記憶の中にいる幼い頃の自分は、よく泣いていた。
 家族とはどう見ても違う容姿、『あなたは特別だから』と周りとは違う態度を取る大人たち、遠巻きにこちらを見てヒソヒソとなにかを話す同年代の子ども。そのどれもが煩わしくて、寂しかった。
 ある程度の年齢になると、今度は自分の力が希有なものであると自覚した。
 そのひとつが他人を黒に染めてしまう『黒の力』だった。
 龍は皆、人の形で生まれ、龍への変化を覚える。けれど、幼い頃はうまく変化を制御できない。逆に一度龍の姿になると、元に戻るのが難しかった。
 幼い黒龍は、理由もわからぬまま、龍の姿となったときはひとり部屋に閉じ込められていた。人の形に戻るまでは外に出るのを許されなかった。なぜなら、黒の力を持っていたからだ。いつ発現するかわからないその力を、皆恐れ、そして崇めていた。

「黒龍? 大丈夫?」
「兄様……」
「あと少ししたら戻れるはずだから、それまでの辛抱だよ」

 ふたつ年上の兄は、黒龍が閉じ込められるたびに、扉の前で人型に戻るまでの時間を一緒に過ごしてくれた。黒龍はこの兄が大好きだった。
 そんな兄を自分自身のせいで失うなんて、あのときの黒龍は想像もしていなかった。
 忘れもしない、十四になった年の春。
 季節の変わり目で具合を崩したのか、その日は朝から体調がよくなかった。
 今考えると、それらはすべて力の発現の前兆だった。けれど、当時の黒龍はそれに気づくことはなかった。
 身体は妙に気怠く、頭もふらつく。風邪でも引いたのかもしれない。今日は早めに休むようにしなければと思っていた。

「黒龍、大丈夫か?」

 一緒に武術の鍛錬をしていた兄が、体調が悪い黒龍を気遣ってくれる。中断させるのも申し訳ないから、そろそろ部屋に戻ったほうがよさそうだ。

「ええ。どうやら風邪を引いたようです。兄様、俺はそろそ、ろ――」
「黒龍!」

 目の前が真っ暗になる。それと同時に、全身をなにかが駆け巡るような感覚に襲われた。
 これは、まさか。

「兄様、逃げ……」
「おい、黒龍! こく……りゅ……」

 身体の変化は、容赦なく黒龍を襲う。こんなふうに制御できないのは、幼い頃以来だ。そんな黒龍に呼応するかのように、空は黒く渦巻いていく。

「だ……め……にげ……」

 最後に伝えようとした言葉は、兄に届いただろうか。
 次に気づくと、龍の姿となった黒龍の手の中には黒い髪をした青年がぐったりと横たわっていた。
 自分以外にこんなにも黒い色の髪を持つものはこの世界にはいない。なら手の中の彼は、いったい。

「まさ、か」

 信じたくなかった。そんなわけがないと、自分の中に浮かんだ可能性を否定したかった。けれど。
 そっと地面に下ろすと、青年はようやく意識を取り戻したのか、まだ龍の姿のままだった黒龍を見上げた。

「だい、じょうぶ……か?」

 二度、三度と呼吸を繰り返すうちに、黒龍の身体はようやく人の形へと姿を戻す。そんな黒龍に、横たわったままの兄は手を伸ばした。

「兄……様……」
「黒龍? どうし……え……あ……」

 兄は自身の姿を目にした瞬間、言葉を失った。
 こんなふうに青ざめていく兄を見るのは初めてで、自分の力を目の当たりにしたのも生まれて初めてだった。

「これが〝黒に落とす〟力……」

 それは両親が幼い頃から黒龍に言い聞かせ続けていた。あまり膨大な力は誰かを守るためだけではなく、傷つけてしまうことになるとも。
 けれど、髪色や龍となったときの色が違う以外には、兄と黒龍の間に違いはないように思っていた。どちらも龍王である父の息子で、同じように育てられ、同じように愛されていると信じてきた。それなのに、こんな事態が起こるとは……。

「黒龍様が目覚められたぁ!」
「え……?」

 遠くから、誰かが叫んだ。ひとりが口にしたその言葉が、やがて伝染するかのように広がっていく。

「黒龍様のお目覚めだ!」
「黒龍様!」
「待って、そんなことより兄様を……!」

 周囲の叫び声に、黒龍の声はかき消されていく。人型へと戻った黒龍の身体は持ち上げられ、まだ真っ黒な空に向かって掲げられる。必死に兄の姿を探すと、兄は顔見知りの夫婦が毛布に包み、寄り添っていた。

