月狐族の少女は陽が落ちる頃に目覚めた。警戒心をむき出しにされたので、ギルドカードを見せると、すんなりと大人しくなった。
念のため、少女の荷物は預かっている状態だが、魔素の森をうろつける程だ。武に長けていない月狐族だとしても、武器等を持たない生身の状態だからといって油断は出来ない。はずだったのだが、少女はげんなりとした様子で向き直る。
「危ないところを助けていただき、ありがとうでありまする」
ベッドの上でかしこまり、おずおずと頭を下げる少女。その狐耳もどこかしょんぼりと垂れている。
「無事でよかったよ。俺はロア。見せた通り、一応S級冒険者だ」
「ユズリア・フォーストンよ。よろしくね!」
少女はユズリアの名前を聞くなり、慌てて顔を下げた。分かるぞ、その気持ち。
「貴族様でありますか。とんだご無礼をおかけしましたであります。某、月狐族のコノハと申すでありまする」
「今度から、家名を名乗るのやめようかしら……」
呆れるユズリアの様子を窺うようにそーっとコノハの視線を上げる。
「安心してくれ。彼女は貴族として接されることを好んでないみたいだから」
「そうよ。冒険者に地位も家系も関係ないわ」
ユズリアがコノハに手を差し伸べる。
「……そうでありますか。では、あらためてユズリア殿もありがとうでありまする」
「ところで、魔素の森をうろついていたってことは、コノハもS級冒険者なのか?」
「はい、某は月狐族の集落唯一のS級冒険者でありまする」
月狐族は人の国に住むことはない。各地に集落を持ち、用がある時のみ人里に降りてくる。ゆえに、俺も数回しかお目にしたことはない。
「魔素の森には依頼で来たの?」
ユズリアがコノハの荷物を持ってくる。害はないと判断したのだろう。
「いえ、お恥ずかしい話ですが、里を追放されてしまいまして。人族の街に行くことも憚られ、各地を放浪している途中でありました」
「月狐族は仲間意識が高いから、滅多に同族を追い出すようなことをしないと聞いたことがあるんだけど」
コノハの肩がぎくりと跳ねる。
「そ、そうなのでありますが。実は某、少々間が抜けておりまして、夕餉をつくろうと鍋に火をつけたまま居眠りをしてしまい、里中を火事にしてしまったであります」
徐々に小声になっていくコノハ。確かに村を壊滅しかけたと言うのであれば、追放もやむなしということなのかもしれない。しかし、何だろうか、この釈然としない雰囲気。
「そ、そうか。えっと、森で倒れていた時は足が石化していたんだけど、マンティコアかメデューサでも出たのか?」
コノハは目を合わせようとしない。ばつの悪そうな顔で頬を掻く。どんどん彼女が小さくなっていっているような気がする。
「……あれは自分の魔法であります」
ぼそっと呟くコノハ。
「それじゃ、コノハは自分で魔法を食らって気を失ってたってこと?」
ユズリアの問いかけに、コノハがさらに視線を逸らす。もう首が真横を向いてしまっている。
「某、『異札術』の方を得意としてまして、その、暴発とでも言いましょうか……ははっ」
なるほど、よく分かった。この少女、とんでもないおっちょこちょいなのだ。
『異札術』とは、事前に効果を封じ込めたお札を用いて術式を発動する魔法。効果を封じ込めるために魔力は使うものの、発動に魔力を使わない。そのため、手札を大量に用意しておくことで、重複による瞬間的な高火力や持久戦なども出来る優れた魔法だ。
「つまり、石化の能力の札をうっかり自分の足元で使ってしまったと」
「え~と、まあ、その通りであります……」
しかし、『異札術』の暴発など、あり得るのだろうか。札は意図して魔力を流し込まなければ、発動することは絶対に無い。
本当に間抜けという認識だけで完結させていいのものか……。
「その、なんだ、とりあえず石化は浄化が完了しても、一週間ほどは元の機能を取り戻すまでに時間がかかる。その間はここでゆっくりしていってくれ」
「そうね。見ての通り、まだ私たちも住み始めたばかりだから、大したおもてなしも出来ないけれど」
コノハはきょとんとした顔で固まる。
「どうした? もしかして、まだ足痛むか?」
「あっ、いえ、何でもないでありまする。それより、本当によろしいのでありますか?」
「何が?」
「その、ロア殿とユズリア殿は夫婦でございましょう? しかも、住み始めたばかりとなれば、所謂、新婚ラブラブというやつなのでは?」
絶句した。初対面の彼女から見ても、やはりそういう風に感じてしまうのだろうか。わざわざ、〝同居人〟と念を押して紹介したというのに。
隣で激しく頷くユズリアは見なかったことにしよう。
「いや、俺とユズリアはコノハが想像するような関係じゃないんだ。本当にただ一緒に住んでいるだけなんだよ」
「今はまだ、ね!」
ユズリアさんは少し黙っててください。ややこしくなるから。
「むむっ、某には分からぬ人間の決め事とやらでありますな。承知したであります。それでは、しばし、面倒になりまする」
コノハは二つの尻尾を左右に揺らし、ようやく微かな笑みを浮かべた。
