翌日――。
 午後二十二時。

♪コンコンコンコン。
慶達の部屋の扉がノックされる。
「はーい」
 白姫が間伸びした返事をする。
「私です」
「どうぞ」
 白姫はどこかつまらなそうに返事をして、訪問者を受け入れる。


「白様じゃなくて悪かったですね」
「べっつに〜。どうせパパだと思ってたわ」
「どうせとは失礼ですね。……まぁいいでしょう。現在白姫に用はありません」
 智白は白姫との少小競り合いを早々に終わらせ、デスクに座って事の様子を見守っていた慶に歩み寄る。
「……雰囲気、変わられましたね」
 そういう慶の姿は、ずいぶんと様変わりしていた。
 髪色は漆黒からラベンダー色にカラーチェンジされ、スぺサルタイトガーネット色の瞳には、アッシュさのあるダークブラウン×イエロー×オレンジがバランスよく配合され、向日葵を彷彿とさせる明るさと、ふんわりとしながらもさりげなく輪郭を強調してくれるデザインをしたカラコンが埋め込まれていた。
 それに伴い、程よくメイクが施され、華やか印象を与えてつつ、より大人っぽくなっている。


「はい。白姫に手伝ってもらい、イメチェンしました」
「そうですか。それはいいタイミングでしたね。藍凪慶、仕事の依頼です」
「さ、早速ですか? 昨日の今日ですよッ?」
 慶は思いもしていなかったことに動揺する。
「恭稲探偵事務所に頼りたいものは日々耐えませんからね」
「そ、そうなんですね」
 慶は智白の言葉に納得して、それ以上ぐずることはなかった。


「依頼者は小島ひまり。二十代の女性です。既に依頼者と白様はエンカウント済み。担当が貴方になっています。契約書は私がテンプレートとしてkutouに送信いたしますので、貴方は依頼者と向き合うことだけに集中して下さい。依頼者との対談等での音声データーは貴方のピアスから、白様のパソコンに送られます。白様がそれを確認後、私に指示が送られてきます。私はその指示の元に契約書を作成し、kutouにある貴方とのトーク場に送信いたします。貴方はそれを依頼者に送って下さい。くれぐれも、一音一句契約書の文字変更なさらぬようにお願いいたします」
「は、はい」
 淀みのない説明を受けた慶は、ちゃんと記憶できているだろうかと、自分の記憶能力を不安に思いながら頷く。その顔はなんとも情けない。
「業務中はそのどもりや、自信の無さは捨て、堂々としていて下さい。貴方がそんな風にいると、依頼者が不安になりますし、貴方や恭稲探偵事務所のことを信用出来なくなってしまいます」
 智白の言葉に納得した慶は、「はい」と頷く。
 カラーコンタクトをしているため、その瞳の奥は分かりかねるが、どこか先ほどよりも力強さを感じた。


「こちらに業務方法や業務内容について作成いたしましたので、よくよく確認を」
「わかりました。業務について一つ質問いいですか?」
「えぇ。なんですか?」
「どうして私の名前はKeiなのでしょうか? それと、読み方はキーとケイのどちらでしょうか?」
「Keiというのは、例のアカウント名から来ています。読み方は、ケイです」
「例のアカウント名……あの動画のことですよね」
 二人が話すのは、音声やヴィジュアルはもちろん、性別すら分からない、Those who have the key,のアカウントユーザーネームを持つ者が制作した、恭稲探偵事務所へと導く動画のことだろう。
「えぇ」
「わかりました。ありがとうございます」
「いえ。では、私はこれで」
 智白はそう言って、部屋を後にした。



「慶、初仕事じゃない!」
 どこか楽しそうな白姫は、顔の前で両手を一つ叩く。
「うん。私に出来るか……不安や。テレビ番組の謎解きさえ、ろくに出来たことあらへんのに」
「慶なら大丈夫よ。私達がしっかりサポートするから」
 白姫はそう力強く言って、胸元に拳を当てる。慶はそんな白姫に心強さを感じ、固かった表情が一気に和らいだ。
「書類確認してみたらどう?」
「せやね」
 慶は白姫に促さられるままに、渡された書類を確認する。

