『素直に気持ちを話してもいい』と優しさをかけられても、私はどうしても正解を探してしまう。
だからいつも、いつまで経っても、本当を言えないままでいる。
誰と一緒にいたいか、どんな人間になりたいか、そんな私にしかわからないことを隠し続けている。

 初めてその想いに気がついたのは、四年前の冬。
きっかけは、両親の離婚。
当時はそれほど深く考えていなくて『離婚したとしても家族であるという事実に変わりはない』なんて呑気なことを考えていた。
私にとって母は生まれた時から隣にいてくれて、すこし厳しさが怖く感じることもあったけれどきっと全てを包み込んでくれるような存在だと思っていて離れるなんてことは想像もしたく無かった。
それに変わって父は暴力的で酒癖も悪く、罵声を浴びせることは日常で、常に顔色を窺ってしまうような存在。
それでも休日にどこかへ連れて行ってくれる時間や深夜に目が覚めてしまった時の酔って上機嫌な父とテレビを観る時間は私にとっての特別だった。好きでは無かったけれど、嫌いなんて言葉で片付けられるほど薄情になれる存在では無かったと思う。

 放課後、当時十二歳の私が『離婚届』を目にした日のことを覚えている。
一枚目は、私が破いた。
その日の夜は母へ父の罵声が止まなかった、身勝手なことをしてしまったとイヤホンで耳を塞ぎながら声を殺して()いた。
それから一ヶ月程経った頃、母から尋ねられる。
無意識に当時の記憶を避けてしまって、言葉を正確に思い出すことはできないけれど『父と母のどちらの家族になるか』そんな言葉だった気がする。

「親は二人いたほうがいいよ、いてほしいと思うよ」

 『一緒に暮らしていたい』そんな本音を抑えて、私は冷めたような答えを出した。
正解が決まりきっている問いへの答えで、大切な人を困らせたく無かったから。
その時既に、父には家庭外で愛している女性の存在が在ったことを私は知っていた。
一度休日の父が見慣れないスーツを着て外へ出た日に尋ねたことがある『どこへいくの』と。父は『大切な人に会いにいくんだ、仕事じゃないから遅くはならない』と答えた父は、夜が明けた翌日の朝に帰ってきた。
父がその女性へ向けている感情が愛と呼ばれるものなのかどうか、当時の私には幼すぎてはっきりとはわからなかったけれど、偶然目に入ってしまったトーク画面に並んだ言葉が、優しかった頃の父が私へ掛けてくれた言葉によく似ていて『そういうこと』という予想が確信に変わった。
私は、本当の想いを呑み込むことを覚えてしまった。
 
 離婚から数ヶ月、私は母と共に母の実家へ引っ越した。そして数週間後、誰一人知人のいない中学校へ入学する。
母の実家がある街は人口も少なく、幼稚園から中学校までほぼ人の入れ替わりがなく進んでいく。
約十年間で完成されたコミュニティーの中に溶け込まなければいけないという空気は、正直苦しかった。
物珍しく思い興味を持ってくれた子の存在に安心していたけれど、数日したら飽きられてしまう、そんな子供のおもちゃのような扱いが痛かった。
相手の気に障らないように、理想に当てはまるように笑えているか、それだけを気にして私は制服を着ていた。
それでも優しい世界はあって、いつの間にか名前を呼び捨てで呼んでくれる友達ができて、休日に連絡をとる存在もできた。
私は、その存在に対してひとつの感情を抱くようになる。
好意でも、敵意でもない、『離れてほしくない』という恐怖心。
嫌われないように、見透かされないように、他の大切な存在へいってしまわないように。『嫌われない人にならなければいけない』という義務感で埋め尽くされた。 
目の前で笑ってくれていたとしても、その人が心の中で抱いている本当の想いなんてわからないから。
食事のペースも好き嫌いも、好みを尋ねられた時も、休日の遊びへ誘われた時も、気味が悪がられない程度に相手に合わせて、その場をやり過ごすことに必死だった。
きっと、相手がそんなことを望んでいないということには気づいていた。それでも私は相手の理想からずれてしまうことが怖くて、その姿勢を崩すことはできなかった。
そうして本音を言えないまま、私の中学校生活は終わる。
嫌われている意識は無かったけれど、好かれているという意識も感じることはできなかった。
それがすこし寂しかった。

