ついに力なく地面にへたり込んですすり泣く裸の少女と、目をそらさずにじっと見つめる二十二歳の男。さて、どちらが悪者でしょうか。
 聞くまでもない。たとえ、この状況がほとんど事故のようなものだとか、いつ少女が文字通り光速で剣を突き立ててくるか分からないから目が離せないとしてもだ。

「いや、もう俺が悪かったよ。とりあえず、これ着てくれ」

 脱いだローブを少女の肩にかける。

「……私が悪いの」

「そんなことはない。事故だよ。あんな状況じゃ、敵意だって出るさ」

「いいえ、私が弱いから。裸を見たあなたを殺せなかった」

「そっち!?」

 ため息が白く零れて、空へ登っていく。

「とりあえず、落ち着いて話さないか?」

 俺の問いかけに少女はうつむきながら静かにうなずいた。剣を手から離したところを見るに、もう戦意は無いらしい。そこでようやく、俺は構え続けた二本指をほどく。

「俺の名前はロア。家名はない。あんたは?」

「……ユズリア・フォーストン」

 名前を聞いた途端、冷や汗がどばっと出た。
 家名持ち。つまり、貴族だ。それもフォーストン家といえば、十年暮らしていたパンプフォール国で知らぬ者はいない名家だ。

「き、貴族様でいられましたか」

 引き()る口角を必死に抑える。貴族に手をかけたとなれば、重罪どころの話ではない。即刻、打ち首ものだ。
 スローライフ、終わっちゃったな……。あ、始まってすらいなかった……。
 ユズリアが不貞腐れたように顔を上げる。

「今さら、そんな扱い意味ないから」

「デ、デスヨネー」

 土下座か!? それとも、俺も脱げばいいのか!?

「せめて、妹だけは……」

 そうだ、妹だけは何としても護らなければ。兄が貴族様の裸を見たせいで共に殺されたとなれば、あまりに不憫すぎる。ただでさえ、最近はずっと冷たいというのに。死んで地獄でもなお変態と蔑まれたら、きっと俺はどうかしてしまう。

「別にどうもしようと思ってないわよ。それより、私が命乞いする方が正しいでしょ」

 確かにこの場所には俺とユズリアの二人だけ。目撃者がいないのだから、ここでユズリアをどうにかしてしまえば、事件は闇に葬り去られるというわけだ。
 赤くした鼻をすんっと鳴らし、彼女は潤いの残る瞳で俺を見つめる。

「そんなこと、出来るわけないですよ。こんな精霊のように美しく、可愛らしい貴族様に」

「なっ……! とりあえず、敬語やめて! あと、その貴族様ってのも!」

 温情か、照れ隠しか、ユズリアは顔を真っ赤に染めて顔をそらす。
 とりあえず、お咎めなしということでいいのだろうか。

「それでは失礼して。この森にいるってことは、ユズリアもS級冒険者なのか?」

 自分のギルドカードをユズリアに見せながら問う。

「……そうよ。といっても、S級になったのはつい最近。今回だって、依頼を受けてここに来たわけじゃないの。ちゃんと自分にその資格があるのかどうか、試しに来たのよ」

「なるほど。自分の力を過信しないのは良いことだ。S級の依頼はどれも理不尽な環境と、強大な魔物の相手が強いられるからな」

 ユズリアがローブで全身を隠したことを確認すると、俺もその場に座り込んだ。常に張り巡らせていた神経と強張らせた筋肉を緩めると、どっと疲れが湧いてくる。

「でも、結局魔素がキツくて、たまたま見つけたこの魔素がほとんどない空間で休んでたわけ。おまけにのこのこ来た変態のS級冒険者にコテンパンにされるし。本当、最悪な一日ね」

「頼むから変態はやめてくれ……。魔素がキツいなら、人気のあるところまで送っていこうか? この辺りは魔物も特に強いから」

 確かにユズリアはS級と言われたら納得のできる強さだった。そこら辺のA級なんか話にならないだろう。ただ、S級としては彼女の言った通り、高い位置にいるとは言えない。
 A級とS級の壁は厚く、S級の中でも似たような壁は存在する。なぜなら、S級以上のランクが存在しないからだ。S級の冒険者が全員、等しい強さを持ち合わせているわけではない。

