「陽介は、皐月の事もちゃんと好きだよ」
微笑む諒に、皐月は思い切り顔をしかめる。
「『も』、ね」
「あいつの好きは、万物平等だよ。そこで落ち込む必要はないさ」
諒の骨ばった手が、優しく皐月の頭をなでた。慰められていることを感じて、ようやく皐月は口元を緩める。
「愚痴ってごめんね。あーあ。なんで諒にはあっさりとバレてるのに、肝心の陽介は気づかないのかなあ」
「それは……ほら。俺は敏感だから、わずかな変化にも気づくことができるんだよ」
「誰が敏感? ふふ。でも、ありがと、諒」
「あとでちゃんと、陽介に謝っておけよ」
「うん。ねえ、諒」
「ん?」
皐月は、しっかりと体を起こして前を向いた。
「私、陽介にちゃんと告白する」
諒が、こころもち皐月から離れて姿勢を正す。
「そっか」
「このまま陽介が藍ちゃんとつき合っちゃったら、きっと私後悔するもん。たとえそうなったとしても、陽介には私の本当の気持ちを知っていてほしい」
「そうだな」
しばらく黙っていた皐月は、ちらりと不安げな顔で諒を見た。
「フラれたら、私の事放っておいてね。多分、しばらくは立ち直れないだろうから」
「放っておいていいのか?」
「うん。諒にまで迷惑かけたくない」
諒は、笑みを作った。
「かけろよ、迷惑。友達だろ?」
「友達だからよ」
「友達だから、一緒に泣いてやるよ」
「諒も泣くの?」
「そりゃもう、おいおいと。皐月より派手に泣いてやる」
「それじゃ、私が泣けないじゃない」
そう言って笑うと、皐月は伸びをしながら立ち上がった。大きく息を吐くと、いつもの笑顔に戻って諒を振り返る。
「自販いこ? さぼりにつき合わせちゃったお礼に、ジュースでもおごるわ」
「やりい。じゃ、俺コーラ」
「おっけ。あ、私たち上履きだ。先生にみつからないようにしないと」
諒も立ち上がると、先ほどより少しばかり足取りの軽くなった皐月のあとを、ゆっくりとついて行った。
陽介は、部室を出て鍵を閉める。他には誰もいない。
6時間目が終わると、皐月は諒と一緒に昼休みのことを謝りに来た。少しイライラしていたから、という皐月の言葉を、陽介は素直に受け入れた。
(そういう時もあるよな)
陽介がそう言って笑うと皐月も笑って、今日はかけもちしているバスケ部(どちらかというとそちらが主なのだが)に行ってくるといって、諒とクラブ棟へと走っていった。
「……だよ!」
靴を履き替えて昇降口を出た陽介の耳に、苛立ったような怒鳴り声が聞こえた。あたりを見回すと、自転車置き場のあたりで誰かが言い争っているようだ。ほとんどのクラブが終わった時間で、人の気配はほとんどない。
「俺の事好きって言ったろうが! 嘘だったのかよ!」
すわ喧嘩か、と緊張したが、どうやら喧嘩は喧嘩でも痴話げんからしい。これは聞いたらまずい、と思った陽介は急いでその場を離れようとして、次に聞こえた声に足を止めた。
「う、嘘じゃないもん!」
「だったらなんで大沢と映画に行く約束してんだよ!」
そ、と様子をうかがうと、案の定、その声の主は藍だった。片手を握られて逃げるに逃げられないと言った格好だ。
(怒鳴っている方は……確か三組の近藤って言ったっけ?)