【依頼者の名前 小島ひまり

依頼内容
 京都在住であろう“クギ キョウコ”を探し出して欲しい】

「キョウコ? 慶のお母さんと同じ名前ね。苗字が違うけど」
「うん。まぁ、キョウコという呼び名だけなら結構いそうやし。漢字が一緒だったら驚くけど」
「そうよね」
「それにしても、どうして名前が全カタカナ表記なんやろう?」
「何か理由があるんじゃない? 気になることは依頼者にガンガン聞いてみればいいじゃない。切羽詰まって依頼してきている人なら、こちらに協力的でしょうし。じゃないと、成り立たないわ」
「うん。心掛けてみる」
 慶は元より、人のパーソナルスペースに土足で踏み込んだり踏み込まれたり、ガンガン質問したりされたりが苦手な方だ。ある種、ここは成長が試されるかもしれない。
「自信を持って! 依頼内容は違うけれど、依頼者の気持ちはわかるはずでしょう?」
「うん」
 慶は、自身が恭稲探偵事務所に訪れた時のことや、契約を交わしたときのことを思い出し、深く頷く。
 もしあの時、白が自分のようにウジウジしていたり、自信なく接してきていたなら、きっと契約を交わさなかった。白ならば、何かを変えてくれるかもしれない、白ならば助けてくれるかもしれないと、微かな光を感じられたから契約を交わせたのだ。
 慶はそのことを思い出し、自身に気合を入れ直した。
「もう一枚の書類にはなんて書いてあるの?」
「今見てみる」
 慶は今持っている書類をずらし、その下にあった書類内容を確認する。
【本日二十二時三十分 依頼者とコンタクト(リモート)

 担当が白様からKeyになったことを伝えて下さい。
 依頼者への質問等はそちらにお任せいたします。

 依頼がしっかり固まり、リモートが終了次第私に連絡を。
 連絡を確認次第、契約書をそちらに送信いたしますので、貴方は私が送信した契約書を確認後、改めて依頼者に送信して、サインをもらって下さい。
 契約書を終えましたら、契約書データーを白様にメールを送り、貴方は依頼に取り掛かって下さい。
 依頼遂行に必要であれば、私たちが協力いたしますので、一人で悶々と消え込み過ぎぬようお願いします。その分時間のロスとなりますので】
「白姫、今って何時?」
 契約書を読んだ慶の顔色が、見る見るうちに焦りの色に変わる。
「二十時二十分。ちなみに月日」
「やっば」
 慶は慌てて身なりと、リモートワークの準備を整え始めた。


「ふぅ」
 慶は五分ほどのゆとりを確保して、リモート準備を完璧に終えた。
 目の前には起動済みのノートパソコンが開けられ、左横には智白から渡された二枚の書類。右横には白姫から借りた、白の卓上型スマホスタンドには自身のスマホがセットされている。
 デスクの上には、あらかじめ開かれたB5のリングノート、赤色と青色と黒色が使える一本のボールペンが用意されていた。
 本当に身一つで恭稲探偵事務所に訪れた慶は、本来であれば鉛筆一本も持っていない。かといって、慶が自分で買い揃えることは出来ない。そのため、慶が持つ筆記用具や衣服類は全て、白姫や白樹達が買い揃えたのだ。

「私は大学のレポートを制作しているから、何かあったら言ってちょうだい。サポートするから」
「うん。ありがとう」
「ファイト」
 白姫は慶の右肩をポンポンと優しく叩きながら微笑み、自身の机に向かった。
「ありがとう、白姫」
 微笑み返す慶はノートパソコンの視線を戻し、ふぅーと一つ息を吐く。
 慶は過去自身も利用した事のあるリモートアプリ、『skyblue』を開ける。
 まさか依頼者としてではなく、探偵側として使うことになるとは、思いもしていなかっただろう。
 skyblueのアカウントは白と共同と言う訳ではない。
 慶は先程智白との専用トーク画面に送られてきた、IDとパスワードを入力する。
【ログインが完了いたしました】
 数秒ほど歯車マークがクルクルと回転したあと、画面がマイページに切り替わる。
 ユーザー名 Kei18559452 ユーザーアイコンはアンティークの錆びれた鍵が一つ、アンティーク洋書の上に置かれている写真となっていた。


