翌日。

「慶!」
 大学から帰宅した白姫は、机の上で広げたリングノートを睨むように見ながら、あーでもないこーでもないと唸っていた慶の両肩を勢いよく掴んで、顔を見合わせる。
「白姫! おかえりなさい」
「ただいま慶。慶、聞いて!」
「なぁに?」
「碧海響子さんの旧姓が分かったわ」
「ほんまに? ってか、もうわかったん⁈」
「ふっふ。私は仕事が早いのよ」
 目を見開いて驚く慶に、腕組みをした白姫は得意げに胸を張る。
「流石です、白姫様」
 慶は素直にそう言って、拍手をする。
「まっかっせなさ~い」
 白姫はご機嫌にツインテールを左手で払い、得意げになる。かと思えば、ハッとしたように、「って、こんなことして遊んでる場合じゃないでしょ」と注意する。
「ぁ、せやったね。どうやった?」
「慶の直感は冴えてたみたい」
「と言うことは……」
「そう!響子さんの旧姓はクギ! 漢字で書くと……」
 期待に目を輝かせる慶に白姫は、スマホで文字を打って、スクリーンを見せる。


「釘?」
「えぇ」
 白姫は笑顔で頷く。
「ぇ? じゃぁ、私が見てた内藤っていうんは?」
「響子さんのお母さんは再婚していたみたいなのよ。詳しく話すと、響子さんは元々、釘響子という名前だったけれど、結婚して碧海響子さんとなった。響子さんのお母さんは、響子さんが結婚して一年後に再婚したのよ。その旦那さんの苗字が内藤。だから慶は、お母さんの旧姓が内藤だと思っていた。それもそうよね、わざわざ孫に、私再婚したのよ、なんて言わないもの」
「……なるほど。そうやったんや」
 慶はどこか放心状態で、だけど、深く納得した。


「これで一歩、真実に近づいたわね」
「うん! これは大きな一歩や。ありがとう。白姫」
 満面の笑みを浮かべた慶は、勢いよく立ち上がり、白姫に抱きつく。
「慶の力になれて良かったわ。だけど、まだ依頼者が求める真実までは行ってないからね」
「うん! 頑張る!」
「うん。また、私に何か力になれることがあったら、遠慮なく言ってちょうだい」
「うん! ありがとう」
 慶は笑顔で大きく懐く。胸の内では、なんて心強いのだろうと思う。


 †



 三日後。
 午前十時。

 目の下にクマをこしらえた慶は、机の上に広げたリングノートに書かれた文字達と、睨めっこしていた。
 何かヒントはないだろうかと、昨夜小島ひまりとリモート通話をしたが、これといっていい情報は得られなかった。


 一週間以内に解決せねばならないというのに、現在分かっていることは、碧海響子がクギキョウコであったこと。必然的に、クギキョウコの居場所は特定できている状態だ。当たり前だ。慶は三年前まで碧海聖花として、元クギキョウコの元で育ち暮らしていたし、その後引っ越しもしていないのだから。


 問題となるのは、小島ひまりとクギキョウコの関係性だった。


 ひまりの父親が、クギキョウコの名前を出したと言うことは、結婚前の響子と知り合いだったということだ。
 ということは、小島ひまりはまだ産まれていないということになる。


 小島ひまりの誕生日が、十月十日。

 碧海すみれの誕生日が、三月二十七日。


 全く違う。だがしかし、碧海すみれが誘拐された日が十月十日で、ひまりの誕生日と重なっている。
 こんな偶然が重なるものなのだろうかと、慶は頭を抱えていた。


 そしてもう一つ。
 ひまりは二十歳まで山奥の小さな一軒家に住んでいたと言っていた。
 それだけならまだ不思議には思わぬが、今まで病院や学校に行ったことがなく、二十歳になってから初めて父親と山からおり、村の小さな一軒家で過ごしていたと言う。

 二十二歳からは、父親の地元の奈良に住んでいたと。
 なぜひまりは、二十歳まで山奥から降ろしてもらえなかったのか。なぜ病院や学校にも行かせてもらえなかったのか。そんなの、ひまりを人の目から隠していたとしか思えない。

