▶第2話
●訓練場広場
ルドルフ「中隊長各位、傾注! 連隊長殿より訓示である」
大柄な副官ルドルフ・アディンセルが声を張り上げた。
ハルリアナとルドルフは広場中央の台に立っている。
ハルリアナの真下に広がる光景は優秀な士官たちが、自分の言葉を待つようにこちらを見上げているものだった。
よく通る声で注意を促したルドルフに軽く礼を言うと、彼女は1歩前に出て口を開く。
ハルリアナ「観測手より情報が入っています。近々、【大怪魔《アーク》】率いる大軍勢が、一点突破を狙ってこの第一司令部を攻めてくるようです。……これより、新たな大規模基地防衛作戦について説明をします。……アディンセル大尉」
ルドルフ「ハッ」
ハルリアナが視線を向けると、ルドルフが代わりに前に出て、中隊指揮官たちに防衛作戦について説明を始める。
彼女はしばらくの間無表情で年上の部下達の様子を見つめていたが、やがてそっと目を伏せた。
ハルリアナ<一体いつまで、この戦いは続くのでしょう。
人類はこの後も数百年、人口を減らすばかりなのでしょうか……>
●ハルリアナの寝室(ライセン合衆国副大統領の屋敷)
ハルリアナ<はっ……>
ハルリアナ「夢……」
ハルリアナの視界に入る、寝台の真紅の天蓋。
寝惚けたまま上体を起こすハルリアナ。奇麗なネグリジェを着ている。
ハルリアナ<軍人だった時の夢、でしたか>
ハルリアナ<当然ですね。軍人は白い絹製のネグリジェなど着ませんし、
そもそも、突発的な敵の攻撃に備えるため戦場じゃ寝間着で眠りませんし>
侍女「お嬢様、お早うございます。朝餉のお時間が近づいておりますので、お迎えにあがりました」
ハルリアナ「おはようございます」
ノックとともに入ってきた侍女に会釈するハルリアナ。それを見て、微妙な顔をする侍女。
侍女「その癖は治りませんね、お嬢様。お嬢様が私共に軽々しく頭を下げてはなりませんよ」
ハルリアナ「ただの会釈じゃないですか」
侍女がハルリアナの身支度を始める。ハルリアナはされるがままだが、やや不満そう。
ハルリアナ「……自分で着替えくらいできるのですが」
侍女「こちらも、まったく慣れませんか? 着飾られるのものお楽しみになればよろしいのですよ。妙齢の女性なのですから」
侍女「ほら、ご覧になって。こちらの髪飾りなんか、お嬢様の髪にぴったりですわ」
ハルリアナ「はあ……髪飾り……。別に適当でいいのですけど……。軍にいた時は紐で無造作にまとめていただけでしたし」
侍女「何をおっしゃいます、折角の美しい漆黒なのですもの。磨かねば勿体のうございますわ。それに……その純粋な黒は、もうお嬢様以外にはお目にかかれないのですから」
ハルリアナ<まあ、たしかにそれはそうですね>
鏡の前で俯き、自分の髪に降れるハルリアナ。
ハルリアナ<闇を溶かしたかのような漆黒の髪は、5年前革命で滅ぼされた『和華帝国』の皇家特有のもの>
ハルリアナ<革命では、皇族は全員亡くなった。生き残りはわたしだけ>
モノローグ)北の大国、和華帝国は、皇族の贅沢と、差別政策のために革命軍に滅ぼされた。
モノローグ)【怪魔】を嫌うがあまり、魔素に耐性を持つ体質の【魔人】、そしてそれになれる可能性がある人間を徹底的に差別した政策。【魔人】になりうる国民は穢れとされ、収容所で強制的に働かされ、使えなくなったら処刑された
モノローグ)今は和華共和国と名を変えて、帝政を廃した人民の国家となっているというが――。
ハルリアナ<わたしも、魔素耐性があったらからこそ、戦場に赴けと言われた……。皇女の地位で簡単に士官になれましたが、あれは死ねと同義の命令だった>
ハルリアナ<ライセン合衆国に亡命できて、奇跡的に副大統領閣下に引き取っていただきましたが>