「次は……」
 慶は智白からのトーク履歴を確認しながら、作業を行ってゆく。
 白から来ていた連絡通知には、依頼者のIDだけが記載されていた。当たり前と言えば当たり前だが、白かの応援やアドバイスメッセージは添えられていなかった。
 慶はそのIDをお友達登録をした。メッセージに既読がつこうとも、白からの反応はない。
 次に、二十時三十分ジャストに、そのIDに通話リクエストをかける。
 三回程のコールが響き、プツッと言う低い機械音が響く。
 画面が一瞬真っ暗になった後、依頼者が映し出される。
 色白で細身の体型。可愛い印象を与えるタレ目と涙袋。胸上まで伸ばされた甘栗色に染めた髪は、太めのコテでフェミニンに巻かれており、前髪は厚めの右斜めバングで額を少し見せてセットしている、二十五~六歳ほどの女性だった。


『あれ? 恭稲さんじゃない?』
 依頼者は慶が映し出されたことに、戸惑いの色を見せる。
 白から事前にユーザーアカウント名と、通話リクエストコール時刻を知らされてはいたが、担当が変わることまでは伝えられていなかったのだろう。
「戸惑わせてしまい申し訳ありません。恭稲探偵事務所で間違いありませんので、ご安心下さい。改めまして、私の名は、Keiと申します。本日より、小島ひまり様の依頼は、私が受け持つことになりました。よろしくお願いいたします」
 慶は珍しく冷静な口調で淀みなく言葉を伝える。それもそのはずだ、リングノートの左ページに、予め今の文面だけを記入していたのだから。依頼者に問われることを見越して制作しておいたカンペだ。


『……はい。えっと、どうして恭稲さんではなくなったのでしょうか?』
「恭稲氏は、主に事件性の高い依頼を承っております。命に関わることとお伝えしたほうが、分かりやすいでしょうか?」
『あぁ、なるほど。私の依頼は、ある人を探して欲しいというものだったから。担当分けされていらっしゃるのですね』
「はい。これも、一人でも多くの依頼者を救済するためのものですので、ご理解のほどを」
 慶はそう言って瞼を閉じ、頭を下げる。
 白に比べると、随分と丁寧かつ腰の低い電話オペレーターのような探偵だ。
『分かりました。では、Keiさん。改めまして、私は小島ひまりと申します』
「ありがとうございます。改めになりますが、今回のご依頼では、ある人を探して欲しいとのことですが、詳しい話しをお聞かせ願いますか?」
『はい。私は、京都に住む、クギ キョウコさんという人を探しているのですが、私の力だけでは見つけられず』
「苗字か名前かの漢字表記は分かりますか?」
 慶は開いていたリングノートの右側に、質問した問い達を書いてゆく。


『分かっていたら良かったのですが……何分、口頭だったので』
「口頭? 誰かからのお願い、または指示ありきで、この方を探していらっしゃるのでしょうか?」
『ん~……どちらとも言えません』
「?」
 慶は微かに首を傾げる。
『父が言っていたんです』
「なんと仰っておられたんですか?」
『俺が死んだら、京都にいるキョウコの元に戻れ。“クギ キョウコ”の元へ。そう、父が生前言っていたんです。父が先日他界したので、父の遺言とも取れるメッセージのままに、クギキョウコさんを探している状態です』
「そうでしたか。お父様のこと、お悔やみ申し上げます」
 慶は両目蓋を閉じ、会釈をする。

『いえ。お心、感謝いたします』
「では、小島ひまり様のご依頼は、京都に住む、クギ キョウコ様という人を探して欲しい。で、よろしいでしょうか。京都に住む、クギ キョウコ様の元に戻して欲しい。ではなく」
 慶は白との契約時にしくじったことを思い出し、依頼者が後から後悔せぬよう、丁寧な最終確認をする。
『はい。戻る戻らないかは、後からでいいです。どんな人かも分かりませんじ。まずは、会ってみないことには……』
「分かりました。お父様とクギキョウコ様の関係性も、お調べしなくても結構ですか?」
『はい。父とクギキョウコさんの関係性については、一切調べて頂かなくとも結構です。愛人関係にいたとかなら、ショックですし。ただ、私とクギキョウコさんの関係性を調べて欲しいです。なぜ、父が私をクギキョウコさんの元へ戻そうと思ったのか、戻れと言ったのかが気になります』
「分かりました。では、クギキョウコ様の捜索に伴い、クギキョウコ様の居場所を見つけること。小島ひまり様とクギキョウコ様の関係性を調べること。というご依頼でよろしいですね?」
『はい』
 ひまりは力強くうなずいた。