「あっ」

 そのときの兄の目を、黒龍は一生忘れることはないだろう。あんなにも優しかった兄の、憎悪に満ちあふれた瞳を。


 黒龍の力に目覚めたその日、屋敷から兄は姿を消した。口さがない者が「『もうここでは生きていけないものね」』と言っているのを聞いた。
 兄がここにいられなくなったのは自分が黒に落としたからだと罪の意識に苛まれた。
 それまでも黒龍はひとりだった。けれど、兄がいなくなったことにより、さらに孤独は増した。
 周りから崇め奉られる不安と重圧に押しつぶされないようにと、必死に虚勢を張った。誰よりも黒龍自身が〝『黒龍〟』であるように振る舞った。そうすることで、周りは黒龍のそばに近寄るのを不敬だと思う肝に銘じるようになった。
 それでよかった。もう二度と、兄のように意図せず黒に落として誰かを傷つけてしまわないように。
 自身の屋敷を与えられ、親元を離れてからは余計にひとりであろうとした。たまに自分の娘を黒龍の(めかけ)にと連れてくるやつらがいたけれど、すべて追い返した。
 皆、黒龍のことをではなく、『黒龍』としてしか見ていなかったから。それに、自分の娘が黒に落とされる可能性があるというのに、なんとかして黒龍との繋がりを持ちたくて差し出してくる親たちに対して嫌悪感しかなかった。
 屋敷には、幼いときから世話を焼いてくれた葛葉という者と、最低限の人数だけを置いた。ひとりでもいいと言ったけれど、両親がそれを許さなかったのだ。
 それでも兄と、それから幼い弟がいた屋敷に比べると、黒龍ひとりが暮らす屋敷はとても静かで、まるで時間の流れが異なるようにさえ感じる。
 縁側に寝転がり見上げた空は真っ青で、吸い込まれそうな錯覚を覚える。
 そういえば、あの先には人の世があり、自分たちとは違う種族が生きているのだと両親が話していた。
 彩りの一族という一族が守っている人の世。彩りの一族は真っ黒の黒龍とは違い、風合い豊かな色をした人々だと聞いた。

「見てみたい」

 興味本位だった。真っ黒な自分とまるで対極のような彼らをこの目で見てみたかった。
 黒龍である自分が空を飛べばすぐに見つかって連れ戻されるだろう。それは避けたかったため、決行は夜が明ける前にした。
 真夜中なら彩りの一族が起きていない可能性もあったし、夜と朝の狭間であれば目立たず、気づかれる可能性も少ないだろうと思ったから。
 決めると、すぐに行動したくなる。その日の夜明け前、黒龍は龍へと姿を変え、空を舞った。
 崖を超え、山を下ると、その先に大きな屋敷があるのが見えた。
 あれが彩りの一族の屋敷だろうか。まあ、違えばまた探せばいい。時間はたっぷりあるのだから。
 門を開け、中に入る。屋敷は静まり返っていて、どうやら家人は眠っているようだった。
 このままここで誰かが起きてくるのを待とうか、それとも辺りを散策しようか。少し迷っていると、どこからか足音と、子どものものと思われる荒い息づかいが聞こえた。
 どこにいるのかと辺りを見回せば、身体の半分ほどある大きな桶を持った子どもの姿が見えた。ボロボロの着物を見に纏ったその子どもは、真っ白な髪色をしていた。
 意外だった。彩りの一族にも色がない者がいるなんて。それともあの子どもは、彩りの一族ではなくこの屋敷で働く下女の娘だろうか。
 よく見ると痩せ細ってはいるが弟よりは大きいであろうその少女は、日も明けないような時間から働かされていて、自分の屋敷でのうのうと暮らしている黒龍とは大違いだった。
 仕事の邪魔をしてはいけないだろうと、足音を立てないように黒龍は進む。庭にはたくさんの花々が咲いていて、小さな池もあった。
 庭に咲く真っ白な花。それに手を伸ばせば、兄のように黒く染まるのだろうか。