ハルリアナ<家族に疎まれ戦場に追い出されたのに、今度は国民に疎まれ戦場を追い出され、追われて……やってられませんね。
――それに>
ハルリアナの脳裏に、戦場の光景が思い浮かぶ。
血を流して倒れる兵士、【怪魔】の毒素で全身が真っ黒になった兵士、【魔人】と【怪魔】の魔術合戦の様子……。溜息をつくハルリアナ。
鏡に映る、死んだ目をして、侍女に身支度をしてもらっているハルリアナの姿。
ハルリアナ<わたしがこうしている間にも、かつての同胞が死んでいっている。それでも、もう戦場に戻ることは許されない>
ハルリアナ<わたしは戦いがなければ、何もない。からっぽな人間だ>
ハルリアナ<戦場で戦うことが、わたしの生きる意味だったのに……>
侍女「身支度、完了いたしましたお嬢様」
ハルリアナ「……ありがとうございます」
侍女「ああ、そういえば、お嬢様。旦那様からお話があるそうですよ」
ハルリアナ「え……?」
かわいらしいワンピースに身を包んだハルリアナが、侍女の言葉に意外そうな顔になる。
●オルティシア家廊下・食堂
ハルリアナ<お養父さまが一緒に朝餉をとるなんて珍しいですね。いつもお仕事で早く出られるのに>
ハルリアナ、カーペットの敷かれた廊下を歩き、食堂への扉を開。
目に飛び込むのは水晶製のシャンデリアの灯りと、窓から差し込む朝の光で彩られたダイニングホール。その中央に置かれた長テーブルの上座に座っているのは、このライセン合衆国の副大統領、ラッセル・オルティシア。ラッセルは上等なスーツ姿だ。
そして、その次席にはその奥方であるオルティシア夫人。彼女も上品なドレスを着ている。
ハルリアナ「おはようございます。お養父さま、お養母さま」
ラッセル「おはよう」
オルティシア夫人「おはようございます、ハルリアナ」
席に着き、使用人の運んできた食事を食べるハルリアナと副大統領夫妻。
少し経ってから、ハルリアナが副大統領に聞く。
ハルリアナ「お養父さま。よろしいでしょうか」
ラッセル「なんだね?」
ハルリアナ「侍女より、お養父さまからお話があると聞きました。今日、朝餉をともにしているのは、その話とやらをするためだったのでは?」
ラッセル「……ああ、そうだな」
カトラリーを置き、軽くナプキンで顔をぬぐう副大統領。
居住まいを正す養父に、ハルリアナも背筋を伸ばす。
ラッセル「……本当は落ち着いた時に話すべきだったのだが、何せ忙しくてな」
ハルリアナ「はい」
ラッセル「革命が起きる前より、我々合衆国の民は、高貴な身分でありながら戦場で命を削らねばならない身分の君を気にかけていた」
ハルリアナ「……ええ、ですから革命により身分をはく奪され、軍を追放された際、引き取ってくださったのでしょう」
ハルリアナ<まあ、わたしを追放したのも、軍でも最大派閥出身者……つまり、この方の部下である将官たちでしたが……>
どこか冷ややかな無表情のハルリアナ。
モノローグ)この世界では、人同士が争う戦争がなくなって100年以上が経過している。
しかしその代わり、それぞれの国の出身者が統一軍でどのくらい功を挙げたかで、各国の力関係が変化するようになっていた。将が功を挙げれば、国の威儀が上がる。
ハルリアナ<皇女の身分のまま【魔人】部隊中佐の位にいたんです。
皇女の身分がなくなれば、さっさと追放されるであろうことは自明ではありましたが――>
ラッセル「だがハルリアナ、お前が戦場に未練を残していることも知っている」
ハルリアナ「は……?」
ラッセル「君がこのままこの家で花嫁修業をして、名家に嫁ぐなんてことを望んでいないこともな。だから、一つ提案があるのだよ」
ハルリアナ「提案、ですか」
ラッセル「ああ」
副大統領が真剣な顔つきで、やや目を見開いたハルリアナを見る。
ラッセル「我が国の軍学校に、元将校の身分を隠して通う気はないかね?」
