時計の針は既に七を指していた。
 普段なら家に帰って、母親の食事の支度をして、父親の様子を見ている時間だ。

「想、ちょっと早いかもしれないけど本題に入ってもいい?」

 神楽と僕の中だからくだらない話をしようとすれば、きっといくらでもできる。
 それでも神楽から、本題に入ろうと僕を引っ張ってくれた。僕がこのまま難しい話を避けるのが見透かされているようで少しだけ恥ずかしくなった。

「本題——そんなに深刻なことじゃないような気もするけど、わからないことが多いんだよね」

「じゃあそれを一つずつわかっていけばいい。わかんないことをまとめて考えたって、余計わからなくなるだろうからさ」

 神楽の表情には余裕があった、きっと言っていることに自信があるからだと思う。そして僕も神楽の言ったことに間違いはないような気がしていたた。
 それは神楽が白石と長く付き合っているからという安直な事実からくる信頼ではなくて、一つずつわかっていけばいい、という僕自身が探していた解決策を奇妙なほど正確に言葉にしてくれたからだと思う。

「僕の家に招いた時から叶愛にどう接することが正解かよくわからなくなっててさ」

 これが、今の僕の心に引っかかっていることの一つだった。

「一応確認してもいい?」

 まだ一言しか言っていないのに、神楽の表情が曇った。眉間に皺がよって、いつもなにも躊躇わずに提案も励ましもしてくれる神楽が珍しくなにか言うのを躊躇っている。僕はよくわからずにとりあえず「いいけどどうしたの?」とだけ返した。
 神楽は深く一度息をついて、疑うようなトーンで話し始めた。

「想、順番は間違ってないよな。お互い気持ちが昂って、初デートで良からぬことを、とかはないよな。もしもそうならまた別の問題が——」

「それはない、言い切る」

 さすがの僕がそんなことできるわけがないだろう。そう思っていたのは、どうやら僕だけではなかったらしい。

「良かったぁ話を逸らして悪かった。まぁ、想がそんな大胆なことできるわけないかっ」
 
 実際思っていたとしても、自分じゃない誰かに言われてしまうのは少し悔しかった。「お前は意気地なしだもんな」と言われてしまっているようで恥ずかしさすら覚えた。

「僕が叶愛のこと、どう思っているのか自分の中で曖昧になっちゃてさ」

「好きかどうかがわからないってこと?」

「いや、そういうことじゃ、ないと思うんだけど——」

 僕はあの日、初めて叶愛に惹かれた。
 夏祭りの日はお互いの利害が一致したから契約的に付き合うことを承諾したから、そこに好意な気持ちなんてなかった。
 まだ僕の中にある臆病さが邪魔をして踏み切れないけれど、告白されたあの日より遥かに、僕は叶愛に惹かれていると思う。
 ただそれは“僕の“話だ、叶愛がどう思っているかなんてわからない。
 恋人になってしまったからこそ、僕たちはお互いに本当の気持ちを知らない。
 叶愛はお詫びという理由で僕に交際を持ちかけられた。それなら、一度その告白を断った僕へ向けた強引な表情はなんだったのだろう。残りの高校生活で恋愛の面を犠牲にしても、恋人になる理由ってなんだ。お詫びの手段なら付き合う以外の方法がいくらでもある。
 本当は僕のことが好きで、口実としてそんな周りくどいことをした——それにしてはあまりに早すぎる、だってあの夏祭りは叶愛が転校してきて本当にすぐのことだった。考えれば考えるだけ、叶愛の気持ちがわからない。

「想はさ、好きとかの前に楪さんのどんなところが素敵だと思う?」

 素敵か、好き、とはまた違う。

「外見でも内面でもなんでもいい、とにかく、想から見た楪さんを詳しく言葉にしてみてほしい」

 ゆくっりでいいから、神楽の言葉にはそんな優しさが添えられているような気がした。頷いてみると、柔らかく目を瞑って頷き返してくれる。
 僕の中にある叶愛との記憶を、できる限り鮮明に思い出そうとしてみる。
 気づけば叶愛の転入から一ヶ月が経とうとしている。あっという間だった。
 初めて叶愛を見た時は、正直なんの感情も湧かなかった。どんな子かと湧き上がるクラスメイトに共感することもできずに、ただクラスに人が一人増えたという事実を呑み込むだけだった。それなのに席が隣になって、一緒に過ごす時間が必然的に増え始めた頃から、僕は叶愛のなにかに気づいていたのかもしれない。
 クラスの異性とも、よく言葉を交わす白石とも違う。
 叶愛は、僕が人生で出逢ってきた誰とも似ていない特例的な人物なのかもしれない。今の僕の中にはそんな予感が騒がしくしている。
 そしてそれを感じたのは、あの日家で二人きりになった瞬間からだった。