「くそっ」

 伸ばしかけた手を引っ込め池のそばにしゃがむと、黒龍は池を覗き込む。そこに映っているのは、赤い目に真っ黒な髪をした人型の自分の姿だった。
 こうして人型になっても目立つ醜い外見。どうして自分は、家族と同じ見た目で生まれてこなかったのだろう。皆、口を揃えて『黒龍は特別だから』と言うけれど、特別であることよりもひとりではないほうがきっと幸せだ。

「こんなの……」

 水面を手で払いのけると、いくつかの波紋ができて水面を揺らめかせる。水に映る黒龍の姿は、ぼやけていった。

「あー!」
「え?」

 その声は、まるで黒龍の行動を咎めるようだった。慌てて振り返ると、そこには先ほど桶を抱えていた少女の姿があった。黒龍の黒とは対照的な真っ白の髪の少女は、頬を膨らませた。

「お水で遊んじゃいけないんだよ」
「別に遊んでなんか」
「ふーん? ね、お兄さんだあれ?」
「誰って……」

 コロコロと表情と話題を変えながら、子どもは屈託のない笑みを浮かべる。

「お兄さん、格好いいね」
「なにを……」
「その黒い髪! すっごく格好いい」
「……っ」

 忌々しささえ感じている黒を褒められ、反射的に睨みつけてしまう。けれど子どもはそんな黒龍の態度に気づいていないのか、キラキラとした目を向けてくる。その目を見ているのが嫌になり、黒龍は視線を逸らした。

「別に、かっこよくなんてない」
「格好いいよ。私には色がないから羨ましい」

 そう言った子どもは肌も髪もすべてが真っ白で、唯一くりっとした瞳だけが黒耀の髪と同じ、吸い込まれるような黒だった。

「黒なんか嫌いだ」

 自分たちの世界では決して口に出すことを許されない言葉。いや、黒龍になら許されるのかもしれない。ただどうしようもない空気に包まれるのは、容易に想像がついた。
 黒として生まれた自身を恨んだことはあっても、黒に生まれて嬉しいとか誇らしいとか、一度も思えた記憶がない。

「どうして?」
「どうしてって……」
「とっても素敵な色だけどなぁ」
「こんなの……。それなら、お前のその白のほうがよっぽど綺麗だろ」

 黒龍の言葉に、子どもは泣くのをこらえているかのように複雑な笑みを浮かべた。その表情に、自分がなにか言葉選びを間違えたのではないか、この子どもを傷つけてしまったのではないかと不安になる。

「……悪い」

 黒龍として生まれた自分に悩みや苦しみがあるように、真っ白なこの子どもにも他人にはわからないなにか事情があるのかもしれない。

「お兄さん、あーん」
「は……?」

 困惑してつい開けた黒龍の口に、子どもはなにかを放り込んだ。舌の上で溶けたそれは、黒龍の口内を甘く染めていく。

「なんだ、これ」
「金平糖だよ! 美味しいでしょ」
「美味しいけど」

 子どもの意図がわからず、余計に困惑して思わず眉間に皺を寄せてしまう。子どもは自分の口にも金平糖を入れると、嬉しそうな笑みを浮かべた。

「悲しいことがあったときはね、これを食べるの。そうしたら、幸せな気持ちになれるの」
「別に俺は……」
「甘い物を食べていれば、笑顔になれるの」

 そんな馬鹿な、と否定しかけて、やめた。確かに目の前の子どもは満面の笑みを浮かべている。

「もうひとつ、もらってもいいか」
「いいよ、特別にあげる」

 差し出した手のひらに、小さな金平糖が載せられる。それを口に含むと、再び甘さが広がっていく。

「ふ……。確かに、これを食べながら難しい顔はできないな」
「でしょ!」

 嬉しそうに笑う子どもが手に持った瓶には、半分ほどまだ金平糖が残っていた。
 半分も減ってしまうほど、この子には悲しいことがあったのだろうか。見れば、ボロボロなのは着物だけでなく、指先はあかぎれ、手の甲はすり切れていた。

「おい、お前の名前はなんて言うんだ」
「雪華だよ!」
「雪華」

 口の中で何度かその名前をつぶやく。まるで先ほど金平糖を食べたときのような甘さが、胸の中に拡がっていく。
 まだ彼女と話をしていたかったが、どんどんと日が高くなってきている。これ以上ここにいられない。完全に夜が明ける前に戻らなければ。