●訓練場広場
ルドルフ「中隊長各位、傾注! 連隊長殿より訓示である」
大柄な副官ルドルフ・アディンセルが声を張り上げた。
ハルリアナとルドルフは広場中央の台に立っている。
ハルリアナの真下に広がる光景は優秀な士官たちが、自分の言葉を待つようにこちらを見上げているものだった。
よく通る声で注意を促したルドルフに軽く礼を言うと、彼女は1歩前に出て口を開く。
ハルリアナ「観測手より情報が入っています。近々、【大怪魔《アーク》】率いる大軍勢が、一点突破を狙ってこの第一司令部を攻めてくるようです。……これより、新たな大規模基地防衛作戦について説明をします。……アディンセル大尉」
ルドルフ「ハッ」
ハルリアナが視線を向けると、ルドルフが代わりに前に出て、中隊指揮官たちに防衛作戦について説明を始める。
彼女はしばらくの間無表情で年上の部下達の様子を見つめていたが、やがてそっと目を伏せた。
ハルリアナ<一体いつまで、この戦いは続くのでしょう。
人類はこの後も数百年、人口を減らすばかりなのでしょうか……>
●ハルリアナの寝室(ライセン合衆国副大統領の屋敷)
ハルリアナ<はっ……>
ハルリアナ「夢……」
ハルリアナの視界に入る、寝台の真紅の天蓋。
寝惚けたまま上体を起こすハルリアナ。奇麗なネグリジェを着ている。
ハルリアナ<軍人だった時の夢、でしたか>
ハルリアナ<当然ですね。軍人は白い絹製のネグリジェなど着ませんし、
そもそも、突発的な敵の攻撃に備えるため戦場じゃ寝間着で眠りませんし>
侍女「お嬢様、お早うございます。朝餉のお時間が近づいておりますので、お迎えにあがりました」
ハルリアナ「おはようございます」
ノックとともに入ってきた侍女に会釈するハルリアナ。それを見て、微妙な顔をする侍女。
侍女「その癖は治りませんね、お嬢様。お嬢様が私共に軽々しく頭を下げてはなりませんよ」
ハルリアナ「ただの会釈じゃないですか」
侍女がハルリアナの身支度を始める。ハルリアナはされるがままだが、やや不満そう。
ハルリアナ「……自分で着替えくらいできるのですが」
侍女「こちらも、まったく慣れませんか? 着飾られるのものお楽しみになればよろしいのですよ。妙齢の女性なのですから」
侍女「ほら、ご覧になって。こちらの髪飾りなんか、お嬢様の髪にぴったりですわ」
ハルリアナ「はあ……髪飾り……。別に適当でいいのですけど……。軍にいた時は紐で無造作にまとめていただけでしたし」
侍女「何をおっしゃいます、折角の美しい漆黒なのですもの。磨かねば勿体のうございますわ。それに……その純粋な黒は、もうお嬢様以外にはお目にかかれないのですから」
ハルリアナ<まあ、たしかにそれはそうですね>
鏡の前で俯き、自分の髪に降れるハルリアナ。
ハルリアナ<闇を溶かしたかのような漆黒の髪は、5年前革命で滅ぼされた『和華帝国』の皇家特有のもの>
ハルリアナ<革命では、皇族は全員亡くなった。生き残りはわたしだけ>
モノローグ)北の大国、和華帝国は、皇族の贅沢と、差別政策のために革命軍に滅ぼされた。
モノローグ)【怪魔】を嫌うがあまり、魔素に耐性を持つ体質の【魔人】、そしてそれになれる可能性がある人間を徹底的に差別した政策。【魔人】になりうる国民は穢れとされ、収容所で強制的に働かされ、使えなくなったら処刑された
モノローグ)今は和華共和国と名を変えて、帝政を廃した人民の国家となっているというが――。
ハルリアナ<わたしも、魔素耐性があったらからこそ、戦場に赴けと言われた……。皇女の地位で簡単に士官になれましたが、あれは死ねと同義の命令だった>
ハルリアナ<ライセン合衆国に亡命できて、奇跡的に副大統領閣下に引き取っていただきましたが>