「分かりました。では、小島ひまり様。人あらざるモノの手を借りるならば、いくつかの条件があります」
『動画にも書かれていましたが、“人あらざるモノ”とは、どういうことなのでしょう? 貴方方はいったい――ッ』
「条件を飲むか、飲まないか。どちらかでお答え下さい。私が提示した条件を飲みますか? 飲みませんか?」
 慶は、ひまりの問いを問いで掻き消す。
 白よりもフレンドリーに行きたい気持ちはあるが、慶は自身のことはもちろん、白のこともペラペラと明かすことは出来ない。よって、淡々とした感じになってしまう。

『じょ、条件ってなんですか?』
 ひまりは不安げに問う。
 そんなひまりの姿や言葉に、慶は四年前の自分を重ねる。
 誰だって本日初めましての謎多き探偵が出してくる条件なんて、恐怖の対象でしかないよな〜。しかも担当は変わるし、変わった担当が私やし、不安が二倍増えてるようなもんや。と、慶は胸の内で思う。
 予防線を貼りたい気持ちが痛いほどわかる慶は、先に契約条件を話すことにした。


「一つ目。ここへ通じる道――鍵を口外してはならない」
 慶は人差し指、中指と、指を立ててゆきながら、条件を述べてゆく。
 不安気なひまりは何も言わず、Keiが全て言い終えるまでのあいだ、静かに耳を傾け続けた。


「二つ目。今回の依頼で経験した事柄や知恵は全て、自分の身へ留めておくこと。
 三つ目。こちらが依頼者に必要だと判断した言動を素直に従ってもらいます。こちらは主に、依頼者の生死に関わる場合に適用されやすいものとなります。
 四つ目。こちらが提示した鍵で依頼者が真実を知ったとて、基本的に私はそれに対し、一切の関与はいたしません。真実を手にした依頼者が、闇に落ちるも光へ導かれるも、依頼者自身の問題です。それが、真実を知る者の覚悟と責任。だと私は思っています。
 知りえることになる真実には、生半可な覚悟で受け止められるものじゃないものもあります。
 それに、その先は私自身のタスクではありません。私は依頼者の人生まで背負うつもりはありません。依頼者の人生は依頼者のものです。私が大きく関与することはできません。
 この四つの条件が飲める場合のみ、契約を交わしてもらいます。といっても、はい。と答えた時点で、そちらに拒否権はなくなります」
 慶は契約条件について、過去白から言われた言葉達を借りながら伝えた。
「どうなさいますか?」
『……』
 ひまりはkeiの問い掛けに、拳を口元に当ててしばし考える。きっと答えはすでに決まっているのであろうが、即答できるものでもないのだろう。


『……分かりました。依頼を遂行して下さい。ここに来るまで、クギキョウコさんについて調べて見ました。フェイスノートとかのSNSをやられていないか調べたり、京都の大学にクギキョウコという人や卒業生はいないかと電話をしたり。その結果と言えば、前者は全く以て検索に引っかからず、後者は個人情報保護法があるために、全くもって情報を得ることが出来ませんでした。かといって警察に伝えても、事件や命に関わることではないので、本気で捜索してくれません。 そもそも私が探す側なので、逆に白い目やヤバい者かと変な勘違いを産み、危うかったです。正直、どん詰まりなんです。ですが、父の言葉をなかったかのように過ごして生きていきたくない。だから、力を貸して下さい』
「分かりました。では一度リモートを終え、小島ひまり様のDMに依頼書ファイルデーターを添付いたしますので、そちらにサインをご記入後、私の方へと再添付して送りつけ下さいあ」
『はい。分かりました。よろしくお願いいたします』
 と、ひまりはモニターに映るKeiに向って頭を下げる。
「こちらこそ。では、失礼いたします」
 そう言って会釈を返す慶は、一度リモートを終了させた。



「ふぅ。なんとかできた。次は、智白さんに連絡やね」
 一息ついたKeiはkutouで智白と二人だけのトークルームを使い、今しがた承った依頼内容を連絡した。
 智白からの既読はすぐについたが、それに対しての返事はなかった。
 二分ほどが立ち、智白から依頼契約書のファイルデーターが届けられた。