「雪華、いつかまた会いに来る。だから」

 遠くから、雪華の名前を呼ぶ声が聞こえる。その声に、雪華は肩を振るわせた。

「もう、戻らなきゃ!」
「あ……」
「またね!」

 雪華は声のした方へと駆け出していく。その背中を見つめながら、もう一度名前をつぶやいた。

「雪華」

 必ずもう一度会いに来るから、そのときまで待っていろ。伝えられなかった言葉を呑み込むと、黒龍も自分の世界へと戻る。
 いつかもう一度、あの笑顔に会いたい。減ってしまった金平糖の瓶の中身を埋めて、悲しいことがなくても食べていいんだと言ってやりたい。いや、違う。

「金平糖がなくても、俺が笑顔にしたい」

 龍へと姿を変えると、黒龍は夜明けの空へと昇った。いつかまた、会いに来ると誓って――。


 ***


 話し終えた黒耀を、雪華は驚きを隠せないまま見つめる。

「まさか、あのときの男の子が……黒耀様だったなんて」
「覚えていたのか」
「はい。でも……人間の男の子だと勘違いしていて。また会いに来ると言ってはいたけれど、それ以降訪れることもなかったので、どこかで元気にやっているのかと思ってました。それが、まさか……」

 悲しそうな顔をしていた男の子に金平糖をあげたのは覚えている。どうにか笑ってほしいと、祖母がくれた金平糖をふたつ渡した。ふっと柔らかな笑顔が優しくて、幼心に見惚れてしまっていた。
 あれがまさか黒耀だったなんて、想像もしなかった。でも確かに思い返してみれば、あのときの男の子は黒耀と同じ、真っ黒で吸い込まれそうなほどに綺麗な髪色となにもかもを見透かすような赤い瞳をしていた。

「あのときからずっと、お前を笑顔にしたかった」

 そっと手を伸ばすと、黒耀は雪華の頬に触れた。その手のぬくもりがくすぐったくて、嬉しくて、幸せで、雪華は自然と涙を流しながら笑みを浮かべていた。
 この人を、好きになってよかった。

「ばっかじゃないの」

 吐き捨てるような声に、雪華は視線を向けた。そこには呆れたように醒めた目でこちらを見る、玲の姿があった。

「ふたりで好きに運命の恋ごっこでもやってなよ。僕はもう知らないから」
「待て。知らないからで、すべて済まされると思っているのか」
「ふん。どうするつもりなの? 兄様みたいに僕も黒に落とすつもり?」

 そんなことできるわけないよね、とでも言いたそうな口調で玲は笑う。黒耀はグッと声を詰まらせる。

「じゃあね」

 ひらひらと手を振ると、玲は悠々と立ち去ろうとする。そんな玲の背中に、雪華は声をかけた。

「待ってください」
「……なに?」

 玲は振り返らず、どこか固い口調で返事をする。雪華は一歩踏み出すと、ずっと気になっていたことを問いかけた。

「最初から、私のことを利用するつもりだったのですか?」
「そうだよ。ずっとあんたのことを利用してやるつもりだった」
「本当に?」

 どうしても玲の語った話が、すべて本心だとは雪華には信じられなかった。

「黒龍様が憎いから、やり込めるためだけに私と仲良くしてくれたんですか? 本当に? 一度も、私と一緒にいて楽しくはなかったのですか?」
「…………」

 雪華の問いかけに、玲はなにも答えない。

「違います、よね」
「……馬鹿じゃないの。あんたなんて今も今までも大っ嫌いだよ」

 そう言い放った玲の前に、黒耀が連れてきた男性ふたりが立ち塞がる。玲はなんの抵抗もなく、その男たちに連れていかれる。
 残された雪華は、黒耀に尋ねた。

「玲様は、どうなるのですか?」
「然るべき処分をする。あいつのしでかしたことは、軽いものではない。雪華の命と、それから黒龍である俺の失脚を狙ったわけだからな。白龍ではいられなくなるだろうな」
「白龍でいられなくなるって、それはつまり……」

 厳しい口調とは裏腹に、黒耀の表情は苦しかった。実の兄を意図せずとはいえ黒に落としてしまい、今度は自身の弟を罰するためとはいえ、黒に落とす決断をしようとしている。そんなつらい思いを、黒耀にさせたくない。

