さて、今回作るのは塩味プディングこと茶碗蒸しだ。

 使う出汁は、まずラーメン開発でストックしてあったチキンスープがひとつめ。
 ちなみに現在、食堂で定番メニューとなった醤油ラーメンは、家庭科教師としてのエルフィンの多大な協力を得て開発し、完成したものである。

 ふたつめの出汁は、鰹出汁と昆布出汁の合わせ出汁。
 朝の時点で昆布を水に漬けておいたものに、ホーライル侯爵領で入手していた鰹の燻製干しをナイフで薄く削った鰹節を入れて、煮て出汁を取った。
 後は出汁がらを濾して、使う分だけ家庭科室に常備されている氷の魔石で常温まで冷やした。

 みっつめは、これまたホーライル侯爵領で自分用の土産に買い求めた、帆立貝の貝柱の水煮である。
 貝柱と水煮にした煮汁をそのまま出汁として使う。

 具は、まず薬草としてアケロニア王国でも食用に使われる、セリ科のハーブの葉を。何とこれは前世の日本で食していたものと同じ、三つ葉そのものだった。

 茸は、椎茸に似た旨味の強い、焦茶色で肉厚の茸をそのままスライスして使う。

 銀杏は、アケロニア王国では食用としては一般的でなかったが、薬師たちが胃腸薬として処方することがあるらしく、水煮の瓶を城下町の薬師の店で入手することが可能だった。味も前世で食べた銀杏そのものだ。

 そして茶碗蒸しといえば、カズンが最も好きな具がある。



「ホーライル侯爵領の漁港の生産者の皆さんには全力で感謝を捧げねばならん」

 カズンが紙の手提げ袋から取り出したのは、先日ブルー男爵令嬢カレンに加工してもらった冷却保存用のガラス瓶だった。
 表面にはホーライル家用と刻まれている。
 中には白く、細長いものが数十本入っている。
 授業の休み時間に、ライルが持ってきてくれたものだ。このようなものがないか訊ねたところ、ズバリのものがあると、先日ブルー男爵邸から帰る馬車の中で教えてもらっていた。
 生チーズの輸送用につくってもらったものだが、冷却魔導瓶を流用したのは中身を安全に保存するためだろう。

「漁港のあるホーライル侯爵領なら絶対あると思ったんだ。カマボコとはいかなかったが、やはり練り物は生産していたのだな」

 鼻歌を歌いかねない上機嫌で、ガラス瓶から取り出した白く、大人の人差し指ほどの細さで一本が10cmほどの練り物を一口大の数ミリの斜め切りにして皿に盛っていく。これは前世の日本でなら酒の肴で親しまれているチーズかまぼこと同じサイズだ。
 人数用の小皿を用意し、塩、卵酢ことマヨネーズ、辛子、醤油など家庭科室の備品を失敬して、一人分ずつ、少しずつ取り皿に出していった。

 自分はまず一口ぱくりと摘んで、味を確かめると頷き、エルフィンとヨシュアにも楊枝を添えて差し出した。

「これはホーライル侯爵領の名産品のひとつで、“魚のすり身蒸し”というそうだ。テリーヌの一種と思ってもらっていい。魚肉をすって卵白や澱粉、塩やスープで味付けして練り上げ、成形し蒸しあげたものになる」
「カズン様が勧めるなら美味しいのでしょう。いただきます」

 ヨシュアが躊躇いなく、楊枝でまずは何も付けず、白い練り物を口に運ぶ。

「んー生チーズに似た感触ですけど、もっと弾力があって面白いですね! 味も、普通に魚のムニエルより濃いというか」
「………………」

 顔を見るとヨシュアは練り物をまあまあ気に入ったらしい。
 その隣で、エルフィンが無言で練り物を咀嚼している。
 更に無言で、塩をちょんと端に付けて一口。次に、マヨネーズ、辛子、醤油、マヨネーズと辛子、マヨネーズと醤油のミックス……と一通り試している。

「ヤバいわこれ。無限にいける。ワインの白……いいえライスワインの辛口と合わせたらとんだ酒泥棒になるやつ!」
「エルフィン先生、お酒は程々に。うちのお父様にこの間も叱られたばかりでしょう」

