「ロア殿は里の英雄でございまする!」

 月狐族の里長が、小さな杖を高らかに振り回しながら、興奮した様子で前のめりになる。

「大げさですよ」

「そんなことはありませぬ。怪翼鳥はA級指定の魔物。今の里の者では総力を挙げても太刀打ちできませぬる。しからば、ロア殿が訪れなければ、某らは皆、逃げ惑うことしかできませぬ」

 確かに怪翼鳥はA級冒険者がパーティーになって、ようやく討伐出来る魔物だ。そのくせ、空を飛んでの強襲や個体数が他のA級魔物よりも多いため、被害に遭う人々も多い。

「こういうことはよくあるんですか?」

 よくあっては、里が無くなっているとも思えるが、魔物に対しての対策があまりにも月狐族の里には見えなかった。普通は常駐で冒険者などを雇って里の護衛をさせるのが、都市部から離れた山村での魔物対策だ。

「少し前まではS級冒険者がこの里にもおったでありまする」

 それはコノハのことだろうか。彼女の名前を口に出そうとして、不意に思いだした。

『某の名は、出さない方がよろしいかと思いまする』

 出発前にコノハが言っていた。
 (かげ)のある表情が、妙に頭に残っている。俺は、そんな表情に少し覚えがあった。
 里に来たのは、それを確かめるためでもある。

「その冒険者は今、どこへ?」

「あやつは里を出ました。某はもちろん止めませんでしたが」

 里を出た? 止めなかった?
 コノハは里を追放されたと言っていた。なんだろうか、この違和感は。

「その理由は?」

 里長は長い顎鬚(あごひげ)をしゃがれた手で撫でる。

「あやつは忌み子でしてな。月狐族の間では、満月の夜に生まれた子供は災いを呼ぶとされまする。生まれながら、里の端に追いやられ、僅かな食事と幼い頃から外敵との戦いを強いられまする。それゆえ、忌み子の大半は年端も行かぬうちに命を落としてしまいまする」

 胸の内が小さく痛んだ。とはいえ、独自の文化を形成する亜人族ではよくある話。そこに部外者が口を挟めるものではない。

「それは里長、あなたの主導ですか?」

「いえ、某は数年前に里長を引き継いだ若輩者でありまする。それ以来、忌み子の制度は撤廃したのでありまするが、里に根付いたしきたりの呪いは強いものです」

 想像は容易だ。里中に嫌われ、恐れられ、体よく使われていた者が、急に里に馴染めるとは思えない。長い時間縛って来た呪いは、同じく長い時間かけて解くしかないのだ。

「里の者による忌み子への接し方は、あまり変わりませんでした。里を歩けば泥を被り、若い者は暴力を振るい、時には罪を擦り付ける始末でありまする。経験の浅い某が何を言おうとも、里の者は聞く耳を持ちませぬ」

「嫌な話ですね」

「本当に、お恥ずかしい話でありまする。しかし、隠すことは不要。そうでなければ、これまでと何も変われませぬ」

 里長はどこか遠くを見るように窓の外を眺める。

「その冒険者が里を出たのも、色々と理由がありそうですね」

「ふむ、耐えられなかったのでしょうなぁ。目を覚ませば、消したはずの鍋の火が里を包み込み、里中で指を差されて口々、原因はお前だと言われる。あやつにも分かっておったはずでする。誰かに嵌められたことは……」

 追放されたなんて、嘘じゃないか。

 感情が湧いた。どす黒く、不愉快なほど膨らむ感情が。
 久々だな。
 その感情をなるべく小さく、小さく、折りたたんで頭の奥底に押しやる。そして、手を添えてそっと唱える。
 ――『固定』
 瞬間、気持ち悪いほどに胸が晴れる。ついさっきまで脳裏を染めていたもやがさっぱり消え、残ったほんの小さな粒だけが、頭の片隅にまた一つ、塵山の一部となる。

「里長、もう十分です」

「……そうでありまするな。しかし、最後に一つだけ。その冒険者に出会った時は、伝えてほしいことがありまする」

「……」

「里の者は恨んでよい。しかし、これから出会う者は敵ではない。お主には、お主の人生がある。好きに生きなすれ」

 里長の言葉には、強い思いがこもっていた。

 里を救ったことで、ささやかな宴が開かれたが、俺は酒を一杯煽ってすぐに退席した。夜闇に包まれた里で、賑やかな声が響いている。
 俺には、雑音にしか聞こえなかった。
 里の中央に大きく火をくべて、それを囲うようにたくさんの狐が躍る。喜、喜、喜。
 里の隅で暗がりに身を寄せ合う数匹の狐。哀、哀、怒。
 空を見上げると、ちょうど満月だった。

 次の日、朝一で里を立つことを里長に告げた。

「本当に農具だけで良いのでありまするか? 怪翼鳥の素材は高値で取引されまする」

「ええ、必要ないので。農具、ありがとうございます」

「そうでございまするか。それでは、またいつでもお越しくださいますれ」

 里長も分かっている。形だけの言葉だ。
 俺がこの里に来ることは二度と無いだろう。
 でも、里長は彼なりに、変えようとしているのだ。こうして、来客に里の現状を伝え、外の世界へ広める。そうすれば、何かが変わるかもしれない。このふざけた環境を誰かが壊してくれるのかもしれない。

「あの、」

「どうなされまするか?」

 足を止めてまで、聞くことでもなかったかもしれない。でも、ちょっとだけ気になった。

「その喋り方って、月狐族なら誰でもそうなんですか?」

 里長は少し笑った。

「これは某と、亡き妻、そして娘だけでありまするな。変でございましょう?」

 やっぱり。

「いえ、そんなことないですよ。伝言、忘れませんね」

 俺は月狐族の里を後にした。