ハルリアナ<家族に疎まれ戦場に追い出されたのに、今度は国民に疎まれ戦場を追い出され、追われて……やってられませんね。
――それに>
ハルリアナの脳裏に、戦場の光景が思い浮かぶ。
血を流して倒れる兵士、【怪魔】の毒素で全身が真っ黒になった兵士、【魔人】と【怪魔】の魔術合戦の様子……。溜息をつくハルリアナ。
鏡に映る、死んだ目をして、侍女に身支度をしてもらっているハルリアナの姿。
ハルリアナ<わたしがこうしている間にも、かつての同胞が死んでいっている。それでも、もう戦場に戻ることは許されない>
ハルリアナ<わたしは戦いがなければ、何もない。からっぽな人間だ>
ハルリアナ<戦場で戦うことが、わたしの生きる意味だったのに……>
侍女「身支度、完了いたしましたお嬢様」
ハルリアナ「……ありがとうございます」
侍女「ああ、そういえば、お嬢様。旦那様からお話があるそうですよ」
ハルリアナ「え……?」
かわいらしいワンピースに身を包んだハルリアナが、侍女の言葉に意外そうな顔になる。
●オルティシア家廊下・食堂
ハルリアナ<お養父さまが一緒に朝餉をとるなんて珍しいですね。いつもお仕事で早く出られるのに>
ハルリアナ、カーペットの敷かれた廊下を歩き、食堂への扉を開。
目に飛び込むのは水晶製のシャンデリアの灯りと、窓から差し込む朝の光で彩られたダイニングホール。その中央に置かれた長テーブルの上座に座っているのは、このライセン合衆国の副大統領、ラッセル・オルティシア。ラッセルは上等なスーツ姿だ。
そして、その次席にはその奥方であるオルティシア夫人。彼女も上品なドレスを着ている。
ハルリアナ「おはようございます。お養父さま、お養母さま」
ラッセル「おはよう」
オルティシア夫人「おはようございます、ハルリアナ」
席に着き、使用人の運んできた食事を食べるハルリアナと副大統領夫妻。
少し経ってから、ハルリアナが副大統領に聞く。
ハルリアナ「お養父さま。よろしいでしょうか」
ラッセル「なんだね?」
ハルリアナ「侍女より、お養父さまからお話があると聞きました。今日、朝餉をともにしているのは、その話とやらをするためだったのでは?」
ラッセル「……ああ、そうだな」
カトラリーを置き、軽くナプキンで顔をぬぐう副大統領。
居住まいを正す養父に、ハルリアナも背筋を伸ばす。
ラッセル「……本当は落ち着いた時に話すべきだったのだが、何せ忙しくてな」
ハルリアナ「はい」
ラッセル「革命が起きる前より、我々合衆国の民は、高貴な身分でありながら戦場で命を削らねばならない身分の君を気にかけていた」
ハルリアナ「……ええ、ですから革命により身分をはく奪され、軍を追放された際、引き取ってくださったのでしょう」
ハルリアナ<まあ、わたしを追放したのも、軍でも最大派閥出身者……つまり、この方の部下である将官たちでしたが……>
どこか冷ややかな無表情のハルリアナ。
モノローグ)この世界では、人同士が争う戦争がなくなって100年以上が経過している。
しかしその代わり、それぞれの国の出身者が統一軍でどのくらい功を挙げたかで、各国の力関係が変化するようになっていた。将が功を挙げれば、国の威儀が上がる。
ハルリアナ<皇女の身分のまま【魔人】部隊中佐の位にいたんです。
皇女の身分がなくなれば、さっさと追放されるであろうことは自明ではありましたが――>
ラッセル「だがハルリアナ、お前が戦場に未練を残していることも知っている」
ハルリアナ「は……?」
ラッセル「君がこのままこの家で花嫁修業をして、名家に嫁ぐなんてことを望んでいないこともな。だから、一つ提案があるのだよ」
ハルリアナ「提案、ですか」
ラッセル「ああ」
副大統領が真剣な顔つきで、やや目を見開いたハルリアナを見る。
ラッセル「我が国の軍学校に、元将校の身分を隠して通う気はないかね?」