同じクラスではないが、名前くらいは知っている。
「あの映画見たいって話をしてたら武史君も行きたいって言ったの」
「だからなんで俺という彼氏がいるのに別の男と行こうとするんだよ!」
「彼氏? 勝君が?」
「そうだよ! お前とつきあってんのは俺だろ?! いい加減なことすんなよ!」
言うなり、近藤は藍の手を捻るように引き寄せた。
「痛っ! ……離してぇ……」
「やめろよ」
さすがに手が出てるのに見て見ぬふりはできず、陽介は、後ろから声をかけた。
「宇津木? なんだよ、邪魔すんな」
「女の子に乱暴してるのを見過ごすわけにはいかないだろ」
「こいつはいいんだよ、俺のなんだから」
「そうなのか? 藍」
藍に視線を向けた陽介は、ぎょっとする。
藍は、ぽろぽろと子供みたいに泣いていた。陽介の問いに、青ざめた顔で首を振る。
「わ、わかんない……」
「って言ってるけど? どういうことだ、近藤」
藍の泣き顔を見て、陽介の声が低くなる。近藤は、そんな陽介から目を放して藍を睨みつける。
「はあっ?! ふざけんなよ、俺のことからかってたのか?!」
「そ、そんなこと、しないもん。勝君、怖いよお」
震えながら、藍は両耳をふさぐとその場にしゃがみ込んでしまった。
舌打ちをして、近藤は藍に背を向けた。
「もういい! お前なんか、こっちから願い下げだ! ブス!」
そうして、自分の自転車を乱暴に引き出すと行ってしまった。陽介はその姿を見送ることなく、藍の隣へ座り込む。
「ひどいこと言うな、あいつ。大丈夫か? 藍」
「陽介君……」
しゃくりあげる藍は、涙目で陽介を見上げる。
「怖かったよう……」
「何があったんだ?」
「わ、わかんない……勝君が急に怒りだして……、ど、怒鳴るから……怖くて……」
すべてを言えずに、藍は座り込んだまま陽介にしがみついて泣き始めた。陽介はその背をあやすようにぽんぽんと叩き続ける。
しばらく待っていると、ようやく藍は泣き止んだ。
「落ち着いたか?」
しばらく迷っていた藍が、こくりと頷く。
「うん。ありがと」
ごしごしと涙を拭く藍を、陽介は、じ、と見つめる。
「ごめん。ちょっと聞こえちゃったんだけどさ。さっきの……」
「何をしている」
ふいに低い声が聞こえて、陽介は顔をあげた。校舎から出てきたのは、木暮だ。
「とっくに下校時間は」
言いながら振り向いた藍に視線を向けた木暮は、その目が真っ赤になっているのに気づいてまなじりを吊り上げる。
「彼女に何をした」
足早に近づいて来る木暮がどう誤解したか陽介にはわからなかったが、とてもまずい状況になっていることだけは瞬時に理解した。あわてて立ち上がる。
「ち、違います! 俺は何もしてません!」
「女性を泣かすとは、お前、それ相応の覚悟はできているんだろうな」
目の座った木暮に、陽介に手を引かれて立ち上がった藍が口を挟む。
「本当だよ。陽介君は、助けてくれただけ。これは、違うの」
「こんな奴かばわなくても」
「信じて下さいよ! 何もしてませんってば!」
うさんくさげな視線を向けながら、木暮はそっと藍の腕をとる。
「具合悪そうだな。とりあえず保健室に行こうか」
「あ、うん。じゃあ、陽介君、ありがと。また明日」
「藍……」
「君も、用がないながら早く帰りたまえ」
陽介が声を掛けようとするが、木暮はにべもない言葉をかけると藍の手を引いて校舎へと向かう。
ちらちらとこっちを見ながら小さく藍が手を振った。釈然としない思いで、陽介もそれに手を振り返す。
(先生が一緒なら大丈夫だろうけど……なんだよ、あの二人)
何か言いたげな藍の視線が、陽介の瞳の奥に残った。
☆
「またそんな恰好で。ちゃんと暖かい支度して来いって言ったじゃないか」
その夜も薄いワンピース姿で現れた藍に、陽介は余分に持ってきたコートをかけてやる。
「寒くない」
「そんなわけないだろう。それで風邪なんかひいたら、来週の修学旅行、行けなくなっちゃうぞ」
「風邪なんてひかない」
あいかわらず昼間と違う抑揚のない声にも、陽介は慣れてしまった。
藍とここで星を見るようになって、毎度繰り返されるやり取りだ。藍は何度言っても薄いワンピース姿で現れる。そんな藍のために陽介は、余分なコートを1枚持ってくるのが常になってしまった。望遠鏡と合わせたら大荷物だ。
放課後の出来事で心配していたが、いつも通りの藍の様子に、とりあえず陽介はほっとする。
二人は並んで、あずまやのベンチに腰掛けた。
陽介は紙コップに温かいコーヒーをついで藍に渡しながら言った。
「修学旅行といえば、二日目の夜、天文部で流星群の観測会をやるんだ」
数日前に観測会の申請書を出して、天文部は許可をもらっていた。
「流星群?」
「そう。藍も一緒に行ってみないか?」
藍は、しばらく黙ってから言った。
「考えとく」
それきり、二人の間に沈黙がおちる。