やばい。
やばいやばいやばい、どうしよ……。
寝るには早すぎる夜10時。
少々どころではなく散らかった自室で、俺は重大なことに気づいた。
「宿題、忘れてた……」
ベッドのサイドテーブルに置かれたデジタル時計にもう一度目をやる。紛れもなくPMで、10時1分だ。締切まで、残り2時間を切った。
「やっべぇな……」
俺はさらに2分ほど頭を抱えてから、とりあえず開いた。ノート? いや違う。もちろん、スマートフォンを。
断じて現実逃避ってわけじゃない。これは宿題を完遂するために必要なことなのだ。だって宿題は、「SNS」をテーマにしたレポートなんだから。って、俺は誰に言い訳をしてるんだ。
「つってもなー、どうすっかなー」
なんちゃらスクール構想に基づくスマートうんぬんかんぬん方針により、今や高校でも宿題の一部はネット経由での提出になっている。しかも締切は日付が変わるまでと来た。中学の時は朝のホームルームまで粘れたのに、意味わかんねー。
そして今回の宿題は「SNS」に関するレポートで、考察がしっかりなされていれば合格点をもらえるらしい。しかし、なにぶん内容の自由度が高すぎる。さらには、担当教師はあの鬼メガネだ。適当なものを出したりなんかすれば、後でどやされて、宿題が倍増するのは目に見えている。
「くっそー……」
正直、今はあまりSNSを見たくない。さっきまであんなに悩んでいたのだ。フォローしているあいつの投稿を……今は、見たくない。
「……なんて、そんな場合じゃねーな」
再三時計を見ると、既に十分以上が経過している。女々しい自分に嫌気がさしつつ、俺はアプリを開いた。
「……っ」
数秒の起動画面が終わると、予想通り、彼女の投稿が真っ先に目についた。また何か新しい投稿をしたらしい。気になるが、今は宿題が優先だ。
なにか、何かないか……?
たくさんのハッシュタグに、写真が何枚か付けられた投稿たち。そのどれもが華やかだったり、綺麗だったり、美味しそうだったりする。映えを意識しているからだろう。端的に言えば、エモい。
「うわ、やば」
いつもの要領で投稿を流し見していると、ひときわ目を引く写真があった。大人気のインフルエンサー、KINTOの近況投稿だ。
どうやら、山にある別荘で友人たちと花見をしていたらしい。「#春、#梅、#桜、#主役とられた」などの投稿タグが並んでおり、その上には青空の下で舞い散る見事な桜吹雪の写真が載っている。
「あ、これもいいな」
続けて投稿されていた写真は、有名な観光名所の写真。ごつごつとした岩肌が、陽の光に照らされて鮮やかに輝いている。確か、昔は滝が流れていたけど、枯れてしまったんだっけか。 KINTOの投稿にも「#滝の糸、#枯れ滝」なんてタグがあるし。
実に映える投稿の数々に高評価を押しては眺め、押しては眺め……ハッと我に返った。
「って、やばいやばい。宿題マジでどうしよ」
危うく本来の目的を忘れてサーフィンするところだった。これがあるからSNSは危ない。宿題の休憩にと開いたが最後、大波に呑まれるがごとく俺から時間を奪い、興味をかっさらっていく。それもこれも、みんなが面白い投稿を載せるからだ。……いや、それよりも俺の意思の弱さが原因か。
強く頭を横に振り、意識を切り替える。
SNSをテーマとして何を書けばいいか。
……まったく思いつかない。加えて時間も無い。とりあえずほかのSNSアプリも開いてみるが、何も思い浮かばない。マジで、やばい。
焦りばかりが膨れ上がっていく中、タイムラインを再び更新する。すると、ある投稿に目が留まった。
>@reiwa:この場所がなかったら、吐き出せる場所がなかったら、私は一生溜め込んでいたかもしれない。
それはタイムラインに流れてきた、誰とも知らない投稿だった。何の気はなしに、タップする。
>@非表示:わかる。うちも、ここに書いてることはゼッタイ学校の友達とかに言えない。
>@ima:僕もすごくわかります。なぜかわかりませんが、素直に気持ちを書けますよね。
>@非表示:ね。匿名だからかな?