[なにも余計なことはせず、このまま小島ひまりに送って下さい]
 というメッセージがファイルデーターの次に送られてくる。
「なんか……信用されてへん?」
 慶は智白の補足メッセージにしょんぼりと肩を落としつつ、契約書ファイルデーターを確認する。


【小島ひまりのご依頼は恭稲探偵事務所が受け付けました。
 ご依頼内容に対するこちらの働きかけは、以下のものとします。


一 依頼者である小島ひまりが捜索する“クギ キョウコ”の突き止め、居場所へと繋がる真実の鍵をお渡しいたします。

二 依頼者である小島ひまりとクギキョウコの関係性を調べた後、真実をお伝えいたします。

 その期間は、本日より一週間以内といたします。
 また、依頼者が真実の鍵を手にした時点で、調査及び依頼は終了し、その後のことについて、こちらは一切の関与はいたしません。

 また、こちらのご依頼に関する費用は不要といたします。

※提示した働きかけに問題がなければ、こちらが提示する以下の条件(契約)に進んで下さい。
 それに対する覚悟が整えば、依頼者の欄にフルネームを署名し、画像を再添付送信して下さい。


 一、ここへ通じる道――鍵を口外してはならない。

 二、依頼期間に経験した事柄や知恵は全て、自分の身に留めておくこと。

 三、こちらが依頼者に必要だと判断した言動を素直に従ってもらう。

 四、こちらが提示した鍵で依頼者が真実を知ったとて、恭稲探偵事務所はそれに対し一切の関与はしない。

 五、これらの条件を罰した場合、恭稲探偵事務所なりの対処をさせてもらう。そこに対し、依頼者の命の保証はない。
 求める鍵の受け取りを放棄したとみなし、鍵を与えるも与えないも恭稲探偵事務所側の権利とみなす。


 恭稲事務所が提示した以上の働きかけ。また、全ての条件に対しまして、私、碧海聖花は承諾いたします。
 
                                    依頼者                 】

 智白から送られてきた契約書ファイル画像データを見た慶は、「一週間以内⁉︎」と、驚き叫ぶ。
「慶、どうしたの?」
 白姫は慶に歩み寄りながら、心配そうに問う。


「難しい依頼にもかかわらず、解決までの依頼時間が、たった一週間しかないんよ」
 慶はそう言いながら、白姫に契約書ファイル画像を表示させたスマホを突き出すように見せる。
「ん〜。まぁ、一週間もあれば余裕じゃない?」
「ぇ?」
 思わぬ返答に慶は肩透かしを食らう。

「難しいと思うから難しいのよ。きっと依頼をよくよく考えてみると、簡単だと思うわ。そうじゃなければ、白様が仕事を与えるはずがない……と思わない?」
 白姫は同意を求めるように、小首を傾げて見せる。
「言われてみると……。せ、せやけど~、普通に考えると難しい」
「難しい難しいと思うから、余計に難しくなってゆくのよ。それに、普通に考えている時点で、真実からは離れて行くわ」
「な、なるほど」
 白姫の言葉に、慶は言い返す言葉もなく、首を上下させるしか出来ない。
「ほら、早く契約書を依頼者に送らないと駄目なんじゃないの? 考えることは後からいくらでもできるじゃない。今すべきことをしないと」
「せ、せやね」
 慶は白姫に促され、智白から送られてきた画像ファイルデータを一度自身のスマホに保存し、保存したデータを依頼者とのDMに送信した。
 依頼者からサインが書かれた契約書が送られてくる前に、通話リクエストコールが鳴り響く。

「やっぱり」
 慶はそれを予想していたように小さく頷き、通話を取った。
「はい、もしもし」
『ぁ、もしもし。Keiさん。契約書を確認したのですが、そのあまりにも横暴といいますか……。第五の条件は聞かされていなかったのですが、どういうことなのでしょうか?』
 ひまりは歯切れ悪く、言葉を探しながら伝える。
「お伝えしていなかったので、当然だと思います。ですが、お伝えしていたところで、どん詰まりと仰っていた小島ひまり様の返答は変化していたのでしょうか? そもそも、第五の条件に対し何がそんなに不服と仰るのでしょう?」
 慶は、過去白に言われた言葉を参考にしながら、流暢な口調で話す。