 エルフィンはカズンの父ヴァシレウスと旧知の仲なのだ。
 というより、既に百歳近いヴァシレウスにとって、数少ない“人生の先輩”の一人のため、必然的に親しくなったともいえる。
 カズンの母セシリアがアルトレイ女大公に叙爵され、家族がアルトレイ女大公家の屋敷に移ってきてからも、時折やってきては父と酒を組み合わしている。

 ひとまず、ライルから頂戴した“魚のすり身蒸し”の練り物は十数本。
 茶碗蒸しに使うのはせいぜい一本弱なので、試食に使う分以外はエルフィンに進呈することにした。



「あらやだ、これすごく美味しい! え? いやホント美味しいわ!」

 三種類の出汁ごとにプリン用の小型カップを使って、蒸し器二台で蒸すこと十数分。
 カズンが作った茶碗蒸しを試食したエルフィンが驚いている。

 一種類目のチキンスープの茶碗蒸しは、まだ予想できる味だった。
 普段からチキンスープベースの料理を食している文化だし、「ああチキン系だな」とすぐわかる味のため。

 二種類目の昆布と鰹の合わせ出汁がやはりヒットだった。
 冷ました出汁を攪拌した卵と合わせ、濾してから塩を入れただけなのである。
 蒸し上がった見た目は、表面の三つ葉の鮮やかな緑色や練り物の白が目立つ。
 スプーンですくった感触は、蒸しプリンよりずっと柔らかい。
 それにこの、ほんのり燻香の混ざる魚介の出汁の匂いと併せて、最初味の予想がつかなかった。

 口に含むと、出汁の香りがふわりと口の中に広がり、鼻腔に抜けていく。
 使う卵の量から予想していたように、卵と自体の味はさほど強くない。
 味付けが塩だけだから、塩の辛みを感じるかといえば、そんなことは全然ない。とにかく出汁の旨味が広がって蕩けていく。

 先日、ホーライル侯爵領を訪れたとき、カズンが自分用の土産のひとつとして購入した海産物の乾物が、昆布と鰹節だった。
 出汁の取り方の基本レシピは頭の中に入っている。前世のカズンが生きていた時代は男子でも普通に家庭科で調理実習で学んだ内容だ。
 昆布や鰹節など海鮮系の出汁で作ったラーメンスープは、なかなか美味だったと記憶している。しかし今回入手できた材料はなかなか質が良かったので、ラーメンより出汁の風味を堪能できる茶碗蒸しを試してみようと思ったのだ。



「こんな繊細な料理があるなんて。カズン君の前世のニホンって国は豊かな食文化があったのねえ」

 父ヴァシレウスの友人のエルフィンにも、カズンが前世の記憶を持った異世界からの転生者であることは話してある。

「前の人生でも家庭に母親がいましたから、料理はほとんどやったことがなかったんです。でもアルバイト先がレストランだったから、その店のメニューだけなら調味料の材料から組み合わせまで、結構覚えてるのです」

 蒸し器を開けたときの大量の蒸気で曇ってしまった黒縁眼鏡のレンズを拭き取りながら、カズンは説明した。

 前世のアルバイト先はチェーン店系の和食レストランだった。
 和食の店とはいえ、チェーン店だから洋風の惣菜もあれば、フライドポテトや唐揚げのようなジャンク系のメニューまで多彩。
 基本的な材料はすべて一括してセンターから一日二回配送されるのだが、週末や土日祝日の繁忙期には材料切れになることもある。そういうとき、合わせ調味料などを有り合わせの材料で一から作るマニュアルというのがあった。
 マニュアルは、料理の調理方法と一緒に、社員もパート・アルバイトも共通で研修で定期的に覚えさせられる。
 そういう記憶が今のカズンにも残っていた。

「前世の経験が、今の人生のスキルになってるって、面白いですよね。オレも前世で剣や魔法を使っていたから魔法剣のスキルがあるんでしょうか」
「ふふふ。エルフの種族には輪廻転生っていってね、生まれ変わりの思想があるわ。それで大抵同じエルフに生まれ変わるのよね。たまに別種族になることもあるみたいだけど」

 エルフィンのような人間との間のハーフは、案外エルフに憧れた別種族が転生しているケースもあるらしい。