恭稲探偵事務所――。


 ふかふかしたクッションをベアロ調の深紅の生地が包んでいる三人掛けのアンティークソファの真ん中で一人、浅く腰掛けていた聖花は硬直していた。
 美しいハンドメイドの長方形の猫脚コーヒーデスクを挟み、同じ種類の一人掛けソファが置かれてはいるが、そこは空席になっている。
 白はいつものチェアに悠然と腰掛けていた。座っているだけにも関わらず、その圧倒的オーラに息がつまりそうだ。
 聖花は額から一筋の冷や汗を垂らす。
 何故この状況に陥っているのかと言えば、白姫の呪文によりいきなりココへ連れてこられたからだ。五感で実感できる恭稲探偵事務所の元へと。


「白さま~♡」
 白姫は白に臆することなく間延びしたように白を呼び、首元に抱き着く。
「なっ⁉」
 聖花はぎょっと目を向く。なんて恐れ多く命知らずなのだろうと、聖花は一人焦り、白姫の命を心配する。
「離れろ。鬱陶しい」
「白さま、つれな~い。折角お会い出来たのに。白さまは私に会いたくなかったと。私を使っておいて?」
「嗚呼」
「……酷い。私のことは使い捨てなの?」
 白姫は白から飛び退くように距離を取り、すすり泣く真似をした。
「人聞きの悪いことを言うな。そもそも、充分丁重に扱ってやっているはずだろう? 白姫は貴重なナイトだからな」
「わぁ~! いつのまにかナイトに昇格してるっ」
 白姫は歓喜の声を上げる。
「満足したなら大人しくしていろ。時期に帰ってくる」
 白はハウスとばかりに聖花の座っているソファに顎で示す。

「は~い。ぁ! ジュースある?」
 間延びした返事をする白姫は白にフランクに話す。聖花はその様子におろおろ冷や冷やと肝を冷やすしか出来ない。
「知らん。勝手に探せ」
「白さま、変わらないね」
「表面だけ掬って見ていると、いずれ痛い目にあうぞ」
 白は例の爪の裏腹で白姫の顎を救い、蠱惑な笑みを浮かべた。
「ッ!」
 白姫は耳を赤くさせ、息を飲む。
「フッ、変わらないのはそちらも同じだと思うがな」
 白は白姫をからかうように鼻で笑い、立ち上がった。
 脇下まで伸ばされた白髪がふわりと踊る。
 質のいいスタイリッシュなスリムスーツに身を包むスタイルはモデル顔負けだ。つま先が尖った上質な革靴は、手入れされていて隙がない。
 白はカツカツと優雅に靴の音を鳴らし、聖花に近づく。

「!」
 先程まで硬直していた聖花は勢いよく立ち上がり、直立不動となる。自分の言動一つ一つが白の逆鱗に触れる可能性があるのではないかと、冷や冷やしているのだろう。


「何をしている? 座れ」
 白は一人掛けソファに深く腰掛けて足を組み、聖花と向かい合う。
「は、はいッ」
 聖花はどもりながら返事をすると、ロボットのように着席した。
「……。誰も取って食おうとは思っていない。普通にしていろ」
 と、冷めた目で聖花を流し見る。
「は、はい……」
 聖花は力なく答えるがその顔色は悪い。
 机を挟んだ正面に、実物の恭稲白がいるのだ。生きた心地がしないのも無理はない。


 粉雪のようにキメ細い色白の肌には、シミや皺が一つもない。もちろん、かすり傷も同等だ。スッと鼻筋が通った綺麗な鼻。形の良い薄い唇は、どこか聖花をからかうように弧を描いている。
 右目の下にある黒子が印象的な切れ長のアーモンドアイからは色香が溢れ、バイオレットサファイアを彷彿とさせる瞳は、聖花の全てを見通すかのように輝いていた。
 その見目からして二十代後半ほどの青年にも思えるが、溢れ出る高貴さと威厳さ、白にまとわりつく独特の色香が年齢を推し量れない。
 白の周りに漂う甘さの中に苦みのある果実を彷彿とさせる優雅なネロリの香りと、知性の色香を漂わせるムスクの香り達が聖花の鼻腔を擽った。
 画面越しとは比べ物にならないほど美しく、人間には感じられぬ独特のオーラを放つ青年の声音に、見目に、香りに、聖花は酔ってしまいそうになる。
 だが白に圧倒されてばかりはいられない。
 聖花は自分が今置かれている状況を思い出し、自分を取り戻すように首を左右に振った。
「嗚呼。やはり、犬だったか」
 白はそんな聖花の行動を小馬鹿にするように鼻で笑う。
「い、犬じゃありません! それより、一体全体何が起きているんですか? あの鴉男はなんなんですか? “ハンコクヨウ”って何なんですか? 白姫さんは私のことを聖花先輩と呼び、白髪のマッシュヘアーの男性は私の名前を知っていた。私は二人共知らないのにっ。それに、銃口を向けた男性は誰なんですか⁉ もう意味が分かりませんッ」
 聖花は追いつかない情報処理が爆発したように早口で言った。
「そう焦るな。順を追って説明する。だが一つ確認したい」
「確認?」
 至って冷静な白の落ち着きが移ったように、聖花は少し落ち着きを取り戻す。