「森を抜けるくらい、ロアの力を借りなくても何とでもなる。それより、ロアはどうしてこんな辺鄙な場所にいるのよ。依頼?」

「何って、それはここに住むためだよ」

「……何、言ってるの?」

「だから、移住してきたんだよ。冒険者は引退したんだ」

 ユズリアが心底怪訝そうに顔をしかめる。一体、何を言ってるんだ、とでも言いたげだ。

「冒険者になって十年、働きづめで疲れちゃってね。肩の荷も下りたし、人の来ない場所でしばらくゆっくりしようと思ってさ」

「なんだかエルフみたいなこと言うのね。ただのエルフはこんな魔素に塗れた森は選ばないと思うけれど」

「だからこそ、ここを探していたんだ。聖域なんて噂されていたけれど、どうやらただの濃度が高い魔力溜まりの土地のようだね」

 立ち上がり、魔力溜まりを覗き込む。透き通った濃い蒼の水。温かく、触れた先から魔力が浸透してきて心地が良い。
 色々と合点がいった。なぜ、薄暗い魔素の森にこんな瑞々しい若草と雲花が咲き誇っているのか。そして、ここに近づくにつれて魔物の気配がどんどん減っていったのか。
 良質な魔力の塊が、一体の魔素を浄化して、新たな生命をもたらしているのだ。また、この辺りの魔物は魔素を好むがゆえに棲み着いている。つまり、魔素を浄化するような強い魔力をめっぽう嫌う傾向があるのだろう。
 それにしても、光を放つほどの魔力溜まりなど見たことがない。軽く触れただけで、先ほどユズリアと小競合って使った魔力がほとんど補充されてしまった。聖域という表現もあながち間違いじゃないのかもしれない。

「確かにここなら普通の人はまずたどり着けない……。それに、とんでもなく辺境だからS級冒険者も依頼ではあまり訪れないんじゃないかしら」

「どんなもんか、見てから判断しようと思ってたんだけどね」

 人が寄り付かず、魔物も嫌う辺鄙な場所。まさに想像していた理想の地だ。

「よし、決めた。俺はここに住むとしよう!」

 俺の一人スローライフはこの土地から始まるんだ!

「……そう。じゃあ、私も一緒に住む」

「そうか! 独り占めは良くないもんな、うん。……うん?」

 今、彼女なんて言いましたかね。すむ? 澄む? 済む?

「そうなると、住居に衣類、食料とか色々必要になるかな。やっぱり、一度帰るべき……? いや、でも……」

「え? 本当にここに()()のか……?」

「そうだけど? 何か問題でも?」

「いや、問題は……無い」

 無いけど! あるわけもないんだけど! いや、あるかも!?
 誰の土地でもない場所に、たまたま一人暮らしを決めた人間が二人いるだけだ。幸い、魔力溜まりを中心に広がる聖域は十分な広さがある。過度な干渉をしないように彼女から十分に距離を取って生活をすればいいだけだ。
 まだ、俺の一人スローライフは潰えていない!

「じゃ、取り急ぎ二人の家をつくらないとね」

 ユズリアがさも当たり前のように言う。

「二人?」

「えっ? 違うの?」

「一人で住むんじゃないのか? なんていうか、ご近所さん的な感じで」

「そんなわけないじゃない。ロア、私の裸見たんでしょ?」

「どうして今、その話が――」

 そこまで口にして、ユーニャが以前話していたことを思いだした。えっと、何だったか。貴族には掟みたいなのがあって、その中の一つに――

「貴族は婚前に異性へ全てをさらけ出すことを禁ずる」

 ユズリアがぼそっと呟く。

「それって、つまり……」

 駄目だ。悪寒が止まらない。

「ロア、あなたは私のは、伴侶になりなさい……!」

 真っ赤になりながら、とんでもないことを口走るお貴族様。まっすぐに指差される二十二歳無職。
 こうして、俺の一人スローライフは始まることすらなく、終わりを迎えた。