雪はその日、図書館の自動ドアの前に立っていた。

 くるぶしまである白いワンピース。茶色い革靴。
 右手に日傘をさしたまま、図書館に入るでもなく、ただそこに立っていた。

 同い年くらいの女子か。どうしたんだろう。
 自動ドアが故障して中に入れないのだろうか。

 俺は、自転車を停めて鍵をかけ、額の汗を拭った。小走りで自動ドアへ向かう。
 しかし、

 「えっ?」

 自動ドアは拍子抜けするほど簡単に開いた。雪の後ろに立っただけで開いた。開けごま、と心で唱えるよりも前に開いた。
 思わず出た「えっ?」の声を掌でぶんぶんとかき消す。
  
 「あのー。入る?」

 俺の前に立ち竦む雪を追い抜く訳にもいかず、とりあえず後ろから声をかける。
 雪はターンを踏むように優雅にゆっくりと振り向いた。日傘を右に傾けて、首を左に傾げる。

「あなたが、そうなの?」
 雪は泣いていた。
 傾けた日傘の隙間に、空からこぼれた陽が降り注ぐ。照らされたのは、透き通った栗色の瞳から流れる一本の涙。
 きれいだ。そう思った。

 俺の心臓が止まった。体感、5分。
 実際は多分、2秒とか3秒くらい。

 はっとして思いきり息を吸った。吐いた。唾を飲んだ。あ、えっと、その。瞬きをして下を向く。
 ワンピースの裾が、ふわりと涼しげに風にそよいだ。
 思わず横にそらした目が、行き場を無くして泳ぎ出す。

 ーーあなたが、そうなの? 

 どういう意味だろう。体が熱って汗が吹き出した。


 「暑いよね。中、入ろう」

 雪は日傘を閉じて、突然俺の左手をひいた。2度目の「えっ」が漏れてしまう。

 さらりと乾いた雪の手に、ビチャっという手汗の音が響く。

 違うんだ。
 俺、いつもは手汗なんてかかない。今は普通に、全身に汗かいてるだけだから。
 外の気温が33℃だから。
 ってか、自転車、かっ飛ばしてきたから。

 声にならない言葉で頭がいっぱいになる。心臓がざぶんと波打った。