遠くで、稲妻が快晴の空に昇った。
 それを見て、急いでそちらの方角に足を切り替える。
 全く、随分遠くまで行ったものだ。

 急いで魔素の森へ戻ると、ユズリアが待ちくたびれたとでも言いたげに、帰りを待ってくれていた。何の問題(トラブル)も無く、予定通りに買い物を済ませて魔素の森へ戻ってきていたらしい。
 しかし、そこにコノハの姿は無かった。
 止めたのに、旅の先を急ぐからとすぐに荷支度を済ませて、つい先ほど聖域を後にしてしまったらしい。きっと、俺と会いたくなかったから。いや、会っては駄目だと思ったのだろう。
 だから、逃げるようにまた一人になった。
 全員が敵に見える気持ちはよく分かる。しかし、同時に愚かだなとも思う。

 ユズリアに説明する時間も惜しかった。
 こうしている今も、コノハはどんどん俺たちから遠ざかっているはずだ。
 俺とユズリアはすぐさま手分けしてコノハを探しに出た。
 やっぱりと言うべきか、ユズリアの方が早くにコノハを見つけたらしい。稲妻の昇った場所は、思ったよりも魔素の森から遠ざかっていた。
 大方、『異札術』の風札で移動速度を上げていたのだろうが、そんなものじゃユズリアの『雷撃魔法』と『身体強化魔法』からは逃げられない。
 
「おーい、ロアー! こっちよ!」

 声のする方へ行くと、ユズリアとその足元に倒れる大きな猿型魔物。そして、コノハの姿。その足は石化していた。
 やっぱり、そういうことか。

「随分、急いでたみたいだな、コノハ」

 問いかけにコノハは答えない。ただ、怯えたようにうつむくだけだ。

「結構、危なかったんだからね。また魔法が暴発してたみたいだし、本当におっちょこちょいね」

 ユズリアの倒した魔物はB級指定。S級の資格を持つコノハなら、たとえ足が動かなくとも対処は出来る魔物だ。
 それなのに、危なかった? そんなわけあるか。

「……コノハ、またわざと自分の足を石化したんだな?」

 コノハの肩がびくっと脈を打つ。

「え? どういうこと?」

 ユズリアの困惑は当然だ。彼女はコノハの境遇を知らない。でも、俺は全て知っている。だから、この後にコノハが取りそうな行動は読めてしまった。
 コノハと俺はほとんど同時に腕を振り下ろした。
 ほんの少し、俺の方が早かったようだ。
 ゴンッと鈍い音がする。コノハの振り下ろした拳は『固定』のかかった石を撃ち、じんわりと血が滲んだ。

「ど、どうして……?」

 コノハは混乱しているようだ。いくら彼女が非力だとしても、石化した物体は非常に脆い。簡単に砕けると思ったのだろう。
 しかし、今のコノハの足はたとえ龍に踏みつぶされようとも、欠けることすらない。
 コノハにはまだ俺の魔法を見せていなかった。だから、この状況も理解できないのだろう。なんせ、俺はただ右手を振り下ろしただけだ。分かるはずもない。

「な、何やってるのよ、コノハ!」

 可愛そうなことに今一番何も分からないのはユズリアだろう。
 コノハが自分の足を砕こうとした理由(わけ)も、俺がまるで予知したかのように『固定』を使った理由も。
 だから、あえて口に出そうと思う。

「コノハ、死のうとしていたんだろう?」

 以前、見たことがあった。庇って魔物に食い殺された仲間に自責の念を感じ、同じように魔物に食われるまで危険地帯で座り続ける冒険者の姿を。
 コノハが顔を上げる。その深朱色の細い瞳孔が、俺を睨みつけた。

「……して。……どうして、死なせてくれないでありまする!」

 小瓶に詰めた泉の水をコノハの足にかける。みるみるうちに石化は浄化され、元通りの血色を取り戻した。

「全部、里で聞いたからだ」

「しからば、分かるでありましょう!? 某が犯した罪が!」

 罪というのは、同胞を置き去りに自分だけ逃げたことを指すのだろう。
 馬鹿馬鹿しい。逃げる方が正解だというのに。

「自由に生きて何が悪いんだ。借金があるわけでもあるまい」

 俺を見ろ。借金が無くなった途端、一目散に逃げてきたんだぞ。
 俺は里長の伝言をコノハに伝えた。
 横で聞いていたユズリアが「そうよ! 自由こそ、正義よ!」とか言っていたが、多分よく分かっていないんだろうな。言ってることは正しいけれど。

「……某は自分が許せませぬ。どうして仲間を捨て置いて、自分だけのうのうと生きていられまするか!」

「捨てたんじゃない。コノハが最初の一歩を踏み出したんだ。皆、それに気づいている」

 里の隅で身を寄せていたコノハの仲間は、楽しそうに踊りこける狐を見て、密かに怒りを纏っていた。きっと、彼らは誰かに助けて貰わずとも自らを変える時が来るはずだ。一足先に勇気を出した仲間を見ているのだから。

