翌日の早朝。
眠い目を擦りつつ、昨日よりもさらに早い時間に登校すると、本当に小鳥遊くんが猫の世話をしていた。
「雪城、来たんだ」
「うん。たまたま、目が覚めたから」
「そっか」
からかってくるかなと思ったけど、小鳥遊くんは相槌だけを返してきた。ちょっと、拍子抜けだ。
「ね。私もごはん、あげていい?」
「うん、どうぞ」
小鳥遊くんが空けてくれた隣にしゃがみ込む。彼の手からエサを受け取ると、用意されていた小皿にそっと乗せた。
「わっ、食べた!」
「そりゃあ、エサだし」
「わあっ、可愛い!」
茂みから顔だけ出していた猫は、ごはんを置くとすぐに出てきて夢中で食べ始める。そしてなくなると、催促するように上目遣いで見つめてくるのだ。私なんかと違って、すごく素直だ。可愛すぎる。
ついつい頬が緩み、ふわふわの毛並みを撫でていると、横から視線を感じた。
「ん? わわっ」
「あ、ごめん」
すぐ隣に、小鳥遊くんの顔があった。思っていたよりも近い……って、真横にしゃがんでいるんだから当然と言えば当然だ。
クラスメイトどころか家族にすら見せない緩み切った顔を見られ、頬が一気に熱くなる。
「って、あ。ごはん全部あげちゃったけど、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫。ちょうど切れたところだったから。今日の放課後に買いに行こうと思ってたところ」
「へぇー、そうなんだ」
どうやら、買いに行くまでしてお世話をしているらしい。すごい。私には到底真似のできない清らかさだ。
「あの、さ」
「ん? なに?」
底なしの優しさに心の中で拍手を送りつつ、猫を撫でていると、ふいに小鳥遊くんがぎこちなく話しかけてきた。
「えっと、もしよかったら一緒に来る?」
「……へ?」
小鳥遊くんは、いつだっていきなりだ。
放課後。私と小鳥遊くんは、ショッピングセンターにあるペットショップに来ていた。
「わぁ……ペットショップって初めてきたけど、こんなにいろいろ売ってるんだね」
「うん。僕も最初来た時はびっくりした」
平日の夕方だからか、ペットショップはかなり空いていた。壁際に並べられたゲージでは、猫はもちろん、犬や鳥など様々な動物が不思議そうにこちらを見つめてきたり、気ままにおもちゃで遊んでいたり、ただただぼーっと立っていたりしていた。
「小鳥遊くんはペットとか飼ってるの?」
「昔は猫飼ってたけど、今は飼ってない。雪城は?」
「私の家は昔も今も飼ってないよ。結構親が厳しくて」
「そっか。親には左右されるよな」
「うん。だから、さっきの猫とか、ここの動物たちもすごく可愛くて、大人になったら飼いたいなーって思っちゃうくらい。あ、もしかして、だから誘ってくれたの?」
「あぁ、まあ。なんか、すごく嬉しそうにしてたし」
夜ほどじゃないけれど、学校から離れたからか、小鳥遊くんは少し話してくれるようになった。恥ずかしいのか、目はあんまり合わせてくれない。でも、やっぱり小鳥遊くんは小鳥遊くんで、私なんかにも優しくしてくれる。すごくいい人だ。
「さすが小鳥遊くん。ありがとうね」
「いや、いいけど。てか、そのさすがってなに」
「ううん。なんでもなーい」
誤魔化そうと、私は視線を逸らす。いつもついつい目で追っていて、その優しいところを知っているからだなんて言えない。それこそ、さすがに恥ずかしすぎる。
「ふーん、まあいいけど。それより、猫のエサはこっちだ」
「おーすごく種類があるね。なにが違うの?」
「んーとね、こっちはどちらかといえばおやつで、こっちがいわゆるキャットフードなんだ。それから……」
私の真横に来て、小鳥遊くんはいつになく饒舌に説明してくれた。その横顔からは、教室で見る不機嫌さはまったく感じられなかった。初めて公園で会った時とまではいかないけど、どこか子供っぽくすら思える。
「……ふふっ」
「え、なに?」
「あ、ごめんごめん。なんでもないよ。それより、どれにする?」
「なんか気になるけど……そうだな、これとかいいんじゃないかな。一番メジャーなやつだし、値段も手頃だし」
小鳥遊くんが手に取ったのは、真っ白な猫のイラストが描かれたキャットフードだった。他のものに比べて安く、量もそこそこ多い。
「よし、じゃあそれにしよう。私も半分出すよ」
「え? いや、いいよ。大した金額じゃないし」
「金額の問題じゃなくて、私もごはんをあげたいから出すの。いいでしょ?」
「ま、まぁ……」
まだ何か言いたげな小鳥遊くんの手に、私は千円札を握らせた。慌てる彼の反応が、少し面白い。
久しぶりに、心から楽しさを感じていた。
不思議といつもほどの罪悪感はなくて、もう少しだけこうしていたいと思った。
「ねっ、もしまだ時間あったら本屋に寄ってもいい?」
「いいけど、何買うの? 参考書?」
「ううん。ほら、前に小鳥遊くんが言ってたオススメの本を教えてほしくて」
本当に、あと少しの時間だけ。
本屋に寄って、前に小鳥遊くんがハマっていると言ってた小説と漫画を教えてもらうだけ。
それと、また嬉しそうに話す小鳥遊くんの表情が、見たいだけ。
純粋にそう思ってした、提案だった。
「僕、雪城にオススメの本なんて言ったっけ?」
「……え?」
ひゅっと、背中に微かな冷気が走った。
気のせいだと、思うことにする。
「あ、その……ほら、一昨日、だったかな? 夜に、公園で、教えてくれたやつ。小説と、なんだっけ……そう! 漫画! コミカライズされたって言ってた! それ、教えてよ!」
忘れてるだけで、思い違いをしているだけで。
あるいは、またちょっとショックだけど、知らないふりをしているだけで。
「ごめん。いったいなんのこと? 僕、夜中に公園で雪城と会ったこと、ないけど」
心に宿っていた暖かさが、一瞬で凍りついた。