「碧海聖花。自身に秘められていた真実を全て知る覚悟は出来ているか?」
「覚悟?」
 聖花は不安気に問う。
「どんな真実も受け入れる覚悟だ。人は一度知りえたコトを完全に消すことは出来ない。例え忘れようとしたとしても、けして忘れられぬだろう。その真実の衝撃が強ければ強いほどにな」
「……私はすでに大きな事実を知りました。知らなかったときの私には二度と戻れないと感じています。すでに戻れないのならば、進むしかない。教えて下さい。真実を。今起こっている全ての出来事を」
「――」
 白は聖花の意志を確かめるように、バイオレットサファイアの瞳の奥に聖花を映す。


「……単刀直入に言う」
 その言葉に聖花は生唾を呑み込む。
「碧海聖花は人間ではない」
「……へ?」
 聖花は思いもしていない言葉に対し、鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔で素っ頓狂な声を上げる。
「間抜け面を晒すな。こちらは真剣に話している」
「ま、間抜け面って。そんな顔を晒した覚えはありません。意味不明で戸惑っているんです。大体、人間じゃないってどういうことなんですか? 人間じゃないって言いはるんなら、私があやかしやって言いはるんですか?」
 冷静さを失う聖花はつい方言が出てしまう。
「碧海聖花はあやかしでもない」
「ぁ、あやかしでもない……って、一体どういうことなんですか?」
 二人の話を聞いていた白姫はどこか苦し気な顔をして、智白の部屋に足を向ける。
「碧海聖花は人間でもあやかしでもない“半黒《はんこく》妖《よう》狐《こ》”だ」
「ハンコクヨウコ?」
 聖花は怪訝な顔で更なる説明を求める。
 カチャ――。
 唐突にドアノブを回す音が恭稲探偵事務所に響く。
「嗚呼。ようやく戻ってきたか」
 聖花は勢いよく出入り口の扉に視線を向けた。
 開かれた扉から現れたのは、智白だった。


「智白さん!」
「白姫はちゃんと連れてこられていたようですね」
「嗚呼」
 白は席を外し、仕事デスクの左隣りにある、赤いベアロ素材の背もたれが高貴な印象を与えるアンティークチェアに長い足を組んで腰掛けた。

 自ら話すつもりはないようだ。
 智白は先程まで白が着席していたソファに腰を下ろす。


「智白さん、今まで何処にいたんですか?」
 てっきり智白も恭稲探偵事務所に居ると思っていた聖花だが、蓋を開けて見れば白が一人居ただけだった。少しばかり耐久性のある智白がいれば、もっと息もしやすかっただろうに。と少々恨めし気に智白を見てしまう聖花だった。


「何処にって……貴方と同じ場所に居ましたけど?」
「ぇ?」
 意味が分からないとでも言いたげな聖花に、智白はスーツの内ポケットから銃を一丁取り出して見せる。


「ッ!」
 息を飲む聖花は思わず身構える。
「安心なさい。撃ちはしません。貴方も、碧海響子もね」
「⁉」
 聖花は智白の言葉に目を見開く。


「やっと気がついたようですね。見目ばかりでモノを見てばかりいると、いずれ大きな痛い目を見ますよ」
 呆れ口調で言った智白は首を竦め、銃をスーツの内ポケットに戻した。


「き、気をつけます」
 聖花は居た堪れないと身を縮こませる。


「気をつけられるものなら、是非そうして下さい。今後は目に見えないモノを見る力も大切になってきますから」
「どういうことですか?」
「時期に分かります」
「……」
 聖花は答えを与えてくれない智白を恨めし気に見る。が、すぐに意味の分からないことを気にしている場合ではないと気がつく。


「二人は? 無事なんですかッ⁉」
「えぇ。かすり傷一つなく。お二人は現在、碧海家の寝室のベッドで眠っています。但し、今日一日の記憶を消しています。よって、血縁について事実を知る者は私達だけとなっています。余計なことを言ってお二人を戸惑わせないようにして下さい」
 智白は前のめりで問うてくる聖花を落ち着かせるように答える。


「……はい」
 聖花は智白の言葉に少しばかり安堵したのか、姿勢を正す。


「お二人の安否は白樹が守っています。守里愛莉も同様です。今は、自身のことに意識を受けて下さい」
「……はい。先程、恭稲さんから聞きました。私は、ハンコクヨウコ、というモノらしいです」
「らしいです。とはえらく他人事ですね」
「言われた意味がよく分からず」
「あぁ、元々利口ではありませんしね」
 智白は納得したように頷く。
「……」
 聖花はじろりと智白を見る。