『はい? そんなの、命の保証についてに決まっているじゃありませんか』
「第五の条件が嫌と仰るのならば、他の条件を飲めばなんの問題もないはずですが……。それとも、小島ひまり様。第一~第五の条件(契約)のどれかを破るおつもりなのですか? ずいぶんと口の軽いこ依頼者様なことですね」
 慶は白から言われた言葉達をテンプレートのように伝えた。
 胸の内では、正当な言葉だとは思うけど、イラっとしてまうよな〜。申し訳ない。せやけど、私も雇われの身の故、変な言動は出来ぬのです。と思いながら、両手を重ねて謝るのだった。
『分かりました。全ては私の判断や言動に委ねられていると言うことですね。サインを送るため、一度リモートを終えさせてもらいます』
「はい」
 ブッと言う短い低機会音が響き、リモート通話が終了された。


「ふぅ〜」
 慶は緊張した心をほぐすように長いため息を吐き、こり固まった体を軽いストレッチで解す。
 白姫はそんな慶を横目で見守りながら、レポートを完成させるのだった。
 ほどなくして、小島ひまりからDMが送られてくる。サイン済みの契約書ファイルデータが送られてきただけで、補足メッセージはなにも送られてこなかった。
 慶はそれをスマホに保存させ、智白とのトークルームに添付送信した。

[確認いたしました]
[ご苦労様です]
[では、引き続き依頼を遂行して下さい]
 とメッセージが届く。
[はい。依頼を解決できるように努力します]
 とだけ返信した慶は、今一度依頼者と向き合うため、再びリモート通話リクエストをかける。
 通話リクエストは瞬時に応えられ、小島ひまりとのリモート通話が再開された。

 †


「契約書のサインを確認いたしました。これで、契約が成立いたしました。小島ひまり様のご依頼は、恭稲探偵事務所のKeiが責任を持ち、真実へと導かせて頂きますので、今後もご協力をお願いいたします」
『はい。どうぞ、よろしくお願いいたします』
 慶の会釈に会釈で返すひまりの表情は晴れない。
「ご不安にさせてしまい、申し訳ありません。一日でも早く、真実を突き止められるように精進いたしますので、今しばしお待ち下さい」
「はい」
 ひまりは、慶の思いやりを感じ取り、ほんの少しだけ表情を穏やかにさせる。
「では、遂行にあたり、いくつかのご質問にお答え頂いてもよろしいでしょうか?」
「はい。私でお答えできることであれば――」
「ありがとうございます。小島ひまり様は、クギキョウコ様に会われたことはないのですよね?」
 慶は質問内容と回答を、広げたノートに綴るため、ボールペンを手に取る。


「はい」
「なら、何故お父様は、戻れ、と仰ったのでしょう?」
 慶は疑点を素直に問う。
「そこが、私にも謎なところなんですよね。名前も聞いたことない人で、父の家族や知人にもいないはずなのに。って、父の家族や知人は一人も知らないんですけどね。一人も会わせてもらったことがないので、本当にいるのかも」

「一人も?」
 ひまりが苦笑いする一方で、慶は怪訝な顔をする。
 成人を超えている人が、父親の家族や知人の一人にも会わせてもらえていないことが、会っていないことが、慶にとっては信じられないことだったのだ。
「はい。一度も。そもそも、私が初めて山奥から父と降りてきたのは、二十歳になってからですし」
「えっと、二十歳まで山奥からでたことがないというのは、どういうことなのでしょう?」
 慶は理解が追い付かず、質問ばかりをしてしまう。


「私は山奥の秘境といわれるところに住んでいました。山奥を下りれば村がありましたが、村や都会には危険がいっぱいなんだ。喘息持ちだった私には、山尾下りれば下りるほど、浄化された空気じゃなくなって苦しくなる。学校も病院も町じゃないとない。勉強はお父さんが教えるし、風邪くらいなら、お父さんが市販の風邪薬を買ってくるから。そもそも、この山奥にいれば、病気なんて絶対にしないんだ。安心しろ。二十歳になるまでは、お父さんとここで暮らそうな。山の下は本当に危ない所だからと。繰り返し言われて育ちました」

「二十歳まで、家から一歩も外に出たことがないのでしょうか?」
「いえ。お父さんと一緒に虫取りをして遊んだり、畑で野菜を育てたりと、自然と戯れて育ちました。けして監禁されていたというわけではないんです」
 ひまりは、あらぬ誤解を持たれては大変だと、フォローを入れるように答える。
「……そう、ですか。分かりました。生前のお父様の言動について、他に何か不思議に思った出来事はありますか?」
 慶は、ひまりの話を不可解に思いながらも、今は深く突っ込まず、次の質問へと切り替えた。


