「あらまあ。凪ちゃんじゃないの。大きくなったわねえ」
その時、後ろから懐かしい声がした。
はっとして振り向くと、会いたいと願ってやまなかったその人の姿があった。
「薫ばあちゃん……!」
「あらまあ。また泣いてるの。大きくなっても変わらなくて安心したわよ」
薫ばあちゃんはそう言ってけたけたと笑った。
私が泣いている? 不思議に思いつつ、手の甲で自分の頬を触ると濡れていた。私はまた、めそめそと泣いていたのか。洋服の袖で涙を拭いた。
「あのね、私、この世界に虹をかけたいの」
「どうしてまた。急に」
薫ばあちゃんが、不思議そうな顔で私を見つめる。
「世界から色んなものを消して、無くして。これをみんなが平和と呼ぶとしても、私は違うと思う。これは、平和や幸せや平等なんかじゃないと思う」
薫ばあちゃんは、ただ静かにうんうんと頷く。
「私が雨宿りしたあの日、薫ばあちゃん言ったでしょう? 虹には、この世にある全ての色があるんだって。それを見るためには、心の潤いが必要なんだって」
この世界に心の潤いはあるの? みんなはこのままで良いの? ねえ、本当に? 世界に色を取り戻したいと、そう願わないの?
涙に覆われた口が言葉に躓いて、思わず下唇を噛む。
「じゃあ凪ちゃん、雨を。雨を降らせてちょうだい」
薫ばあちゃんが口を開いた。
「雨を降らせる? 私が?」
「そうよ。この世界の秘密を教えてあげるから、その代わりに」
「秘密?」
薫ばあちゃんはあの日のように、秘密だよ、と私の耳元で囁いた。
「実はね、誰かが誰かを愛おしく想って泣いた時だけ、この世界は単色じゃなくなるんだ。空から雨が降る」
「その雨には色があるの?」
「そうさ。それはそれは綺麗な、色とりどりの透き通った雨が降る。雨粒は、宝石のように光輝いて落ちてくる」
「色とりどりの雨?」
「ああ。だから、この世界の皆がその雨を待っている」
薫ばあちゃんはポケットに手を入れて「見るかい?」と言って、小さな巾着袋を取り出した。
紐を解いて手のひらに中身を出すと、無数の小さな宝石がぱらぱらと落ちてきた。
「この間降った雨を拾ったんだ。美しいだろう」
「凄く綺麗。これが雨粒なの?」
「そうさ。凄く綺麗なんだ」
薫ばあちゃんは雨の宝石をつまんで、一粒あげよう、と私の右手に握らせた。間近で見ると、透き通ったルビーの宝石に似ている。
「この雨が降ると、大きな大きな虹がかかる。そして、虹が消えるまでの時間、世界は沢山の色に包まれるんだ」
薫ばあちゃんは話し続けた。
「人の肌も、青々とした緑が宿る木も、色とりどりの花も、赤黄色の地も、透き通った川も、群青の海も。そして、露草色の空だって」
私は宝石を眺めながら呟いた。
「やっぱり皆、本当は色が恋しいんだね......」
「そうかもしれんなあ」
思いもよらぬ答えに顔を上げる。
「じゃあ、どうしてわざわざ世界から色を無くしたの? 色をなくす必要なんて無かったよね? どうして?」
薫ばあちゃんは、遠くを見つめて微笑んだ。
「この世界が平和で平等であること。それは確かなのさ。永遠に続く最高の場所であることに間違いはないから」
「ごめん。分からないよ」
私はまた視線を落とした。
「凪ちゃんにはまだ早いんだから、分からなくって当たり前さ」
「まだ早いってどういう意味?」
「だって、凪ちゃんはまだ、不帰の客じゃあないだろう」
「フキの客?」
そう聞いた時、頬にぽつんと一粒の雨が当たって地面に落ちた。