「視線で文句を言うくらいなら、口で示しなさい。言葉で表現しなさい。察してもらおうと思うことは止めることです。今後は自分の意志が大切になってきます」
「どういうことですか?」
「それは進むごとに理解してゆくでしょう。二度説明するのは面倒ですので、今から私が話す言葉をよく聞きなさい」
 智白は小首を傾げる聖花に答えを与えずに話を進める。

「はい」
 聖花は智白の話を深追いせず、今の自分にとって必要な情報を得るために頷いた。
「まず、私達の世界について話します」
「はい」
 膝の上で重ねた手を自身で握り合わせる聖花は気を取り直し、真剣な顔つきで智白の話に耳を傾ける。
「簡単に分けると、妖子は四つの属性があります。白妖弧《はくようこ》=白毛と紫系統の瞳が特徴です。私達はこれにあたります。白妖《はくよう》狐《こ》は純血を大切にしながら、半妖《はんよう》狐《こ》や人間にも寛容です。滅多なことでは半弧や人間を殺めません。純血妖狐と半妖狐については、また後《のち》ほどお話します」


「はい」
 聖花は頷く。今のところは話についていけているようだ。


「黒妖《こくよう》狐《こ》=黒毛と黒に近い赤色、または黒い瞳が特徴の妖子です。貴方を狙っている輩が黒妖狐になります。
 黒妖狐は純血主義で力で相手をねじ伏せます。人間を毛嫌いし、半妖弧などは論外です。それ故に、人間や半妖狐に対して寛容でいる白妖狐を恥だと、こちらを目の敵《かたき》にしては、何かと突っかかってくる面倒な輩です。


 黄妖≪こよう≫狐《こ》=俗に言うキタキツネに類否しており、黄金色の瞳が特徴的な妖子になります。これらは人間界で生息し、一般的なキタキツネと紛れていることがあります。黄妖狐はどこにも属さず、強いモノについていきます。基本は個々で活動していてまとまりがありません。


 赤妖《せきよう》狐《こ》=赤毛と赤い瞳が特徴的な妖子です。赤妖狐は黒妖狐側についています。
 今回、貴方を狙っていた鴉男は赤妖狐となります。毛先が赤髪だったことと、白姫に切り飛ばされた爪以外の爪は赤色でした。髪色や爪の色は何らかで変化させていたのでしょう。どんなに変装したとしても、余程のことをしなければその瞳と匂いが変わることはなく、赤妖狐のものです。


 あのモノは主に忠実なようでしたが、主犯者はあのモノのことを捨て駒程度にしか思っていないでしょう。悲惨なことです。……ここまで理解できていますか?」
 淀みなく説明していた智白は聖花の視線がオロオロと動き出したことに気がつき、そう確認した。


「な、なんとか」
 難しい授業を受けてヒーヒー言っている生徒のようになっている聖花は、苦笑いしながら頷いた。


「それは良かったです。ここからが本題ですので頭をフル回転させて下さい」
「は、はい。理解できるように心がけます」
 まだややこしくなるん! と内心焦る聖花は、話の腰を折る訳にもいかず、より真剣に話を聞きいることに務めた。
「四つに属する妖子の他には、半《はん》白妖《はくよう》狐《こ》、半黒妖《はんはくよう》狐《こ》、半黄妖《はんこよう》狐《こ》、半赤妖《はんせきよう》狐《こ》というモノ達が存在します」
「半黒妖狐!」
 やっと聞きなれた単語かつ、今最も知り得たい情報キーワードの登場に対し、少しばかりテンションを上げた聖花は声を上げる。
「えぇ。それが貴方です」
 静かに頷き応える智白の表情はいつもよりどこか硬い。


「半黒妖狐って一体何なんですか?」
「人間と妖狐の間に産まれたモノ達のことを示します。純血の妖狐でもなければ、人間でもない中立の立場にあるモノ達です」
「……ぇ?」
 聖花は少しの間を作り、問い返す。智白の言っている言葉が理解しがたいのだろう。
「妖弧の世界では、瞳の色の透明感が高ければ高いほど強い妖子であり、純血ということをさします。白様の瞳をご覧になれば理解できるでしょう」
 智白は聖花を誘導させるかのように、ほんの少し白に視線を移す。
 聖花は誘導されるままに、アンティークチェアーに腰掛けてチェス盤を流し見ていた白の瞳を盗み見る。伏し目がちになっていても、そのバイオレットサファイアのような瞳は濁りもなく輝いていた。


