魔力鳥が持ってきた手紙は父親からだった。先日、街へ出た時に送った手紙の返事だ。
 随分と長ったらしい文章だが、内容を要約すると、今度ロアを実家に連れて来いとのことだった。
 フォーストン家は歴史のある名家。祖先はその昔、武でその名を上げたらしく、それに倣って代々、男女問わずに幼い頃から武力を磨かされる。
 幼少期は貴族の集まりで、同年代の男の子からゴリラだの、オトコ女だの、散々言われたものだ。しかし、それも私が女性らしい容姿へと成長するに連れて無くなっていった。今では、私を馬鹿にしていた男どもがやたら見た目を褒めてくる。なんて、みっともない人たちなんだろうか。

 教育係も、剣の先生も、冒険者という道を見せてくれた師匠も、全員女性だった。冒険者になっても、師匠以外と依頼を受けることは許されなかった。師匠が旅に出てからは、ずっと一人で依頼を受ける日々。
 父親や兄、執事を除いたら、貴族の男性しか関わることがない。箱入り娘というやつだ。
 だから、私の中で男性はそういう生き物なのだと思っていた。見合い話を断るために、強くなり続けた。
 早く嫁いでもらいたがっていた父親には、もっと自分の力を極めたいとか言っておけば、すんなり食い下がってくれる。

 そんな最中、(ロア)と出会った。ほとんど初めて関わる貴族以外の男性。
 あろうことか、沐浴を見られた。羞恥心と焦りに思わず剣を取ってしまった。その時は間違いだとは思わなかったし、どっちが悪いってわけじゃないけれど、裸を見られたのだ。それはもう始末するしかない。
 でも、渾身の一突きを躱され、からめとられた時にはもう間違いだと気づいていた。地面に伏した時、咄嗟に殺されると思った。だって、私はそういう選択をしたのだから。当然、彼だって襲い掛かって来るものは払いのけて始末するはずだ。
 しかし、実際には私も彼も無傷で、だんだんと悔しさがこみ上げてきた。私が傷ついていないのは彼に余裕があるから。私を凌駕する実力が彼にはある。その裏付けだった。

 一度、冷静になると、もう身体を見られたことはそこまで気にしなくなっていた。正確には、それに勝る興味が湧いたからだ。
 彼は少し変わっている人だった。こんな訳の分からないところに住むと言い出すし、私のことを〝可愛い〟というのだ。〝綺麗〟は言われ慣れている。ただ、〝可愛い〟は大人になって初めてだった。

 フォーストン家の女が嫁ぐ際、伴侶となる男性は家長が認めた者でなくてはならないという決まりがある。
 そして、代々基準は決まっている。強いかどうかということだけだ。
 武功で大成した家柄らしい決め事だ。
 だから、見合いをしたところで、ほとんど全員私よりも弱いのだから、成立することは全くと言っていいほどなかった。ただ、一人を除いて。
 
 勝てなかった。自信はもちろんあった。しかし、あまりに差がありすぎる。奴に近づくことすら敵わなかった。
 悔しいけれど、勝てないだけならば見合いくらいはしてやろうと思っていた。その考えが、甘かったのだ。
 貴族だというのに、奴は紳士の嗜みも騎士の精神の欠片もなかった。
 降参を口にする私をひたすら嬲り、誹り、そして飽きたころ、ようやく見合いをすると言い出した。しかも、極めつけにフォーストン家でも逆らいにくいティンジャー家だ。
 外面の良さは貴族の振舞い(それ)で、多分父親も二つ返事で私を送り出すだろう。

 逃げるという決断に近かったのかもしれない。表向きにはいつも通り依頼に出ただけ。しかし、ずっと遠くの場所のものを選んだ。
 あんな男と一生を添い遂げるのなら、このまま逃げ続けて平民の生活に溶け込むしかないと思っていた。
 そんな時、彼に出会ってしまったのだ。
 正直、賭けだった。誰も気にしてなどいないようなしきたりを盾に、一緒にいることを強引に了承させた。
 でも、彼は害のない人だという確信はある。これでも、様々な黒い顔を見てきたのだ。それくらいは分かる。
 申し訳なさはもちろんあった。しかし、彼が私にいてくれてよかったと思わせればいいだけの話だ。もしくは、あの人を打ち負かしてくれさえすれば、私は潔く彼の元を離れるだろう。そんな楽観的な考えだった。

