神職は死ぬまで研鑽、というのは色んな先生の口癖だ。自分の祝詞を分析してより強い文言へ構築し、舞の精度を高め、日々変動する己の呪の力を抑え、言祝ぎを高める必要がある。

だから定年間近の神職であろうと、とにかく空き時間があればひたすら勉強する。

つい先程、来光くんと慶賀くんと私の3人で手伝っていた仕事が終わって、禰宜から「手が空いたので自由にしていいですよ」と言われた。

「自由にしていい」というのは本当の自由時間という訳ではなく「自由に自学自習していい」という意味だ。ここで奉仕し始めた初日にそれを知らずに本当にのびのび過ごしていた私達はしっかり禰宜に叱られた。

小上がりにあるテーブルを借りて私たちは各々に勉強道具を広げた。

私はノートを広げると、志らくさんにもらった動画をスマホで再生する。


「巫寿ちゃんは舞の勉強?」


隣に座った来光くんが興味深げに手元を覗き込んできた。


「うん。お手本の映像を貰ったから、自分の動きと見比べてみようと思って」


完成されたお母さんの舞と未完成の私の舞を見比べることで、自分の舞の足りない部分を見つけるという作戦だ。

果たして模倣だけで鼓舞の明をマスターできるのかどうかは微妙なラインだけれど、お母さんの技術は他の舞を舞う時にも活かせるはずだ。