「わ、私の瞳は妖弧の特徴的な瞳の色に入らないと思います」
 聖花は一部の望みをかけるかのように、智白の言葉を跳ね返すものの、すぐに跳ね返される。
「それはそうでしょう。半妖弧の瞳は純血の妖子とは違います。純血種が持つ瞳の色と何らかの色が混じり合ったような色をしていますから。濃いオレンジ色と赤黒い色を混ぜたような瞳。例えるなら、スぺサルタイトガーネット色をしていますね」
「白樹の瞳で例えるなら、チャロアイトかしら」
 唐突に話に入ってきた白姫はティーカップに注がれた紅茶を聖花の前にそっと置いた。


「白姫、話しの邪魔をしないでもらえますか? 後、勝手に白樹の情報を与えないで下さい」
「いいじゃない別に。どうせすぐバレるわよ。パパも何か飲む?」
「ぱ、パパ~ッ⁉」
 驚愕する聖花は思わず大きな声を上げる。
「そう。私とこの人は親子。智白は私のパパよ」
「はぁ~」
 智白はペラペラ喋る娘に頭を抱え、嘆くように盛大な溜息をつく。
 その様子を横目で見ながらほくそ笑む白は、白姫が入れたレモンピールが配合されたアールグレイの紅茶を一口飲む。
「――」
 白は無言で紅茶が注がれたカップをそっとソーサーに置いた。お気に召さなかったようだ。


「ねぇ~ねぇ~パパ。何か飲むって聞いているじゃない」
 白姫は駄々っ子のように、智白の左肩を揺する。
「はいはい。じゃぁブラックコーヒーを入れてきて下さい。出来るだけ丁寧に」
「……パパ。私が邪魔なのね」
「言葉の糸を汲み取れる娘に成長してくれて何よりです」
「パパってほんっと冷たーい。ふ~んっだ! パパのコーヒーなんて激苦に入れてあげるわ」
 と拗ねる白姫は足早に智白の部屋に戻った。
 その背中を見送る智白は辟易したように溜息をつく。そんな二人の様子を見ていた聖花はぽかんとする。もはや情報処理が追い付いてくれないのだろう。


「失礼しました。話を続けます」
 しばし父親の顔に戻っていた智白はいつもの顔に戻し、聖花と向き直る。
「ぇ、ぁ、はい」
 驚きで脱力していた聖花はシャキッと気合いを入れなおし、また智白の話に耳を傾けた。
「私達の年齢ですが、人間年齢×三六年と計算して下さい。私であれば、五十三×三十六で千九百八歳となります。白様であれば、二十八×三十六で一〇〇八歳となります」
「ぇ、え、えぇ~⁉」
 聖花は思いも寄らぬ年齢に頭を抱え驚きを見せる。
「碧海聖花、五月蠅い」
「‼ す、すみませんッ!」
 白に注意されて慌てる聖花は、自身の左手でお口チャックをした。

「私達は百歳を超えたあたりから年々妖力が増し、出来ることが増えてゆきます。ただし、全ての妖子の戦闘力が上がるわけではありません。個が持つ能力が開花されていくというイメージです。妖力が強ければ強い者にほど、右腕となる妖子が傍にいることが多いです。また、妖弧は千歳になると天狐というものなり、莫大な妖力を得ます。それにより、私達はずっと人間として生活することが可能になります」
「ちょ、ちょっと待って下さいっ!」
 聖花は智白の話を止めるように、左掌を智白に見せる。
「理解できませんでしたか?」
 智白はどこか残念そうに問う。

「理解できないと言いますか……。その話しによるとですよ、千歳に満たない妖子は人間の姿として生活できないといことですよね?」
「えぇ」
「私は現在十八歳です。智白さんの話の通り、×三十六としても、六百四十八歳。まだ天狐というものにはなっていません」
「ほぉ。暗算がお得意なようですね。話が早くて助かります」
「どうして私は人間の姿で産まれ、人間として生きてこられたんですか?」
 聖花はこの質問に一部の望みをかけたが、それは一瞬にして粉砕される。


「それは貴方が半妖弧だからです。半妖弧は見た目年齢×十八歳となります。半妖弧は元より人間の姿で産まれ、一生人間の姿で過ごすことが出来ます。その代わり、妖子としての力は乏しいです。人間として並外れた身体能力か学の力に特化した力を持つか、なんらかの才能に恵まれています。人間の世界で言う“天才”や“神童”と言われる方々に多く見受けられているようです。ただ違うのは瞳の色。人間世界に紛れている半妖狐達は、その瞳を隠し生活をしています。そうしなければ、人間世界に馴染めないからです」
 聖花はその智白の言葉に、ズキリと心を痛める。自身の持つ瞳によって味わってきた、辛く悲しい経験が、走馬灯のように脳裏で甦ってくるのだろう。