 高校に入学して、誰かと話をすることが怖くなった。
噂は中学校よりも簡単に拡がってしまうし、一度悪い印象が張られてしまえばその印象を剥がすことは難しすぎるから。
周囲に合わせるように制服のスカートを巻いて、適度に容姿を整えて、迷惑をかけないように課題を提出して、時間通りに家へ帰る。退屈だと思った。
世間で言う『自由』の幅が広がる高校が、窮屈な輪に感じた。
その繰り返しを三年間続けていかなければいけないという事実に、(あらが)えない憂鬱を感じた。
数ヶ月『女子高校生』過ごして、幸いなことに友達と呼べる存在が五人できた。
ここでもまた、嫌われている意識は無かった。
私はたまに、その五人をすこし離れたところからみる瞬間がある。
本当にすこし、一歩(うしろ)に下がったところから五人をみる数秒の時間。
陽気に話を続ける子、話に乗っかって場の温度を保つ子、その話を聴いて手を叩いて笑っている子、廊下に通りかかった別の友人を引き留め話掛ける子。自然と意義を見出している五人との間に身勝手な壁を感じた。
その空間に私が入ってしまったら、全てを崩してしまいそうで私はただ目元だけで笑うことしかできなかった。

過剰になっていく私の中の感覚が苦しくて、週に二日程学校を欠席することがいつしか日常になった。
『自意識過剰だ』と言われてしまえば否定はできないけれど、私自身がその輪に入っていることを私自身が許せなかった。本当に素敵な子達だから、邪魔をしたくないという意識が過敏になっていった。
私の中にあるものは名前もわからない我儘な感情だけど、一番近い感情は『寂しい』が正しいような気がする。

 本音を言ったら、離れられてしまう。
だから私は正解を探し続けているけれどその正解がみつかったことは、きっと一度もない。
今になって思うことは、たくさんある。
本当は、ずっと父と母と暮らしていたかったこと。
父の高圧的な態度は確かに苦手だった、母へ手を挙げる姿もみたくはない。全てを美談にして『思い出』と語ることはしたくないけれど『この時間が続いてほしい』と感じた瞬間が三人の中であったことに間違いはない。
そして私はよく『家族』という存在に悲観的な考えをするけれど、本当は誰よりもその存在に憧れていること。
一緒にどこかへ出掛けるなんて特別なことじゃなくていい、食卓を囲みながらその日にあったことを話すことも、眠る前に『おやすみ』と言い合えることも、『家族』という言葉から当たり前に描かれる暖かさが私は酷く羨ましかった。
大きくなって自分の家族を持つなんてことでは埋め合わせることのできない願い。
何も難しいことに囚われずに、私は『子供』でいたかった。
家族が離れるという選択をした母に申し訳なくて言葉にすることはできないけれど、私がもし生まれ直すことができたらそんな『普通』を普通と思わないほど普通に感じられるような人なりたい。
 友達と話をする時も、好きなものを好きと言えるようになりたい。
好きな色も、アイドルも。今の私が右習えで選択しているもののすこしでも素直に言葉にしたい。
『この言葉を口にしたら、離れられてしまう』なんて不正解を排除しなくてもいいように、いつか私自身を私が受け入れたい。