>@ima:そういう人もいるかもしれませんが、僕は実名で登録してて、友達も普通にフォロワーにいます。それでも、普段より言葉にできるんです。
>@非表示:そっか。なんでだろーね。
>@ima:なんででしょうね。
リプライが続いていた。顔も知らなければ、きっと年齢も性別も違う人たちが議論していた。
そういえば、と思う。俺も最近、深夜にたまらなくなって友達には言えない愚痴を投稿したんだっけか。それから、似たような投稿をしているどこかの誰かの投稿にいいねボタンを押したり、ブックマークやリストに入れたんだ。
「そうだ、これだ!」
そこへ閃きが降ってくる。まさに天啓。ラマヌジャンの再来、は言い過ぎか。それでも、今回のレポートにはピッタリだろう。というか、もう悩んでいる時間はない。
「とにかく良さげな投稿を並べてから、考察にはここのリプライを参考にさせてもらおう! いける!」
後から振り返ってみると、わりとしょうもないアイデアが浮かんだ瞬間だった。
*
「よし、とりあえずこんなところか」
ここ数日で一番の思いつきにホクホクしながら、俺はSNSをいつも以上に熱心に漁った。
とりあえず良さそうなのは季節に関するもの。春夏秋冬の風景を映したものや、季節感のある投稿はもちろんのこと、さっきのKINTOの投稿にもあるような草木や名所に関する投稿もいい。その時に感じた気持ちがふいに漏れているのか、直感的な内容が多く、共感もできる。そこそこ古いものもあったが、まあいいだろう。
あとは祝い事とかの純粋な喜びの投稿や、逆に悲しみの深い投稿も必要だったのでリストにまとめた。一応は真面目な宿題レポートだし、それっぽい考察ができるものがないといけない。さすがにこの時間のない中、ゼロから探すのは無謀だと思われたので、我らがインフルエンサー・KINTOのいいねリストや拡散リストも参考にさせてもらった。おかげで、考察のための資料としてはそこそこの内容だと思う。
「あとはこれを上手くまとめて書かないと……」
時計は既に夜の11時を回っている。提出は締切ギリギリになりそうだが、投稿を貼り付けていけばページ数も字数も稼げるし、どうにかなるはずだ。
画面を見過ぎて疲れた目を少し休めようと、俺はスマホをジャージのポケットに入れた。そしてそのまま、月明かりに誘われるようにベランダへと出る。
「うう~……夜はまだ冷えるな」
ついさっきまで春夏秋冬、様々な季節の投稿を見ていたが、今の季節は春になりかけの頃といったところだ。昼はのどかな太陽のおかげで暖かいが、日が沈んだ夜の風は冷たい。今も、ぶるりと俺の身体を震えさせてくる。
「……ふぅー」
そのせいだろうか。あるいは、レポートの目途が立ったからだろうか。
気温とともに冷えた俺の頭の中には、忘れかけていた悩みが再燃していた。しかも、まるでタイミングを図っていたかのようにスマホが振動する。見ると、一件の通知が来ていた。
「……あいつ、こんな夜中になにやってんだ」
フォローしている相手の、新しい投稿がされたことを知らせる通知。そこには、天体観測というハッシュタグとともに綺麗な満月が輝いていた。
彼女のアイコンをタップする。どこかのイルミネーションの写真だが、俺はその場所を知らない。
そして、@sisiと書かれたユーザーIDのすぐ下にある直近投稿リストには、今ほどの天体観測の写真が載せられたものに加え、先ほど見るのを避けた投稿があった。
「ふーん。友達と、ね」
どこか、学校の屋上のような場所の写真だ。ほとんど真っ暗だけど、小さく彼女の後ろ姿が写っている。遠目でも、暗がりでもわかる。この彼女のはしゃぎっぷりは、相当な喜びようだ。
もう、俺には何の関係もない人。
ただの元クラスメイトで、笑って冗談が言えるくらいには親しかった女友達。
そして、急に遠くへ引っ越してしまった……好きな人。
引っ越しをしてすぐの頃はSNSでやり取りをしていたが、今じゃもうすっかり疎遠になっている。きっと彼女は俺のことなんか忘れて、新しい場所で、新しい友達と、新しい生活を送っているんだろう。いいことだし、それは素直に嬉しい。けれど……。
「……忘れられたら、いいのにな」
これ以上彼女の投稿を見たくなくて、俺はタイムラインを更新しようと画面をスライドさせた。読み込み中の後、すぐに見知らぬ誰かの投稿が表示され、彼女が誰かと一緒に撮った写真は情報の海の中へと消えていった。
本当に女々しいと思う。学校での俺は、こんなふうじゃないのに。
込み上げてくる自己嫌悪を誤魔化すために俺は宿題を再開しようとして、また画面に釘付けになった。
>@kanemori:あーあ。好きな気持ち隠してたのになー。何悩んでるのって心配されちった。気づけよ。ばかやろーーーっ!
随分と昔の投稿だった。どうやら、フォローしている誰かが、いいねリストに加えたらしい。
>@tadami:噂になるの早すぎだろ。知られたくなかったのにさ。遠くから見てるだけで、良かったのにさ。くっそー。
その下の投稿も、同じだった。
>@atsutada:恋ってさ。叶ってからもつらいとか、マジ?
その下も。
>@hitomaro:遠距離しんどい。夜長すぎるだろ。会いたいなー。
その下も。
>@tokumei:なんであんなやつ好きになっちゃったんだろ。私の、初恋だぞ。
どこかの誰かが、恋に関する投稿を次々といいねリストに加えていた。
深夜テンションで書いたのだろうか。それらの投稿主は、意外にも男が多い。それに、かなり女々しい。まるで……
「俺、みたいだ。それに……」
ふと思いついて、俺はブックマークしていた投稿を読み返す。ついさっき、宿題のために必死になって探し出した、素直な気持ちを表した投稿の数々を。
そして、それは思った通りだった。
「ははっ……恋愛関連のやつ、一個もねーじゃん」
どうやら俺は、無意識のうちに恋に関する投稿を避けていたらしい。
「……なにが、素直な気持ちだ」
今回の宿題で書こうとしていた帰結を思い出す。
SNSは、普段人には言えない気持ちを吐き出せる場所ではなかったか。
たかが学校の宿題。いつもなら適当に書いて、適当に提出するだけ。今回も、赤の他人の意見をそのまま拝借して書くつもりだった。
でも、なんだかとても、そんな自分が不愉快だった。
「はあーあ。やるか」
リストの見直し、間に合うだろうか。
……いや、間に合わせる。仮に間に合わなかったとしても、今回はしっかり自分の考えを書かないといけない。というか、書きたい。
それと、もうひとつ。
>@kazan:どうしても忘れられないから、やるっきゃねーわ。
深夜11時過ぎ。
あとで恥ずかしくなりそうな決意の投稿と、あいつへの久しぶりのメッセージも、忘れずにしておかないとな。