「そしてもう一つ、半妖弧を隠さなければならない理由があります」
「隠さなければならない理由?」
 聖花は小首を傾げる。

「えぇ。半妖弧狩りに合わないためです」
「半妖弧狩り?」
 まるで魔女狩りのような物言いに聖花はゾッとする。
「半妖弧狩り。主に黒妖弧が赤妖狐を駒にして半妖弧を探し出し、その命を奪うこと。本人だけではなく、両親も然りです」
「⁉」
 聖花はギョッとする。
 殺害予告書が写真のように、脳裏で蘇る。


 ――碧 海 聖 花。 呪 わ れ し 血 を 持 つ 者 。何故、お前が生 き て い る。我 が 手 に 堕 ち て  朽 ち て ゆ け。


「呪われし血……」
 聖花は過去の事柄に心を痛ませる。
「それは黒妖狐が勝手に思い、勝手に言っているだけです。自分にいい影響を与えぬ一個人の意見など、自分に取り込まぬことです。本来、呪われた命や呪われた血など存在しません」
「だから、私は変なモノ達から狙われていたんですね」
 聖花は今まで自分の身に起きていたことへの合点がいったというように言った。また一つ、疑問に思っていたことへの真実を得た聖花である。


「現実の受け止めが早いですね」
「現実が現実ですし。私の本当の両親は私のせいでこの世界にいないんですか?」
「それはお答えできかねます」
「……私は、これからどうすればいいんですか? 智白さんのお話を聞く限り、私は命尽きるまで狙われ続けるということですよね? 半妖弧狩りは無くならないんですか?」
「そうなりますね。半妖弧狩りを無くすには、黒妖狐界を主とする妖子の世界が変容せねば不可能です」
「そんな……」
 聖花は落胆するように俯く。
「但し、貴方が助かる方法は存在します」
「どうすればいいんですか?」
 聖花は不安気に顔を上げる。


「一 貴方を死亡したことにして、私達の世界で共に暮らす。
 この場合、貴方は少なくとも三年間は恭稲探偵事務所に引き籠り、外の世界からシャットダウンすることとなります。仕事に関しては、裏稼業をしてもらうことになるでしょう。ただ、こうして生き延びたとしても、根本的な解決にはなりません。


 二 黒妖狐達が持つ考え方を変えさせること。但しこれはほぼ不可能に近い。黒妖狐の長が純血主義を易々覆すとは思えません。


 三 貴方が黒妖子の長となり、黒妖狐の世界を収め、新たな世界を作り出すこと。
 長期的に見ると、こちらが一番平穏な解決方法となります。ですが、半妖弧が長になる事例はありません。余程の覚悟と時間を要すことになるでしょう」
 指折りさせながら案を提示してくる智白の言葉を聞いていた聖花は、難しい顔で俯く。


「貴方はどうしたいですか? どうしてゆきたいですか? 今一番の望みはなんですか?」
「……私は、大切な人達を守りたいです。私のせいで傷ついて欲しくない。ましてや、命の危機に晒すなんて嫌です」
「だそうです、白様」
 智白は自分の役目は終わったとばかりに、白に声をかける。
「嗚呼。白姫を呼べ」
「はいは~い! お呼びですか白さまっ♡」
 白姫は待ってました! とばかりに智白の部屋から飛び出してくる。その手にはカップ&ソーサーを持っていた。


「話通りに」
「はーい」
 既に話が通っているのか、白姫は間延びした返事をする。
「白姫! しゃんと返事をなさい。失礼ですよ」
「堅物パパの言うことは知りませーん」
 白姫はベーっと舌を出し、「ぁ、ブラックコーヒーよ」と、持っていたものを智白に押し付けるようにして手渡した。
「あぁ、ありがとうございます」


「パパぁ。早く飲んで~! 今すぐ」
「……何を、企んでいるんですか?」
 娘の楽しそうな声と笑顔に危険を察知する智白は、娘の思惑を推し量るように、じとりと娘を見る。
「パパったらやーね。別に何も企んでないわ。ただ熱いうちに飲んで欲しいだけよ。そんなに疑り深いと人生生きにくいわよ?」
「そうですか。ならいいんですけどね」
 智白はどこか納得がいっていないように言いながらも、恐る恐るコーヒーを一口啜った。途端に、しかめっ面になる。
「……白姫、何か入れましたね?」
「やだ~パパったら。変な顔しちゃって。白姫の丸秘隠し味のスパイス達を入れただけじゃない」
 白姫はアイドルのごとく左目だけを閉じ、可愛らしくウインクをして見せる。
「スパイス達⁉ 一つだけじゃないんですかッ? 何を入れたか言いなさい」
「えぇ~。言いたくな~い。そもそも言わないと分からないだなんて、パパ味覚音痴じゃないの?」
 白姫は両掌を顔の両側でお手上げポーズのように上げ、大げさに首を竦めて見せる。
「何を失礼なことを。大体――」
 またか……とばかりに冷めた目で二人を見ていた白は、「開」と呟く。


