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私が進学する予定の竜太刀岬高校は、その名の通り竜太刀岬のすぐそばに位置していた。自宅からそこまで歩くのに、何遍も坂を登ったり降ったりさせられた。東京で暮らしていた街は平坦な道が多く、ただ学校に行くだけでこんなにも労力を要するのかと思うとのっけから気持ちが沈んだ。

ようやくたどり着いた高校の校門を前に、私はただそびえ立つ城のような校舎をぼうっと眺めることしかできなかった。受験の時に一度来てはいるものの、改めて見ると無駄に大きくて迫力がある。田舎だから土地が余っているんだろう。東京じゃこうはいかない。

さて、学校を見に来たはいいものの、何をすればいいんだろうか。
勝手に中に入るのは気が引けると思いつつ、まあ春休みだし大丈夫か、と謎の自信が湧いて校舎に一歩、足を踏み入れる。
時計塔にもなっている校舎には入らずに直進すると、すぐに校庭が見えてきた。校庭はとても広く、部活の練習ものびのびとできそうだ。校庭を目の前に、校舎の前を進むと、花のついていない桜の木が並んでいた。入学式にはこの桜がいっぺんに咲いて、ここで写真を撮る人で溢れるのだろうと想像していると、一人の男子生徒が目の前に現れた。

一瞬、俊の幻覚を見たのではないかと思い、何度か瞬きを繰り返した。学ランを着たその人は、俊よりも少しだけ髪が長く、メガネをかけている。大丈夫、俊じゃない。どうしてほっとしているのかも分からずに、私は彼の方に釘付けになっていた。

その人は、なんだか重たそうなカメラを抱え、じっと桜の木の枝を撮っているようだった。
何をそんなに一生懸命に見つめているのか分からなかった。彼の持つカメラのレンズ越しに見える世界には、何が映っているのだろう。単に桜の木の枝を撮っているのかもしれないけれど、私は気になってずっと彼を見ていた。

「あ、すみません」

突如、振り返った彼が私の存在を見つけてわっとカメラを下ろす。私も、突然気づかれるとは思っておらず、あわわ、と漫画みたいな焦り方をしてしまった。

「こちらこそごめんなさい。ずっと見ちゃって」

へこへこと頭を下げて、私はその場を去ろうとした。彼はこの学校の生徒だろうか。だとすれば、私の存在はどう映ったのだろう。見知らぬ中学校のセーラー服に身を包む私を、彼はどんなふうに見ているのだろう。

「いや、気づかなくてごめん。えっと、きみは中学生? でもこの辺じゃ見ん制服やね」

私の服装を見た彼が当然の疑問を口にした。メガネの奥で瞬きをする彼の目は、思っていたよりも大きくて透き通っている。たぶん、メガネを外せばかなり格好良い部類に入るのではないだろうか。俊とはまた違った、クールなイケメン、というイメージだった。

「は、はい。今年中学校を卒業して、東京から引っ越してきたんです。岩が、ごつごつしてるのを見てたらなんか怖くなって。入学する予定の学校を見に行けってお母さんが……」

竜太刀岬の岩の話なんてする必要もなかったのに、この町で初めて同年代と人と会って、つい口が滑ってしまっていた。呆れられるかと思ったけど、彼は「そうか」と頷いてから嬉しそうに顔を綻ばせた。

「俺は吉原蓮(よしはられん)。きみと同じで、今年高校1年生やで。よろしく」

右手にカメラを持った彼は、左手を私に差し出してきた。私は一度右手を出したがひっこめて、左手で彼の手にそっと触れた。

「私は、風間(かざま)凛です。よろしくお願いします」

ニコニコとひだまりみたいな温かい笑顔で、彼は私を迎えてくれた。冷たかった春の風が、少しだけ暖かく感じたのは気のせいだろう。

「吉原、くんはどうして今日ここに?」

私と同じように、彼も入学前の高校に来ていたことが気になって聞いた。

「ああ、俺、映像研究会に入りたくて。この学校で、どんな画が撮れるか研究しに来たんよ」

「映像研究会……」

あまり聴き馴染みのない研究会の名前に、私は首を傾げた。なんとなくやってることは想像できるが、私の通っていた中学校にはそんな研究会はなかったのだ。

「中学の頃、コンクールで入賞を逃してなあ。悔しくて、また再チャレンジ」

カメラを私の方に向けた彼は、そのままシャッターを切った。カシャ、という音に、私は思わず目を瞑ってしまっていた。

「はは、目閉じたな。また今度、撮らせてよ。てかよかったら、一緒に映像研入らん? 風間さん、モデルに向いてると思うし」

「えっ、モデル? そんなの無理だよ」

「大丈夫大丈夫。慣れてくれば、楽しくなってくるけん」

「はあ」

なんというコミュニケーション力の高さだろう。今日会ったばかりの私を自分の趣味の世界に誘い込むなんて。しかも、不思議と嫌な気はしない。彼の言葉につい乗せられているような気がしている。

「ほな、また高校で」

片手を上げて颯爽と私に背を向けて校門の方へ歩いていく彼を見て、私は呆気にとられたまま立ち尽くしていた。この学校には、あんな爽やかな男の子がやって来るのか。私みたいに陰気な人間が、彼のような人と一緒に何かをつくるなんて考えられない。
私は誰もいなくなった桜の木の下で、自分の脈拍が早くなるのを感じて胸を抑えた。

手慰みにスマホを見ると、一通のメッセージが届いている。

「俊……?」

一週間前に告白をされてから、初めて来たメッセージだ。私は恐る恐るアプリを開き、俊とのトーク画面を見た。

『凛、元気か? まだ別れて一週間なのに元気かって、変か。凛のことだから、どうせ新しい家が田舎すぎるって泣いてんだろ。メソメソして一人で散歩なんかしてこの先のこと、不安に思ってるんだろ。何かあったらすぐ連絡してこいよ。俺にできることは何もないかもしれないけど、凛の話し相手くらいにはなれるから』

俊が送ってきた内容は、まさに今自分が感じていた感情そのままで、私はぎゅっと胸が締め付けられた。早くなっていた鼓動が、余計激しく鳴る。でも、胸の中には一つ、温かい灯がともった。

「ありがとう」

一言だけ彼に言葉を送る。俊の気持ちにすぐに答えられず、曖昧な返事しかできなかった私は、まだ俊にたくさん言葉をあげられるほど成長できていない。たぶん俊だって、私と話したくてこんなメッセージを送ってきたのではないだろう。ただ遠い地で不安に思っている私の心を、少しでも慰めようとしてくれただけなんだから。

既読はすぐについた。でもその後俊から何か送られてくることはなかった。私たちは800km離れた場所で、細い糸を伸ばし合い、切れないように懸命に掴まっていた。