 男性との距離感などよく分からない。だから、師匠と同じような距離感で接することにした。彼の反応を見るに、多分少し間違っているのだろうけれど、こうするしかないのだから仕方ない。
 もう少し、真面目に処世術でも学んでおけばよかった。

 洗い物を済ませ、大きく伸びをする。冒険者をやっているおかげで、庶民的な家事や作業については問題ないことが救いだろうか。
 天窓から差し込むたおやかな陽射しに、まだ昼下がりだというのに気分がぽやっとする。
 寒さも落ち着き、そろそろ暖かくなってきた。魔素の森に四季は見られず、気温でしか判別が付かないのは中々に厄介だ。

 外に出ると、一面に広がる芝生にぽつんと二人。いや、今は一人と一匹かもしれない。
 足を投げ出して空をぼんやり仰ぐロアと、その腿に頭を乗せて眠たげな目をしぱしぱさせるコノハ。ロアが頭を撫でる度に、狐耳と二股の尻尾が微かに反応を示す。

「だらしない顔しちゃってるわよ」

 ロアの隣に座ってみる。その横顔が、動かないまま私に意識を向ける。

「いいんだよ。誰が見てるわけでもない」

「私が見ているじゃない」

「寝顔までばっちり見られているんだ。なおさら、問題はないね」

 そう言いつつ、大きな欠伸をするロア。
 異性が近くにいるというのに、この気の抜けた表情。貴族の男性では絶対にありえない態度だ。

「かっこいいところを見てほしいと思わないの?」

 私の質問にロアは潤んだ眼を擦り、軽く声を漏らす。

「うーん、そりゃ、かっこ悪いよりかっこいいと思われた方が得だよな」

「損得の話?」

「いや、違うけど。なんて言うんだろうな、とにかく俺は疲れるから自分を繕うのは好きじゃないんだよ」

「変な人……。私はいつでもロアに可愛いって思われたいわよ?」

 ロアの肩に頭を預ける。ちょっと、ドキドキした。
 でも、師匠が男なんて過剰にスキンシップしておけば簡単に堕ちるって言ってたし。うん、私が変なだけなんだろう。
 ロアは苦笑いでちょっとだけ困ったようにしていた。
 師匠、中々堕ちてくれないんですけど。
 ふと、思いだした。そういえば、師匠ってしょっちゅう男性に逃げられて、私を愚痴相手にしていたっけ。

「いや、そりゃユズリアはいつでも可愛いけれど」

「んぐっ……!?」

 喉が詰まって軽くせき込んだ。どうして、こうも奇をてらったように変なタイミングで押してくるのだろう。

「わ、私だってロアのこと、いつもかっこいいと思ってますけどぉ?」

「さっき、呆れてたじゃないか……。それに最初からかっこつけてたら、気抜けた時に幻滅されるだろ? だから、むしろ自分の駄目なところを積極的に見せる。それでも、ついてきてくれる女が、本当に良い女だ」

「おぉ~、なんだか納得しちゃった」

「って、酒場の飲んだくれ爺が泥酔しながら語ってた」

「なるほど、年の功ってやつね!」

 そのおじいさん、私にも恋愛の極意的なやつを教えてくれないかしら。師匠の教えじゃ、不安すぎる。

「いや、ここは人の受け売りかい、ってツッコむところね」

「でも、私は良い方法だと思うわ! 今度、紹介して頂戴!」

「やめとけ。セクハラ魔だからな」

 と言いつつ、ロアは笑った。
 コノハはいつの間にか、小さな寝息を立てている。雲花のふんわりとした甘い匂いが陽気な風に揺られて香った。
 こんなゆったりした時間は、今まで経験したことが無かった。
 朝、少し遅く起きて三人で優しい味付けの朝食を取る。コノハは森へ狩りに、ロアは畑をいじりに行く間、私は家を掃除する。コノハとロアが戻って来たら遅めの昼食を取って、昼下がりはこうしてごろごろ。夜は気合を入れてつくった夕飯を囲み、長くお風呂に入って、温かいままに眠りにつく。
 なんだか、駄目人間にでもなってしまったみたいだ。でも、こういう生活も悪くない。
 現に、ずっと何かから逃げるように生活していた時より、胸中がずっと穏やかだ。まあ、別の意味でざわつくことも多々あるけれど。

 意識がすっと微睡むのが分かる。
 今ならまだ起きれるけど、どうしようかなあ。
 不意に頭を優しい手つきで撫でられる。
 ほら、そういうところだぞ……。
 温もりに包まれながら、軽い眠りについた。