「でも……」

 コノハは納得できないようで、唇を噛み締める。
 気持ちはよく分かる。理不尽に慣れると、罪悪感の境界線(ボーダーライン)が低くなることは、俺も身をもって実感した。
 きっと、埒が明かない問題だ。
 こうしている間にも、魔物に襲われる危険もある。ユズリアさえ対処の出来ない魔物が出た時、二人を庇いながら戦うのは骨が折れる。こんなこと、ユズリアに言ったら怒られそうだけど、いつでもそういう最悪を意識するのが、S級指定の危険地での常だ。

「コノハ、俺と〝契約決闘(アリーシア)〟をしろ」

 二人の顔が驚きに固まる。

「ちょっと、何言ってるのよ!」

 〝契約決闘〟とは、事前に魔法で内容、縛りを付ける決闘だ。敗北すれば、事前に決めた縛りが魔法によって強制的に執行される。本来は、勝敗内容を明確にするための用途で行われることが多いが、今回はその限りではない。

「ユズリア、頼む」

「でも……」

 ユズリアは戸惑っているようだ。彼女にはこの件が片付いたら、謝らなければならないな。

「――頼む」

 ユズリアは小さく唸る。

「あー、もう! 分かったわよ! その代わり、後でちゃんと説明してよね!」

 そう言い、彼女は剣の先で地面に魔方陣を描く。魔方陣は足元でぶわっと大きく広がり、辺りを取り囲んんだ。

「よし、俺の提示する内容は、どちらかが勝てないと思った時。俺が負けた時の縛りは、コノハ、お前と一緒に死んでやる」

 視界の端でユズリアが頭を抱えていた。さほど心配していないように見えるのは、ちょっとどうなんだろうか。

「何を言ってるでありまする。そんなの受けるはずが……」

「じゃあ、お前の縛りも考えてやる。お前が負けた時は、俺の()になれ。里の連中と同じように扱き使ってやる」

 あーあ、嫌われたなこりゃ。
 ユズリアが握りこぶしを震わせて「……浮気?」なんて呟いているのは、聞かなかったことにしよう。

 不意に、空気が張り詰める気配がした。

「……後悔しないでありまするね?」

 コノハの瞳が冷たく殺気を帯びた。

「ああ、陽光神様に誓って」

「……陽光神様に、誓って」

 二人の同意が、契約決闘の始まりを告げた。魔方陣がユズリアの魔力を使い、本紫色に輝く。
 瞬間、コノハは袖口から大量の式札を覗かせた。

「手加減など、出来ないでありまするよ?」

 札が二枚、ぼうっと光る。

「いらないよ。むしろ、手加減してやる」

「――ッ! 馬鹿にするなッ!」

 コノハは光る札を勢いよく放った。
 一方の札は大きな火球となり、もう一方の札は目に見えない風を生み出した。息をつく間もなく、火球がすさまじい速度で射出され、俺の視界を埋める。
 迷わず、『固定』だ。

 かざした右手が、火球を弾いて扇状に後方へと流れていく。その熱気に汗がじわりと浮かんだ。
 真冬の空気を焦がす炎のうねりが、白い煙を天に昇らす。
 視界が晴れ、コノハの姿が露わになる。無傷の俺を見て、コノハはわずかに吃驚(きっきょう)したが、すぐさま次の札を放った。
 
 氷塊の(つぶて)が矢のように降り注ぐ。同時に足下から鋭く尖らせた地面が隆起して身体目掛けて迫りくる。
 右腕を振り下ろす。全身と服を『固定』。
 礫は硝子のように砕け、槍のような土くれは先端をひしゃげさせた。
 手加減をしないと言うのは、どうやら本当らしい。
 確実に殺しに来ている。

「魔法障壁……」

 コノハが呟く。
 まあ、そう思うよな。
 土が巨大な波のごとくうねりを打って、雪崩(なだ)れる。もちろん、『固定』を解除せずに立ち尽くした。
 波が俺を包み込む。
 真っ暗な視界が晴れた瞬間、コノハの姿は眼前に迫っていた。
 手に持った札が、光を放って短刀に変化する。
 首元目掛けて迫りくる刃。鈍い輝きのそれが、衝撃も無く肌にぶつかってせき止まる。

「物理障壁まで……。珍妙な魔法でありまするな」

 殺気を纏って肉薄するコノハ。まるで、本当に獣のような気配だ。

「諦めるか?」

 コノハは返事の代わり、光る札を俺の身体に貼り付けた。刹那、一拍の余地もなく警鐘が鳴り響く。
 本能が示すままにかがんだ。札が一際強く輝き、同時に、髪の先を切っ裂いて上空を両断する短刀。
 思わず、冷や汗が浮かぶ。
 間髪入れず、向きを変えた短刀が胸目掛けて走る。

 流石、里を一人で守り抜いていただけはあるな。

 札を引っぺがし、刃の横腹と左手を一瞬、『固定』。そして、衝撃を殺して刃の方向を流し、解除。右腕の真横を短刀が突き抜く。
 一歩距離を取り、コノハの草鞋と地面を『固定』。札と手を『固定』。瞬いた瞬間、『固定』。
 札がぼうっと光り、コノハの手と札が離れる。