こうして、一時的にではあるが、俺のスローライフ場にまた一人増えたのであった。
念のため、少女の荷物は預かっている状態だが、魔素の森をうろつける程だ。武に長けていない月狐族だとしても、武器等を持たない生身の状態だからといって油断は出来ない。はずだったのだが、少女はげんなりとした様子で向き直る。
「危ないところを助けていただき、ありがとうでありまする」
ベッドの上でかしこまり、おずおずと頭を下げる少女。その狐耳もどこかしょんぼりと垂れている。
「無事でよかったよ。俺はロア。見せた通り、一応S級冒険者だ」
「ユズリア・フォーストンよ。よろしくね!」
少女はユズリアの名前を聞くなり、慌てて顔を下げた。分かるぞ、その気持ち。
「貴族様でありますか。とんだご無礼をおかけしましたであります。某、月狐族のコノハと申すでありまする」
「今度から、家名を名乗るのやめようかしら……」
呆れるユズリアの様子を窺うようにそーっとコノハの視線を上げる。
「安心してくれ。彼女は貴族として接されることを好んでないみたいだから」
「そうよ。冒険者に地位も家系も関係ないわ」
ユズリアがコノハに手を差し伸べる。
「……そうでありますか。では、あらためてユズリア殿もありがとうでありまする」
「ところで、魔素の森をうろついていたってことは、コノハもS級冒険者なのか?」
「はい、某は月狐族の集落唯一のS級冒険者でありまする」
月狐族は人の国に住むことはない。各地に集落を持ち、用がある時のみ人里に降りてくる。ゆえに、俺も数回しかお目にしたことはない。
「魔素の森には依頼で来たの?」
ユズリアがコノハの荷物を持ってくる。害はないと判断したのだろう。
「いえ、お恥ずかしい話ですが、里を追放されてしまいまして。人族の街に行くことも憚られ、各地を放浪している途中でありました」
「月狐族は仲間意識が高いから、滅多に同族を追い出すようなことをしないと聞いたことがあるんだけど」
コノハの肩がぎくりと跳ねる。
「そ、そうなのでありますが。実は某、少々間が抜けておりまして、夕餉をつくろうと鍋に火をつけたまま居眠りをしてしまい、里中を火事にしてしまったであります」
徐々に小声になっていくコノハ。確かに村を壊滅しかけたと言うのであれば、追放もやむなしということなのかもしれない。しかし、何だろうか、この釈然としない雰囲気。
「そ、そうか。えっと、森で倒れていた時は足が石化していたんだけど、マンティコアかメデューサでも出たのか?」
コノハは目を合わせようとしない。ばつの悪そうな顔で頬を掻く。どんどん彼女が小さくなっていっているような気がする。
「……あれは自分の魔法であります」
ぼそっと呟くコノハ。
「それじゃ、コノハは自分で魔法を食らって気を失ってたってこと?」
ユズリアの問いかけに、コノハがさらに視線を逸らす。もう首が真横を向いてしまっている。
「某、『異札術』の方を得意としてまして、その、暴発とでも言いましょうか……ははっ」
なるほど、よく分かった。この少女、とんでもないおっちょこちょいなのだ。
『異札術』とは、事前に効果を封じ込めたお札を用いて術式を発動する魔法。効果を封じ込めるために魔力は使うものの、発動に魔力を使わない。そのため、手札を大量に用意しておくことで、重複による瞬間的な高火力や持久戦なども出来る優れた魔法だ。
「つまり、石化の能力の札をうっかり自分の足元で使ってしまったと」
「え~と、まあ、その通りであります……」
しかし、『異札術』の暴発など、あり得るのだろうか。札は意図して魔力を流し込まなければ、発動することは絶対に無い。
本当に間抜けという認識だけで完結させていいのものか……。
「その、なんだ、とりあえず石化は浄化が完了しても、一週間ほどは元の機能を取り戻すまでに時間がかかる。その間はここでゆっくりしていってくれ」
「そうね。見ての通り、まだ私たちも住み始めたばかりだから、大したおもてなしも出来ないけれど」
コノハはきょとんとした顔で固まる。
「どうした? もしかして、まだ足痛むか?」
「あっ、いえ、何でもないでありまする。それより、本当によろしいのでありますか?」
「何が?」
「その、ロア殿とユズリア殿は夫婦でございましょう? しかも、住み始めたばかりとなれば、所謂、新婚ラブラブというやつなのでは?」
絶句した。初対面の彼女から見ても、やはりそういう風に感じてしまうのだろうか。わざわざ、〝同居人〟と念を押して紹介したというのに。
隣で激しく頷くユズリアは見なかったことにしよう。
「いや、俺とユズリアはコノハが想像するような関係じゃないんだ。本当にただ一緒に住んでいるだけなんだよ」
「今はまだ、ね!」
ユズリアさんは少し黙っててください。ややこしくなるから。
「むむっ、某には分からぬ人間の決め事とやらでありますな。承知したであります。それでは、しばし、面倒になりまする」
コノハは二つの尻尾を左右に揺らし、ようやく微かな笑みを浮かべた。
こうして、一時的にではあるが、俺のスローライフ場にまた一人増えたのであった。