「どうして魔族に泉の水が効くの!?」

 正直、泉は謎に満ちた存在だ。普通の魔力溜まりには見受けられない効能があり、その全てを把握しきれていない。触れれば状態異常が治り、魔力が回復し、挙句濃度の高い魔素を払うだけの浄化能力。
 魔族が〝神の落とし物〟と呼ぶのも納得のいく存在だ。自然にはあり得ないような、まさに神がかった効果。

「多分、浄化能力」

 サナが割れて色を失った魔石を見て言う。

「魔族の魔法はどれも汚い。だから、聖属性がよく効く」

 確かに泉に空の魔石を放置しておくと、聖の魔石になる。その魔石がもやを打ち消したのだから、魔族には聖属性の攻撃が有効なのだろう。
 しかし、神官で聖属性を主に使うセイラの魔法がもやに対抗出来ていなかったのを見るに、おそらく通常の聖属性魔法では太刀打ちできないはずだ。だからこそ、泉があの魔族の唯一の弱点となる。

「汚いとはどういうことなのでありまする?」

「あの魔族は魔素の強いところで生まれ落ちた。だから、そもそもの魔力が汚れている」

 ずっと魔法の勉強をしてきたサナが言うのだから、間違いないのだろう。他の魔族がどうなのかは分からないが、あの魔族は魔素の森の湖で生まれた。十分にあり得る話だ。

「でも、私たち全員聖魔法は使えないわよ?」

「いや、もやを魔石でかき消せるのが分かっただけでも大きい。これで活路が見いだせた」

「お兄、魔石はあと何個残ってる?」

 勝ち筋は見えたのだ。ただ、問題もある。やはり、そううまくはいかない。

「……今ので最後だった」

 どうする……畑に埋めた魔石を回収するか? いや、駄目だ。魔族がそれを許すはずがない。
 無数の氷弾が勢いよく降り注ぐ。
 くそっ、また振り出しか。

「コノハ、魔法張って」

「で、でも、魔族の魔法は物理でしか止めれないでありまする!」

「大丈夫、これはただの氷魔法」

 どういうことだ……? 氷の雨越しに魔族を見ると、息遣いが荒く、汗が額に滲んでいた。
 もしかして、魔力が底を尽き掛けているのか? 聖域全体にもやを行き渡らせるのは、どうやら相当に魔力を消費していたらしい。
 コノハが頭上に炎の幕を張った。サナの言う通り、氷弾は貫通することなく、炎の天幕に触れた途端、次々と蒸発していく。

「いける……。勝てるぞ!」

 魔族が息を切らしながら、口角を吊り上げる。この期に及んで不敵に笑う仕草。
 勝機が見えているはずなのに、どうしてか背中を刺すような嫌な気配が止まらないのは何故だ。

「私が負けるなど……ありえない。……あぁりえなぁいぃぃいい――ッ!」

 魔族の身体からもやが勢いよく溢れ出して広がる。

「まだそんな力が残っているの!?」

 もう聖の魔石は残っていない。ここで食い止めないと今度こそ終わりだ。

「お兄、」

 サナがいつでもいけると言いたげに俺を見つめる。
 そうだ。何としても勝たなきゃならないんだ。ここでの生活を、未来を、大切な仲間のために――。
 三人の視線を受け止め、静かにうなずいた。

「コノハ、全力で魔族を止めてくれ!」

 にっ、と笑うコノハ。

「承知したでありまする!」

 足下から押し上がる気流に乗ってコノハが発つ。

「サナは『天体魔法』だ! 今回は遠慮はいらない。特大のを頼む!」

「分かった。久々に本気だす」

 上空で激しい爆音が轟いだ。炎が、風が、岩が、魔族を四方から襲う。

「こざかしい真似をッ!」

 魔族がもやを周囲に展開してそれを防ぐ。そのおかげで空を覆い隠さんとしていたもやの広がりが止まった。
 コノハは乱気流に乗りながら、次々と札をちりばめる。絶え間なく魔族を襲う魔法の群れ。詠唱時間の必要ないコノハにしか出来ない芸当だ。
 コノハの札が尽きない限り、魔族はもやを解除することは出来ない。

「根競べなら、負けないでありまするよ!」

「お兄、いつでもいける!」

 サナが魔方陣を足下いっぱいに広げた。

「ユズリア! 今だ!」

「任せてよね!」

 一筋の雷となって駆け昇るユズリア。
 その間、俺は急いで頭から泉の水を被る。
 コノハが魔法を解き、魔族が繭から孵った瞬間、ユズリアの剣撃が襲う。辛うじて両手で受け止める魔族。

「今度こそ、私の大切なものを守る!」

 眩いばかりの雷鳴が空を支配した。
 雷を纏ったユズリアが魔族を弾き飛ばす。

「コノハ、頼む!」

「任されたでありまする!」

 足下を風が吹き、身体が浮き上がる。気流が俺を上空へ突き上げた。そのまま飛ばされてくる魔族を背後から羽交い絞めにして『固定』する。

「き、貴様ッ!」

 魔族が慌ててもやを出そうとする。

「無駄だね。俺は今、泉の水で全身ずぶ濡れなんだ」

 左右で氷柱が生成され、貫かんと打ち出される。しかし、その全てが俺に衝突し、砕け散る。

「なぜ、効かないんだ……? それに……くそっ、離れん!」

「俺の魔法はただ物体と物体をくっつける。それだけさ」

 視界が陰る。雲を押しのけ、巨大な隕石が軌跡を放ちながら落ちてきた。その強大な質量が俺と魔族に降りかかり、そのまますさまじい勢いで墜落する。

「ふははっ! 心中でもするつもりか? この程度の魔法で私が死ぬとでも思うか?」

 確かにこのまま隕石に押しつぶされようと、この魔族が死ぬとは思えない。それに『固定』をかけたままでは俺も魔族も無傷だ。しかし、これでいい。

「果たして、本当にそうかな?」

 魔族が何かを思い出したように勢いよく下を向いた。そして、その余裕じみた面が一瞬にして歪む。

「まさか……」

 俺と魔族の真下には、透き通った蒼色の魔力溜まりが広がっていた。

「何なんだ……、貴様は一体、何者なんだぁああ――ッ!」

 何者、か。そんなの決まってるじゃないか。英雄なんて大それた者じゃない。
 俺は――

「ただの引退したS級冒険者だよ」

 激しい衝撃と共に全身が泉に包まれた。