『碧海聖花。こちらへ来い』
「⁉」
 唐突に始まった親子の小競り合いに呆気に取られる聖花の意識を取り戻すように、左耳に白の声が響く。
 勢いよく視線を白に向ければ、自身を呼び寄せるように、くいくいっと左人差し指だけを上げ下げしている白の姿が視界に映る。


『聞えなかったか?』
「‼」
 ビクリと肩を震わせる聖花は、慌てて白の元へと駆け寄った。
 その後ろでは、智白と白姫の小競り合いがヒートアップしていた。
「と、止めなくていいんですか?」
 聖花は智白達を指差しながら、恐る恐る白に問う。
「嗚呼。放っておけ。いつものことだ。あの二人にとっては、あれがコミュニケーションの一つになっているのだろう」
「……そ、そうですか」
 と、どこか複雑そうに言った聖花は、しばし二人を盗み見た後、顔を正面に向けて俯いた。至近距離で本物の白と真正面から視線を合わせる耐久性は、今の聖花にはなかった。

「碧海聖花。守りたい者達を守るために手段は選ばぬか?」
「その、手段によります。誰かを殺めるのは無理です」
 聖花は白の問いかけに戦々恐々となり、右手で作った握り拳を胸に当てる。


「殺めるのではない。殺められるのだ」
「それは、どういうことですか?」
 意味が分からないとばかりに問う。


「碧海聖花が、私の手によって、殺められるのだ」
 ほくそ笑む白はスーツの内ポケットからアンティーク調の銃を取り出し、聖花の額に銃口を向けた。
「ぇ?」
 唐突な殺人予告と命の危機に聖花の思考回路は止まり、身体が硬直する。
「瞬発力の欠片もないな」
 と、鼻で笑い、呆れ口調で言った白は拳銃をスーツの内ポケットにしまった。
「か、からかわないで下さいっ」
 振るえる声でそう言う聖花は、膝から崩れ落ちそうな足をどうにか踏ん張って立ち続ける。
「からかってなどいない」
「ぇ?」
 聖花の緩んだ身体がまた硬直する。


「碧海聖花は数日後、何者かの手によって殺害される」
「ど、どういうことですかッ? 分かるように説明して下さい」
 聖花は唐突な殺害予言に焦る。
「今から順を追って話す。話の腰を折らずに大人しく聞くくらいは出来るだろう?」
「分かりました。出来るだけ分かりやすくお願いします」
「嗚呼。猿でも分かるように話してやる。それでも分からなければ、猿以下だ」
 聖花は散々な物言いにムッとしながらも、話の腰を折ることなく、白の話を理解するため、真剣に耳を傾けた。


「 一 碧海聖花と周りの者達を守護するため、本日より二日間白姫が碧海家に同居する。

 二 二日後に碧海聖花は何者かの手によって殺害されたことにする。碧海聖花の死体を傀儡にし、碧海聖花は白姫と共にこの場所に戻ってこい。

 三 碧海聖花の儀埋葬が終了次第、契約終了するまでの期間、碧海聖花が大切に思う者達には守護者をつける。

 四 碧海聖花は恭稲探偵事務所に再び訪れた瞬間から三年間、恭稲探偵事務所から一歩も外へは出さない。
 ざっとこのような感じだ。理解できたか?」


「話は分かりましたが、理解しがたいです。どうして私を死亡したことにするんですか? そんなの、二人が悲しむ。愛莉だって……」
「なら、このままずっと大切な者達に命の危機を晒し続けるのか。もしくは、その者達の目の前で自身の正体が晒されることや、黒妖弧に八つ裂きにされた姿をさらすのか? どちらが酷になるか考えれば分かるはずだ。あちら側の手で本当に死別するか、こちら側の手で義死別するか――どちらに光を見出せる?」
 白は蠱惑的な笑みを浮かべ、小首を傾げて見せる。聞かなくとも聖花の答えは分かっているだろうに。
「こ、後者でお願いします。その後のことは、恭稲さんに従います。今の私が手に負える問題ではありません」
 聖花は覚悟するように、お腹の前で自身の手を自身で握りしめながらそう言った。
「賢明な選択だな。後はこちら側が動く。碧海聖花は今から白姫と共に元の世界へ戻れ」
「はい」
 聖花は腹を据えたように力強く頷いた。


「白姫、戯れは終わりだ」
「戯れじゃないもん。白姫は真剣だもん」
 白に呼ばれた白姫は勢いよく上半身だけで振り向き、拗ねた子供のように両頬を膨らます。
「そうか」
 白は溜息交じりに頷く。
「白さま、お話は終わったんですか?」
 白姫は可愛らしい笑顔を携えながら、こちらへ駆け寄ってくる。
「嗚呼」
「ならもう私の正体をバラしてもいいですよね?」
 白姫は可愛らしく小首を傾げながら問う。
「嗚呼、好きにしろ」
「待ってました♡」
 顔の前で重ね合わせた合掌の手を右頬に当てる白姫は、ご機嫌な笑顔を見せる。