 その願いを叶えるために、私は小説を描いている。
生まれ直すなんて根拠もない期待に、心を左右されたくないから。
私の小説には言葉では言い表せないような感情が散りばめられていて、時々それは生々しく誰かを(えぐ)る。
自身の生を恨むような気持ち、大切な存在の死を惜しむ気持ち、誰かを恋しく思う気持ち、憎らしいほど嫌う気持ち。
それを(すく)い取るように言葉にして、登場人物に(まと)わせる。
それが、私の小説。
その小説を形にして、私は私自身を証明したい。インターネットへの公開を超えて、書店の本棚に並びたい。
それが今の夢、変わることはない。
そんな夢を、私は今言えないまま隠している。
『叶うはずがない』と嗤われてしまうことが怖いから。
そんな気持ちを抱いて描き続けた私は、三ヶ月後在学中の高校を辞め、登校日数の少ない高校へ転学することを決めた。
友達との関係を絶つためではない。
隠していたことを正面から言葉にして伝えるため、逃げ道を絶ち私自身と言葉に向き合うため。

『小説家になりたい、絶対に形にして叶えてみせるから心の中では手を繋いだままでいてほしい』

 その想いを、私は伝えなければいけない。
正直まだ怖い、相手を信じていないわけではないけれど『正解』を探して辿ってきた私にとって『正解』に囚われない意志を表すことに自信がないのだ。
それでも私には、すこしの欠片(カケラ)程の自信がある。
退学の話をした時、母から告げられた言葉。
『やりたいことをやった方がいい、これは貴女の人生だから。だから楽しみなさい』
大切に育て、守ってきた一人娘が『学校』という道を逸れる決断は、戸惑ったこともきっとあったと思う。
それでも肯定的な言葉で背中を押されたこと、それが私にすこしの自信を宿した。

 私は今、思っている以上に空っぽで、それでいて色の濃い何かを持っていると思う。
ずっと誰かの『正解』に怯えながら、それに沿ってきたけれど、これからの私はそうはいかない。
何もない空白から心を創り出す『小説家』になるために、私は私自身を生きていかなければいけない。
過去へ抱えいる(わだかま)りを今更掘り返すことはしないけれど、その過去の全てを小説へ昇華して私のような『正解』を探している迷い子に手を差し伸べられる存在になりたい。
嫌われること、離れられてしまうことが怖いと知った時に本当の想いを隠して都合のいい言葉を並べることは自然なことだと思う。そうするしか、自分自身を保つ方法がみつからないから。そうやってやり過ごすことに慣れてしまえば楽だから。
それでも、一瞬の『その場しのぎ』には残酷なほどに終わりがないことを知った瞬間に、苦しさが襲う。
私はそれを知っているから、その苦しさを抱える子の一つの突破口をつくりたい。
誰かの不幸を並べるような言葉でも、幸福を望んだ文章でもない。私は誰かが、私が、隠し持っている心を(えが)きたい。
どんな言葉で自分の感情を並べたとしても、感じたことそのままが『正解』なんて言葉の(かた)にはまることができないくらい素敵なことだとすこしでも伝えられたら嬉しい。
 私の描き手としての名前『綴音 夜月』。
月がみえない夜でも、みえないだけでそこにある。時に夜闇(くらやみ)を強く照らし、時に暗さと調和し、そこに在り続ける。
誰もがみることができる、誰もが救いを求めることができる、そんな存在。
『綴った言葉が音のように誰かに響き、夜の月のような救いを』それが私が私に宿した意義。
娯楽とも捉えられるフィクションの中で、小説という芸術の中で、誰かの生き方に光を灯したい。

 小説家になることは簡単なことではないし、同じ夢を持つ人はきっと私の想像する以上に存在するけれど、私の苦しさを完全に感じられるのはこの世界で私一人だけだから、それを言葉にしたい。
きっと私は臆病だから、こんなにも素敵な夢を抱えていても苦しさを全てを消すことはできない。
過去を悔やんで、みたこともない数年後のことまで悲観してしまうことも数えきれないほどあると思う。
それでも私は、いつか私自身が本当の想いを大切な人へ伝えらるように、その夢を誰かに灯せるように生きていたいと思える。