「そうですね~……」
 ひまりは人差し指を顎先に当てて、過去を思い起す。
「そういえば――。父は生前、酔っ払って眠った時はいつも、キョウコすまない。俺なんだ……。俺が全てを奪った……すまない、キョウコ。という寝言と共に涙を流していました」


「全てを奪った?」
 ひまりの話で事件性が強まり、慶はこれは更に難物問題になりそうだと、眉間に皺が寄ってしまう。
「はい」
「……わかりました。ちなみに、ひまりさまは、クギキョウコという人に心当たりは?」
「ありません。父の友人や知人は知りませんが、私が知る限り、クギキョウコさんという人に出会ったことはないです」
 ひまりは首を左右に振って答える。

「わかりました。ひまり様の生年月日を教えてもらえますか?」
「必要なんですか?」
「はい。個人情報はお守りいたします」
「一九九八年十月十日です」
「ありがとうございます。では、何かわかり次第、また改めてリモートをお繋ぎいたします」
「はい。分かりました。よろしくお願いいたします」
 こうして、リモート通話が終わりを告げた。
 慶は盛大な溜息と共に、背もたれに身体を預けてだらける。
 白姫はそんな慶を見て、「お疲れ様」という労いの言葉を掛けながら微笑み、歩み寄った。


「なんとか依頼を受けられたけど……問題はここからやんね」
「何かアタリはついてるの?」
「アタリというか、気がかりなことが幾つかある」
 慶は先程リモート通話中に走り書きした文字達を、視線で追った。

「例えば?」
「一つ目は、お母さんとキョウコという名前が同じなこと。二つ目は、誘拐された日が、小島ひまりさんの誕生日だということ。三つ目は、二十歳まで人目のつかない場所で育てられ、学校や病院にも行っていなかったこと。しかもずっと言われてきて育った言葉達は、まるで洗脳や。四つ目は、小島ひまりさんのお父さんが酔っぱらったときに言う寝言。『キョウコすまない。俺なんだ……。俺が全てを奪った……すまない、キョウコ。』という言葉。その奪ったものって――」
 慶はノートの左側に書いた小島ひまりの情報と、右側に書いた碧海すみれの情報を照らし合せながら言った。


「なるほど。それで慶は、小島ひまりが碧海すみれかも知れない。そう感じたのね?」
「うん。せやけど、名前も生年月日もちゃう。それにお母さんの旧姓は内藤やったと思うねん。毎年、おばあちゃんから送られてくるお野菜達。その発送先の名前が、内藤はつ子。って書かれてたから」
「なるほど……。だけど、それらは慶の直感を捨てる理由になるのかしら? パパも言っていたじゃない。もう忘れちゃった?」

──貴方が感じた違和感を大切にしなさい。五感だけではなく、第六感、第七感と使えるようにしなさい。それと、自身が感じ取ったことを周りや左脳の言葉によって、直ぐに気のせいだと片付けないことです。今後は貴方の感覚が貴方の助けとなり、自身を救う力となるでしょうから。

 三年振りに外出した夜、智白に言われた言葉が鼓膜に響く。

「覚えてる」
「なら、どうする?」
 白姫は慶を試すように問いかける。
「私の直感が正しいか調べてみたい」
「どうやって調べる? 船長は慶で私はクルー。手伝うにしても、船長の指示なしでは動けないわ」
「……」
 慶は難しい顔をする。
「ん〜」
 しばし口元に拳を当てて唸っていた慶は、何かを閃いたのか、目を輝かせる。
「何か、思いついた?」
「うん。白姫、愛梨に変化したってゆってたよな?」
「うん」
「もう一度、愛梨に変化して碧海家に潜り込み、聞き込み調査してもらえることは可能?」
「響子さんの旧姓を?」
「うん。もしかしたら、私の勘違いやったかもしらへんし。例え、お母さんがクギキョウコやなかったとしても、一つの謎は解けたことになる」
「そうね。私に任せてちょうだい。お茶の子さいさいよ。さっそく、明日聞いてくるわね」
「うん! ありがとう、白姫」
 こうして慶は、白姫の力を借りて、依頼解決のために大きく動き出すのだった。