「どんなに些細なことでもいい、これに正解とかはないからさ。想が思ったこと教えてほしいんだ」

「素直に感じたことを表情に出すところ」

「例えば?」

「この間僕の家に来た時に、修学旅行の写真を見せたんだけどすごく楽しそうに笑ってたんだよ。自分が映ってる写真じゃないのに、心から楽しんでくれてるみたいでさ。でもちょっと悲しい話をすると、すぐにすごく寂しそうな顔をするんだ」

「他にはある?」

「話し上手で盛り上げ上手なところ」

「全然俺の中の楪さんのイメージにはないけど、想が言うならきっとそうなんだろうな」

「たまに休み時間二人になるとさ、ちょっとした雑談でも終わりが見えなくなるくらい話が盛り上がるんだよね。言葉遣いも上手でさ。でもちゃんと僕の話も聞いてくれて、なんというかすごく居心地がいいんだ」

「楪さんにそんな一面がなぁ、まだあったりする?」

「物怖じしないところとか」

「ほう、詳しく聴きたい」

「高校三年の夏休み明けに転校してくるってさ、結構怖いことだと思うんだよね。人間関係とか進路とかで周りがある程度固まった状態に独りで入ってくるって怖いじゃん」

「確かに、俺だったら絶対嫌だな。馴染める自信もないし」

「でも叶愛は怯えずに自己紹介もしてたし、同性の白石だけじゃなくて僕とか神楽にも話しかけたりしててさ。もともと人付き合いが得意とかもあるかもしれないけど、飛び込んでくる勇気がすごいなって僕は思うんだよね」

「言われてみればそうだよな、まだあるなら聴くよ」

「言い始めたらキリがないのかもしれないけど、たぶん全部に共通してることがあってさ」

 共通してること? と、神楽が少し考え込んだ表情をした。
 これは、僕も今、話していて気づいた共通点だ。
 素直に表情に気持ちを出してくれるところも、話し上手で聞き上手なところも、物怖じしないところも。そうだな、もっとあげるとしたら優しさが繊細なところも、自然な可愛らしさがあるところも、間違いない、全部共通してる。叶愛はきっと——。

「僕が持ってないものを持ってる」

 神楽が「ごめん、どういうことだ?」と聞き返した。
 そうだな、確かにわかりづらい。一から説明してしまうのも気恥ずかしい。
 だから神楽の言葉を借りるなら——。

「僕が持ってない“素敵“を叶愛は持ってるってこと、かな」

 我ながら気恥ずかしい台詞を発してしまった「僕が持ってない素敵を持ってる」なんて、なんかの歌詞にありそうな——僕には似合わなすぎるくらい爽やかなセリフだ。
 赤面した顔を誤魔化すように、コップに注がれたカフェオレを味わう間も無く流し込んだ。きっと茶化されてしまうような言葉をどうにか取り消せないかと必死に言い訳を考える。

「想、楪さんのこと大好きじゃん」

「え——」
 
 らしくないな、なんて笑われるかなと覚悟していたけれど神楽から向けられた言葉は意外にも肯定的な言葉だった。

「自分で言うのも嫌だけど俺なんて最初の理由が一目惚れだからさ、それだけ自分の彼女の内面の素敵さを言葉にできるってすごいことだと思うんだ」

「そうなのかな、一緒にいる時間が増えれば自然とわかるものだと思うけど——」

「じゃあ次、違う質問して確かめてみる?」

「違う質問?」

「寧々の素敵なところ、想は答えられる?」

「それ、僕が答えていいの?」

「いいから言ってみて」

「白石は——社交的で、誰とでも仲良くできて、明るい、とか」

「それ全部言い換えてるだけで言ってること一緒じゃん」

 確かに、神楽の言う通りだ。
 三年間、ほぼ毎日なんらかの話はしてきたし、中学校すら一緒だったのに、僕の中の白石への印象はその程度だった。
 もっと言うなら、言葉にできるほど深く知っている部分があまりにも少なすぎた。