 考えれば考えるほど、小島ひまりが碧海すみれなのではないかと言う思いが、慶の脳を埋め尽くす。
 だがコレと言う決定打がない以上、それが真実だとは思えないし、ましてやそれを真実ですとは伝えられなかった。



「はぁ〜〜。わっからへーん!」
 慶はお手上げ状態で、椅子の背もたれ身体を預けて天井を見る。
「なんか、ヒントとかあればなぁ……」
 推理に往生する慶はしばし無言となり、「開」と呟く。それはもう、ほとんど無意識だった。
 白と連絡が取れるトランシーバーの役割を果たす左側の貼るピアスから、ぶつ切りの機械音が響いた後、『なんだ?』という白の声が聖花の左耳へ届く。


「‼」
 無意識に「開」と呟いていた慶は、いきなり白の声が左耳に響いたことに、びくりと身体を震わせて驚く。
「呼んだのではないのか? ……もう老化現象が始まったのか?」
 依頼者側から話しかけたい場合は「開」と唱えることにより、白との回線が繋がる機能を持つ貼るピアスだ。そう思われても仕方がない。
「ぼ、ボケてません」
「そうか。で、どうした?」
「推理ができません」
「……問い方にも知性がないな」
 白は直球すぎる慶の言葉に憫笑した。

「私に知性を求めないで下さい。考えても考えても、真実に辿り着けません」
「何故、真実に辿り着けない?」
「それは、私が賢くないから。推理力がないから。決まってるじゃないですか」
「どちらも違う」
 白は慶の言葉をバッサリ否定する。
「?」
「藍凪慶がなかなか真実に辿り着けないのは、素直すぎるからだ」
「どういうことですか?」
 言葉の真意が掴めない慶は、深い説明を求める。
「一度でも、依頼者の言葉を疑ったことはあるのか?」
「依頼者が嘘をついていると? そんな馬鹿な。そんな人には思えません」
 慶は怪訝な顔をして、そう話す。


「そうだ。人を見た目で判断して、嘘の情報を伝えてきているとは、考えもしていないのだろう?」
「人を騙すような雰囲気は感じられませんでした。大体、どうして依頼しているのにも関わらず、嘘の情報を流すんですか? 真実が遠のくだけじゃないですか」
 慶は白の物言いにムッとする。白は気に留める様子もなく、スラスラと言葉を述べてゆく。


「依頼者が嘘をつく理由は主に三つ。一つは、こちら側を騙すことが目的である。また一つは、嘘をつくしかない状態にある。最後は、嘘を嘘と思っていない。後は自分で考えろ。その依頼は藍凪慶のタスクのはずだ」
「ぇ、ちょっ」
 慶が止める間もなく、トランシーバー通話が一方的に終了された。


「なんなん……一体。依頼者が嘘をついてるなんて……」
 慶は余計に分からなくなったとばかりに、両肘を机につき両手で頭を抱えた。
 視点を落とせば、自分で書いたノートの文字が見える。
 左側には、小島ひまりの名前と生年月日。生前の父親の言葉。二十歳まで山奥で暮らしていた情報が記入されている。
 右側には、碧海すみれの名前と生年月日。誘拐された日。母親の名前と、母親の旧姓を記入していた。
 現状一致しているのは、探し人である<京都に住む、クギキョウコ>が、碧海響子と一致していたこと。ひまりの誕生日と、すみれが誘拐された日が一致されていること。だがそれらは、全ての決定打にはなってはくれない。


――嘘を嘘と思っていない。
 白の言葉が慶の脳裏に過る。


「嘘を嘘と思っていない――。もしかして、嘘が真実だと思い込んでいる?」
 再び椅子の背もたれに背を大きく預けて天井を眺める慶は、ぼんやりとそう呟いた。
「!」
 何かを閃いたのか、ハッと目と口を開く。まるで池にいる錦鯉のようだ。
 その後、慶は智白や白樹と連絡を取り、欲しい情報を手に入れるのだった。