 やっぱり、『魔法除去』の札だったか。詠唱無しで『魔法除去』を発動できるのは、俺からすればいささか相性が悪い。
 しかし、不意打ちの初撃を躱した時点で、コノハに勝ち目はない。
 再び、札と手を『固定』。

「その札、あと何枚あるんだ?」

「くっ……!」

 解除された瞬間、『固定』。さながら、蜘蛛の巣に囚われた虫のごとく、身じろぎを許さない。
 『魔法除去』の札が無くなるか、俺の魔力が尽きるかの勝負だ。しかし、根競べで負けるはずがなかった。
 詠唱は必要なく、右の二本指を下に振り下ろす動作だけで発動できる。さらに、使用する魔力は微々たるものだ。あと千回使っても、俺の魔力は無くならないだろう。
 なんせ、ただくっつけるだけの単純な魔法だ。コップ一杯の水を魔法で出す方がよっぽど魔力を使う。

「ま、参ったでありまする……」

 コノハの言葉に魔方陣が呼応する。一瞬の閃光を放って、魔方陣が消えた。つまり、契約決闘の終わりを示す。
 俺はコノハの眼にかけた『固定』を解除する。ゆっくりと開けたその瞳に、もう殺意は感じられない。俺は全ての『固定』を解いた。

「流石に、ちょっとヒヤッとしたな」

 浅くとどめていた肺を空気で満たすと、熱を持った身体が冷めてゆく。

「ちょっとで収まるロアがおかしいのよ」

 ユズリアに冷ややかな視線を向けられる。

「あのなあ、S級同士の決闘なんだから、少しは心配してくれよ」

 実際、油断するような暇は微塵もなかった。それどころか、反応が遅れて危うい場面もあった。
 何にせよ、()()()()だけは使わずに済んでよかった。加減出来る気がしないからな、あの魔法。

「結局、私の時と一緒でほとんど無傷じゃない」

「そうだけど……」

 黙りこくるコノハに目を向けると、彼女はじっと自分の手の平を眺めていた。

「どうした? コノハ?」

「気持ちは分かるわよ。可哀そうにね」

 ユズリアはコノハの頭を優しく撫でる。
 どうして、俺が加害者みたいになっているんだ。いや、加害者なのかもしれないけれど。

「……初めて」

 視線をそのまま、コノハは呟く。

「初めて、負けたでありまする……」

 それはそうだ。コノハの強さはS級冒険者の中でも相当なものだった。少なくとも、俺の知る限りでは彼女に勝てそうな者は数人しか思いつかない。ユズリアも、多分彼女には敵わないだろう。
 『異札術』は事前に魔法を札に封じ込めて使用する魔法だ。一見、理不尽な魔法に思えるが、そもそも封じ込める魔法を覚えていないと意味が無い。
 コノハは俺との決闘だけで、火・風・氷・岩の四属性に加え、物質変化まで使って見せた。さらに石化の状態異常すらも使うことが出来る。紛れもない天才というやつだ。
 俺なんて固有の魔法を除いたら、『生活魔法』をいくつか使えるくらいだぞ。

「でも、負けは負けだ。縛りを受けてもらうぞ?」

 コノハの表情が怯えを浮かべる。
 相変わらず、ユズリアは何てことなさそうにコノハを宥めながら、周囲の警戒に意識を回していた。

「……分かったでありまする」

 ぎゅっと目をつぶるコノハ。
 俺のことを何だと思っているんだ。
 でも、彼女はそういう環境で育ってきた。無理もないのかもしれない。

「よし、じゃあ、好きに生きろ!」

 きっぱり言いのけた。
 ユズリアがくすっと笑う。

「えっ……?」

「どっか行きたけりゃ、行けばいい。何したって、所有者の俺が許してやる。ただし、死ぬことだけは許さない」

 コノハの顔には色んな思いが入り混じって見える。困惑、安堵、後ろめたさ、その全てを俺は許した。

「ど、どうして……」

 全く、不器用なやつだ。

「最初から言ってるだろ? 自由で何が悪い。自分の生き方を誰かに決めつけられることなんて、無いんだよ」

「ぁ……ぁぅ……」

 ユズリアと目が合って、思わず俺も呆れた笑みが漏れる。

「でも、コノハが生き方を決められない、分からないって言うなら、しょうがなく俺が決めてやる」

 コノハの頬を一筋の涙が音もなく伝う。
 ずっと我慢しやがって。全く、こんなところまで俺と一緒なのか。

「コノハ、自由に生きろ! 全部、俺が認めてやる!」

「っ……、ぅ……っ!」

 堪えるような嗚咽が崩壊し、コノハは声を上げて啼泣(ていきゅう)する。
 いつまでも止まらない涙と叫びが、彼女の自由を体現していた。

「さあ、帰るかっ!」

 ユズリアが俺の腕に抱きつく。そして、コノハに手を差し伸べた。

「行こ、コノハ!」

 どんよりした薄暗い森の中、小さな月狐族の少女の涙は宝石のように輝いていた。

「――はいっ!」

 俺のスローライフにまた一人、同居人が増えるらしい。