「それなら、神楽が白石の素敵なとこ、どんなところがあると思うか聞きたい」

「寧々は、誰とでもすぐに話ができて、ちょっとがさつなところもあるけど字は絶対に丁寧で、意外と授業を真面目に受けてて、授業を真面目に聴いてるのにテストの点数は低くて、目標にまっすぐで、好きになった人のことをずっと一途に想ってくれる。ほんとだ、あげたらキリないな」
 
 語尾に笑いが含まれていた、だから僕は率直にこう思った。

「白石のこと、語りきれないほど愛してるんだな」

「な? そう思うだろ? これ、今の想と全く一緒だよ」

 理屈ではわかる、ただ、自信がないんだ。
 叶愛が素敵な人だなんてことはよくわかっている、だから難しいんだ。
 神楽は僕と叶愛の本当の関係を知らないけれど、知らないからこそ僕の本当の気持ちを暴いたのだと思う。
 この気持ちは僕の片想いかもしれないけれど、心のどこかで叶愛も僕と同じような気持ちになっていてほしいと願ってしまった。
 せめてなにか一つでも「私の恋人は素敵なんだ」と思ってくれる要素があったら嬉しいなと、恋人らしくない願いを抱いてしまう。

「想」

「なに——」

「素敵な人に出逢えてよかったな、改めておめでとう」

 神楽の言葉が、暖かかった。
 空き教室で向けられた「おめでとう」とは比べものにならないくらい、まっすぐ僕の心に響いている。
 それと同時に僕が避け続けていた“大切“をこの身体の全部で感じたくなった。
 人を本気で好きになりたい、それはきっとすごく素敵なことだから。
 その好きになった人とたくさん笑いたい、それはきっとすごく幸せなことだから。
 その笑った瞬間を切り取って記憶として思い出にしたい、それはきっとこれからの人生を生きる光になるから。
 そんな幸せを積み重ねていけば、僕の中の恐怖や臆病さや罪悪感は消えていくのかもしれない。僕が僕を許せるのかもしれない。本当に、もしかしたら。
 
「神楽に相談したいことがあってさ」

 だからこの踏み出しは、僕の心の整理の一つとして。

「二週間後、叶愛の誕生日なんだけど、なにから準備すればいいかわからなくてさ」

「そういう話題を待ってたよ、楽しくなってきた」
 
 神楽の表情が晴れて、つられて僕も恥ずかしさより楽しみが大きくなってきた。

「神楽にしか訊けないからさ、なるべく詳しく伝授してほしいんだ」

「大体の予定とかは決めてる? 渡すプレゼントの内容とか場所とか時間とか」

「恥ずかしながらまだなんだよね」

「大丈夫っ、今日は相談役にもう一人、頼もしすぎる人を呼んでるんだよ」

 なんとなくそのもう一人、が誰なのかすぐにわかった。
 僕の予想が当たっていたら、それは確かに頼もしすぎる人だ。

「大丈夫! 今こっちに来たから二人が今までなにを話していたか、私はほぼ知らないから! 盗み聞きなんてしてないから安心して〜」

 仕切りの外から飛び出してきたのはエプロン姿の白石だった。
 普段腰あたりまで綺麗に巻かれた髪が低めの位置で一つに結ばれている、その様子から来客としてこのカフェにいるわけではないということは一目でわかった。

「白石、うちの高校は原則バイト禁止だったよな? よくバレずに——」

「あー違う違うよ! ここは私の両親が開いたお店なの! だからその手伝いをしてるだけで一切お金は貰ってない!」

「だから神楽が知ってたのか」

「オープンする時の荷物運びを手伝って、オープンしてからもたまに来てるんだよね」

「そうそう、律はこの店にとって頭が上がらない常連さんなの!」

 いつもの調子で神楽と白石は笑みを交わす、その空間が僕にはいつもより和やかに感じられた。
 サービスで持ってきてくれたクリームソーダを三つ並べて、僕たちは再び話の中へ戻っていった。白石は今にも言い出したくてたまらないと言う表情で僕を見ている。

