あの白夜様を大人しくさせるだなんて。
ご当主様とて手に負えない存在だと話していたというのに。彼は唯我独尊の意思が強く、誰かに指図され黙って従うことを酷く嫌う。
悪く言えばわがままな利己主義者。
良く言えば不羈奔放な実力者。
無邪気さも相まって、有象無象の者から見れば隙がありありにしか思われない可能性も無きにしも非ず。
鬼頭家は三大妖家の中でもトップに君臨する鬼の一族。
何としてでも縁を繋ぎとめたいと考える者は少なくはないだろう。
「でも私、時雨様が若様の花嫁で良かったです」
「え?」
お香さんは立ち止まり、後ろを振り返ればニコリと微笑んだ。
「正直に言ってしまえば、私も人間に対して良い印象はありませんでしたから…」
「お香さん?」
私はどこか言いづらそうに言葉を濁す彼女を不思議そうに見つめた。
「私の生まれ故郷である分家の家にも過去に嫁入りした花嫁様がいらっしゃいました。ですが暮らしてみて分かりました。何とも傲慢で癇癪持ちな…。何と言いますか…典型的なお嬢様って感じでしたので」
そうか…お香さんも鬼の一族。
花嫁が嫁いできたことも過去にはあったんだ。
初めて聞くお香さんの昔話に私は耳を傾けた。
「傲慢ですか…実に術家の人間らしいですね。それで人間に対する印象が?」
「ええ、どうにも息が詰まりそうで。決して私自身、家族仲は悪くありませんでしたが。でもそんな時、鬼頭家で働き手を募集しているとの噂を聞いて。それで家を出たんです」
お香さんは鬼頭家の数ある分家のうち、その更に分家にあたる身の出身なのだとか。
お香さんの家に花嫁が嫁いできたのは数十年も前のことらしく、そこで初めて人間の花嫁という存在を知ったという。
だがそれは嬉しいといった感情にはほど遠く、なんとも不愉快で嫌な印象だけを心に残したという。
だからこそ、今回は花嫁を迎い入れる話にも反対気味だったのだとか。
「花嫁は確かにこの世界を救って下さっています。ですが彼女達が私共に向ける目は何とも恐ろしくて。まるでゴミを見るかのようなあの瞳。今でも忘れられません」
「お香さん…」
「ですが嫌われても仕方はありませんね。邪気を吐き、人間を苦しめるのは我々妖の仕業ですから。住む世界は違えど、やはり人間と妖の共存とは難しいものです」
お香さんは何処か悲しげに顔を外の景色へと向けた。
季節は夏とあってか夕方なのに比較的外はまだ明るい。
「それでも時雨様は今まで会ったどのお方とも違いました。蔑むこともせず、あの日はお翠様を救って下さいました。だから私も信頼できるのです。若様のことも、時雨様になら安心してお任せできます」
「そ、そんな!私はただ当然のことをしたまでで。むしろ救われたのは私の方ですから」
私の存在は現世では認められなかった。
何処までも皮肉めいた感情が濃く纏わりつき離れようとはしない。
苦しかったあの日の思い出を隠世の皆が変えてくれた。
前よりもずっと生きやすくなったのだ。
感謝したいのは自分の方。
「そんな優しい貴方様だからこそ、当主様はその道を通すことをお認めになったのかもしれません」
お香さんは私と向かい合うと人差し指を口元へとあてた。すると指の先からは鬼火が灯り、ゆらゆらと動きだす。不思議と鬼火からは目が離せない。
「当主様がお待ちです。お気を付けて」
その声で鬼火は私を取り囲む。
驚いて辺りを見渡せば、そこはもう今いた場所とは違う。多くの階段が複雑に入り組み、どこに繋がるか見当もつかない。そんな謎の異空間を形成した場所の中、私は下へ下へと落ちていった。
「うわあ!!」
「時雨殿!」
「青龍さん⁈」
いつの間に起きていたのか、青龍さんは私の腕から抜け出すと大きな龍へと姿を変える。
「大丈夫です!しっかり捕まっていて下さい。行き先は恐らくあそこでしょうから」
青龍さんは私を救い取ると飛んでいく。
もう何が何だか分からないが、彼がそう言うのなら任せよう。取り敢えずは彼の言う通り、二本の角をしっかりと握りしめると振り落とされないよう必死に捕まった。
青龍さんは器用に階段と階段との間をすり抜けいく。
何処に向かっているのだろうか…。
だがそれは間もなく終わりを迎えた。
向こう側が明るくなっている場所に彼はなんのためらいもなく飛び込むとピカッと目には光が差し込んだ。
「うっ!」
私はその眩しさに目を閉じたのだった。