「聖花せ~んぱいっ」
 白姫は何かを企んでいるような悪戯っ子のような表情で聖花と向き合う。
「?」
 聖花は小首を傾げ、少し身構える。
「聖花せ~んっぱい。そんなに怯えなくても、白姫は何もしませんよ? 白姫は聖花先輩の味方です。なので、今日から数日間、白姫を聖花先輩のお家に泊めてく~ださい」
 聖花はニコニコ笑顔で話す白姫の勢いに少々圧倒される。

「ぁ、あの、どうして私を先輩って仰るんですか? 失礼ながら私、貴方に出会ったのは今日が初めてだと思うのですが……。それに、家に泊めると言っても、二人になんと説明したらいいか……」
「聖花先輩、つれないです。私のことを忘れちゃったんですか?」
「え~っと……」
 聖花は視線をさ迷わせ、グルグルと思考を巡らせる。刹那見るだけでも記憶に刷り込まれそうな美少女だ。早々簡単に忘れるはずがない。はずがないと思うのだが、全くもって思い出せない。

「ふふふ」
 白姫は悪戯っ子のような笑い声を溢し、「汝、春の木漏れ日、桜木の海の幻想に溺れたし」と唱える。
「⁉」
 いきなりのことに驚く聖花は半歩後ずさり、白い靄で全身を隠す白姫の様子を静かに見守った。


「聖花先輩っ」
「ぇ?」
 耳馴染みのある声音が白い靄の中から響き、聖花は戸惑う。
 まつ毛にかかるギリギリの前髪の内巻きミディアムヘアー。小柄な体格に色白の肌。ビー玉のように丸い瞳。透明感のある肌。やや充血した白目が少し気になる少女は、人懐っこい笑顔を聖花に向ける。
 白い靄が晴れて姿を現したのは、聖花が良く知る少女だった――。

 *


「は、春香ちゃん⁉」
「はい! 二―A組。西条春香です」
 と見慣れた笑顔を見せる春香に対し、聖花はポカーンと間抜け面を晒す。衝撃で言葉が見つからない。
「驚いてる驚いてる~!」
 春香はしてやったり! と言う風に楽しそうな笑顔を見せる。


「白姫。からかうのはお止めなさい。元より容量の少ない者なんです」
「!」
 智白の失礼な物言いにハッと我に返った聖花は、ムッとした顔で智白を見る。
「私、大容量脳ですから」
 両手を腰に当てながらふんぞり返って言い返す聖花に対し、白はㇷッと鼻で笑い、春香は短く吹き出す。智白は拳を口元に当てて吹き出すのを耐え、「それは失礼」と言って謝った。が、これっぽっちも悪いとは思っていないだろう。
 聖花はそれぞれの反応に対し、ますますムッとした。
「聖花先輩は頭よいよい。良いですから、数日間、西条春香を聖花先輩の家に泊めて下さいね」
「ぁ、なるほど」
 春香の言葉に納得の声を溢す。白姫のままで泊まるとなれば、色々面倒だと感じていた聖花にとって、肩の荷が下りる話だった。

「じゃぁ、一旦帰りましょう」
 と言った春香は掌の指先を二時の方角に向けながら突き出し、何かを握るように七時の方向に
掌を下ろす。その手中には、いつの間にか例の薙刀が握られていた。
「ぇ? ど、どこから⁉」
 聖花は天井や地面を交互に見る。もちろん、どんなに見ても答えはない。答えを与えてくれるモノもいなかった。
「聖花先輩、手」
 春香は答えの代わりに、左掌を聖花に差し出した。
「ぁ、はい!」
 聖花は察し、春香の手を両手で握り返す。もはやどちらが先輩か分かったもんじゃない。
「じゃぁ、また数日後に~」
 と白と智白に笑顔を向けた春香は例の呪文を唱え、人間界に戻っていった。
 まるで嵐が去ったかのように、恭稲探偵事務所に静けさが訪れ、二人は小さく息を吐く。


「毎回騒がしくてすみません」
 白と向き直る智白は、申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、元気があって何よりだろう」
 白はそう言って椅子から立ち上がり、仕事スペースに戻る。
 外した席に残ったカップの中には、一滴も紅茶は残っていなかった――。