「初デートで家に行ったなら——旅行とかがいいと思う」

 とんでもなく突拍子もないことを提案されてしまった。

「卒業したら予定を合わせることも難しくなるだろうし、一泊二日だけでもすごくいい思い出になると思うんだよね」
 
 まぁ確かに、白石の言うことも一理ある。
 それに僕と叶愛の関係は卒業までの期限付きだし、チャンスは今しかない。

「この間旅行することは好きって言ってたから、誘ったら喜ぶとは思うけど……」

「何か不安なことある? 私にできることなら最大限手伝うよ、女の子同士だからこそ話せることもあるだろうし」

「僕的には、ちょっと前に付き合い始めたカップルが二人だけで旅行って下心的な意味で捉えられないか不安で」

「確かに、俺もまだ寧々と旅行したことないし……ちょっと怪しいかもね。寧々、どう思う?」

「場所によるかもねって思う」

「「場所?」」
 
 神楽と声が揃った、それをおかしそうに白石は笑う。

「例えば王道の観光地を巡ってみるとか、宿泊先をホテルじゃなくて旅館にしてみるとか!」

「なるほど、それなら叶愛も怖がらないかもね」

「きっと心配しなくても大丈夫だ、想の普段の言動から不誠実さは一切感じられない。だからそもそも楪さんも怪しんだりしないと思う」

「私もそう思う! 叶愛ちゃんなら喜んで久遠君の誘いに乗ってくれると思うよ」

 二人からそんなことを言われたら、なんとなく自信が出てきてしまう。
 異性と二人きりの旅行。僕自身の中に緊張はもちろんあるけれど、叶愛にとって特別な日に叶愛が笑ってくれるならそんな緊張はとても小さいものに思えてくる。
 二十一時。話し込んでいる間に二時間も経っていたらしい、早い。
 既に閉店時間を過ぎた店内は僅かに残った甘い匂いと調理場の音に包まれている。
 恋人でいられる卒業までの間に、僕も叶愛に最大限の楽しめることをプレゼントしたい。きっとその願いを叶えられる選択肢として旅行は相応しいものだ。

「誕生日としてサプライズにするなら行き先とかも決めておいた方がいいよね。久遠君、どこか候補とか、ざっくりでもいいけどプランとかありそう?」

「候補か……」

 幼い頃はずっと病院にいて旅行なんてファンタジーのようなものだったし、兄が亡くなってからは家庭が旅行なんて呑気なことを言っていられるような状況ではなかった。家族旅行すら行ったことのない僕が最大限の思考を巡らせる。
 一緒に言って楽しい場所ってどこだ、叶愛はどんな場所が好きなんだろう、田舎か都会か、アニメーション映画のテーマパークは学生二人が行くにしては少し負担が大きい気がする。難しい、でも、考えることは苦ではなかった。
 一泊二日、双方に負担のない金額で充実感の得られる場所。

「修学旅行——」
 
 ふと、あの日の会話を思い出した。

「「修学旅行?」」

「僕たちが行った修学旅行のコースを巡るんだよ! そうしたら旅行が終わった後もみんなで思い出に浸れるかなって思って、叶愛との共通の話題も増えるだろうし」

「なにそれめっちゃいいじゃん、律はどう?」

「俺もめっちゃいいと思う、でも楪さんが通っていた学校の修学旅行と行き先が被ってないかだけ事前に確認はした方がいいような気がする」

「叶愛、小学校からずっと修学旅行は欠席だったらしい」

「そんなにタイミング合わないことってあるんだね……でも、なら丁度いいじゃん! 久遠君が叶愛ちゃんの初めての修学旅行、最高に楽しませてあげなよ!」

「旅館とかは俺と寧々も調べるの手伝うし、協力できることはするから想も安心して大丈夫」

「神楽も白石も本当にありがとう、絶対いい思い出にしてくる」

 本来の僕なら、もっと決断までの躊躇うはずだろう。
 いやでもやっぱり旅行をするにはまだ日が浅すぎるよ、とか、叶愛が嫌がるかもしれないからもう少し無難な祝い方にしよう、とか。そんな妥協ばかり並べるのが僕だ。
 それなのに僕は神楽と白石からの提案をかなりの乗り気で頷いた。
 そしてなにも苦しいと感じることなく叶愛のことを考えていた。考えている時、頭にあったのは叶愛の笑う顔だった、それがすごく僕の中で新鮮で、嬉しかった。
 好きなんだ、と自覚してしまった。
 
「間違っても泣かせないでよ? 私の叶愛ちゃんでもあるんだからね」
 
「心配しなくても大丈夫だよ、想ならきっと笑顔で二人で帰ってくるさ」
 
 そんな期待たちはとても幸せな色をしていた。叶愛との二日間を想像する。
 叶愛は隣で笑っていてくれるだろうか、いや、僕が笑わせるんだ。
 そしてあわよくばみたこともないような表情をみせてくれたら嬉しい。
 よく笑う叶愛の笑顔以上に幸せそうな表情を、僕はこの目で見てみたい。
 数時間前とは違う、今度はそんな恋人らしい願いを僕は抱いていた。