「……私に決めさせてもらえませんか?」
「なにをだ」

 雪華の言葉に、黒耀は不思議そうに片眉を上げた。雪華は唾を飲み込むと、振り返り黒耀を見据えた。

「玲様の、処罰です。迷惑をかけられたのは私です。黒耀様の失脚については、未遂どころかまだそこまで到達していませんし……今の時点での被害者という点でいえば、私だけなのかなって」

 言いながら、黒耀の眉間の皺が深くなっているのに気づいて、言葉を弱めそうになる。けれど、今ここで雪華が逃げてしまえば、玲だけでなく黒耀もずっと苦しむのが目に見えている。

「駄目、でしょうか?」

 恐る恐る尋ねる。不安だった。でも引く気もなかった。
 まっすぐに黒耀を見つめる雪華の姿に、黒耀は少し考えるように黙ったあと、ふうと息を吐いた。

「……好きにしろ」
「いいのですか?」
「ああ。それでどうするつもりだ?」

 雪華がなにを言い出すのか楽しみだとばかりに、含み笑いを浮かべながら黒耀は尋ねる。そんな黒耀に、雪華はふふっと笑うと耳元に口を寄せる。

「玲様は私が大っ嫌いらしいので、そんな私のお世話係をしてもらおうかと思うのです」
「ふ……ふは。それは、玲にとっては一番の罰かもしれないな」
「ええ。文の下についてもらえば、きっといい子になりますよ」

 顔を見合わせて雪華と黒耀は笑う。

「では、世話役をしている間は、玲からは王位継承権も剥奪しよう。龍王の息子の白龍としてではなく、ただの玲として働いてもらうとするか」
「そのあとは、どうなさるのですか?」

 今の龍王になにかあれば、そのときは黒耀が跡を継ぐ。けれど、その次の代は未だいない。黒耀に万が一のことがあれば、龍王がいなくなってしまう。

「罰を終えれば、また継承権も復活させる。まあ」

 言葉を途切れさせると、黒耀は意地の悪い笑みを浮かべた。

「そのときに、俺の子がいなければ、だけどな」
「なっ、そ、それは……」
「ん? どうした?」
「なんでもありません!」

 動揺する雪華を見て、黒耀は楽しそうに笑う。
 結局、黒耀も、そして雪華も玲に甘いのかもしれない。けれど、どうしても小さな子どものように屈託なく無邪気に笑う玲を、憎むことも嫌いになることもできなかった。

「……雪華」

 黒耀が雪華を呼ぶ。
 ずいぶんと話し込んだせいで、もう夜が明けようとしていた。真っ黒だった空に、白い光が差し込み始める。

「お前が欲しい。ずっと俺のそばにいてくれ。初めて会ったあの日から、お前の笑顔を守りたいと願い続けてきた」
「黒耀様……」

 同じだった。黒耀も雪華を、ずっと想ってくれていた。うっすらと目尻ににじむ涙を拭う雪華に、黒耀は静かに微笑みかけた。

「愛してる。お前だけが俺の光だ」
「私も、黒耀様をお慕いしております。今までも、これからもそばにいたいと思うのは黒耀様だけです。あなたを愛しています」

 黒耀の顔が近づいてくるのを感じて、そっと目を閉じた。やがて唇に、柔らかいものが触れた感触がして、反射的に目を見開く。するとすぐそばには、黒耀の整った顔が見えた。

「……っ」
「ふ、真っ赤だな」
「えっ……あ……」

 自分の頬に手を当てると、ほのかに上気しているのが感じられる。恥ずかしくて俯く雪華に、黒耀は優しく微笑んだ。

「こんなに赤くては、白姫だと気づいてもらえないかもしれないな」
「も、もう。からかわないでください」

 笑いながら黒耀は、もう一度雪華に口づける。その瞬間、黒耀の漆黒の髪が輝きを増す。吸い込まれるような黒だったそれは、虹色の輝きを纏い取り戻すかのように輝きを増して取り戻していく。

「黒耀、様……?」

 胸元からあふれ出した光は、やがて黒耀を包み込む。人型を保っていられなくなったのか、龍へと姿を変えた。

「虹色の、龍……」

 七色に輝く虹色の光を放ちながら、黒耀は朝日が昇り白み始めた空に空へと駆け昇った。その姿は、いつか見た白龍竜の姿よりもはるかに綺麗で、まるで青空にかかる虹のように美しく輝いていた。