  †


「お帰り」
 家の鍵を持たぬ聖花が碧海家のインターホンを鳴らすと、白樹が二人を迎え入れた。
「まるで我が家みたいね」
 西条春香の姿をした白姫は、白樹を白い目で見る。
「そう言う訳じゃないけど……」
「ぇ、えっと……白樹さん?」
 戸惑う聖花は、そう呼んでもいいのかの確認も含めて問うように、白樹の名を呼んだ。
「うん、今はね。そう呼んで」
「今は?」
 白樹の返答に聖花は戸惑う。
「白樹! 聖花先輩を困惑させないで。それでなくても聖花先輩の頭は今、ポップコーン状態なんだから」
「ぽ、ポップコーン?」
 春香の言葉に思わず春香にツッコミを入れるように、勢いよく春香の顔を見る。
「姫も人のこと言えないと思うけど?」
「姫って呼ばないでって言っているじゃない。姫じゃなくて、白姫よ! それに私、白さまから“ナイト”として扱われているのよ」
 春香の姿をした白姫を胸の前で腕を組み、ドヤ顔を見せる。
「あぁ、気をつけるよ。ていうか、今は西条春香さんなんでしょ? なのに、白姫って呼んだほうが良いの?」
「……今は春香よ」
「もう姫で良くない? ややこしいよ」
「だ、黙らっしゃい。そんなにあだ名で呼びたいのなら、ナイトと呼んでちょうだい」
「……ぁ、あの~」
 完全に置いてけぼり状態の聖花は、恐る恐る二人の話の間に入るように声を上げた。

「お取込み中のところ申し訳ないのですが、二人は?」
「あぁ。ごめんね。二人なら寝室で眠っているよ」
 聖花は白樹の言葉を聞くと、靴を脱ぎドタバタと寝室へ向かった。
「二人は無事なの?」
 春香は地声で問う。そこには、先程までの明るさも若々しさも感じられなかった。
「もちろん。かすり傷一つついてない。ただ、よく眠っているよ」
「パパに記憶操作されちゃ仕方がないわね。少なくとも明日の朝までは目覚めないでしょう。まぁ、こちらとしては好都合だけれど」
 春香は冷静に話し、丁寧に靴を脱ぎ、「お邪魔します」と言って勝手知ったる様子で廊下を歩く。
「場所、分るの?」
「分かるわけないじゃない。案内して」
「ですよね~」
 微苦笑した白樹は春香の前を歩く。
 春香は大人しく白樹の後をついて行った。


「聖花先輩、大丈夫ですか?」
 ベッドの傍で女の子座りをして響子の手をそっと握っていた聖花に、白姫はそっと声をかける。
「!」
 肩を震わせた聖花が上半身で振り向けば、心配そうな顔で自身を見つめてくる白樹と春香の姿が視界に映る。
「大丈夫です。二人共、よく眠っています」
 聖花は春香と白樹を心配させぬように微笑みながら答える。だが、その笑顔はなんとも頼りない。
「取り合えず、お二人に怪我がなくて何よりです。多分、明日の朝には目が覚めるでしょうから、安心して下さい」
 と春香は聖花を安心させるように、穏やかな口調で言った。
「はい。……私はこれからどう動けばいいんですか?」
「まず、西条春香を数日間この家に泊めることにして下さい。出来うる限り、ご両親に変に思われないようにして下さい。私も努力します」
 春香は真剣な表情で冷静に説明してゆく。淡々と説明する様子がどこか智白と重なった。
「はい」
 ハッキリと返事をして頷く聖花の瞳は力強い。もう腹をくくっているのだろう。


「一月十八日の放課後、何処にも寄り道をせずに帰宅。白様が作った傀儡を白樹の手配でこちらの世界へ持ってきて、聖花先輩と傀儡を入れ替えます。本体の聖花先輩は、私と共に恭稲探偵事務所に飛びます。傀儡の聖花先輩はこれまでと同じ日常を過ごし、コンビニに向かう途中の裏路地で亡くなった態《てい》にして話を進めます。その後は、パパ達が動きます」
「分かりました。……あの、一つだけ、我儘を言ってもいいでしょうか?」
「なんですか? 私達で出来ることだったら良いのですが……」
 普段我儘など言わない聖花がみせる願いだ。しかもその我儘は心友や両親にではなく、自分に願われるモノ。出来ることならば叶えてやりたいと思う春香だった。


「今日、愛莉を泊めてもいいですか? 最後に同じ時間を過ごしたいんです。一秒でも長く」
「もちろんです。私がついています。聖花先輩も愛莉先輩達も私達がお守りします。なので今日は、夜更かし女子会ですよっ」
 内心でほっと安堵する春香は、アイドルのようなポーズで拳を顔の前で作り、朗らかな笑顔を溢す。
「ふふっ。明日ちゃんと起きれるやろか?」
 微苦笑を浮かべる聖花の瞳に涙が滲む。
「――」
 白樹は愛莉の守護を強くするため、何も言わずその場を後にした。
 その後、聖花は愛莉に連絡をしたのち、愛莉主導でたこ焼きパーティーを楽しむのだった。