こうはしていられないと、休み時間の途中であるにも関わらず慌てて教室へと戻る。自分の席に着いてそっと隣の矢田君の表情を窺ってみると、いつもは無い険しい皺が眉間に刻まれていた。

「矢田、大丈夫か?」

 向こう側に座る矢田君の友達が心配そうに声を掛けて、「おまえの夢にも出た? 帆宮(ほみや)さん」と尋ねると、矢田君は「うん」と、小さく頷いた。

「おまえ、誰よりも落ち込んでたもんな。帆宮さんが死んだ時」
「…………」

 無言でこちらに目をやる矢田君と目が合った——のは、私から見た景色で、実際には違う。だって私はみんなから見えない。私は三年生になったばかりの四月に、車に轢かれて死んでしまったのだから。
 帆宮世莉(ほみやせり)。それが私の名前だった。
 最後の高校生活。矢田君の隣の席。なんて幸せなんだろうと未来への期待に胸を膨らませていた矢先に起こった、不慮の事故。死んでも死にきれなかったのか、車に轢かれた所までは覚えているけれど、一度目の前が暗くなった次の瞬間、気がつくと私は教室の自分の席に座っていた。もういらないはずの私の分の席はクラスの意向で残して貰えたらしく、そのおかげで私は居場所がなくなる事も無く、今もこの席に座る事が出来ている。

「……夢に出るなんて帆宮さん、何か言いたい事があるのかな」
「こんなもうすぐ卒業の最後の時期に? まさか俺らだけ卒業すんなって、恨み言言いに出てるって事?」

 気づけば年も明けて卒業の日がいよいよ迫っていた。瞬きの間に時が過ぎていくのも幽霊になったからだと今なら分かる。一年など本当に一瞬の事だった。全部彼の言う通りだった。今の私はもう彼と同じ幽霊で、こんな風に死んだ後もみんなに迷惑をかけているなんて、そんなのれっきとした悪霊じゃないかと思った。そんなものに、私はなってしまった。

「違う、帆宮さんはそんな人じゃない」

 けれどそこに響いたのは、矢田君の声。きっぱりと言い切る彼に、私と友達の彼はハッとして矢田君に意識を集める。

「俺の知ってる帆宮さんならきっと、そんな風には言わないし思わない。きっと一緒に卒業したいって言ってくれる」
「……同じ意味じゃね?」
「受け取り方が違うだろ。そんな風に気持ちを押し付けて恨みがましく思うような人じゃないよ。だって帆宮さんだよ?」
「……おまえ、帆宮さんの事好きだったもんな」
「……うん」

 そしてゆっくり私の方へ向き直ると、一言。

「また会いたい」

 ——その瞳に私の姿は写っていないはずなのに、じっと私の目を見つめる様に矢田君は告げた。ここに私が居るかの様に、私へと思いを馳せて、私に向かってそう、言ってくれた。
 その瞬間、ぶわっと熱いものが込み上げて来て、それは私の涙に変わって地面に落ちる。誰にも見える事のない、透明の涙だった。

「帆宮さんともう一度話がしたかった。この気持ちだけが心残りで……でももう会えないから、伝える事も出来ない」
「私もっ、私も矢田君が好きだよ! また会って伝えられたら……良かったのに」

 しかしもう、そんな日は来ないのだと知っている。もう、私には無い未来の話。

「……叶えてあげようか?」
「!」

 急に掛けられた声に驚いて振り返ると、すぐ後ろに桜の樹の下の彼が立っていた。ここは教室なはず
なのに。

「な、なんでここに?」
「敷地内ならそれなりに動けるって言ったじゃない。気を抜くとすぐに戻されちゃうけど」

 それよりさ、と、私の隣を指さす彼。

「この人が矢田君?」
「うん……」
「前からずっと言ってた好きな人?」
「……そうだけど……」

 ふーんと、上から下まで品定めでもする様に彼は矢田君を眺めている。次は何をやらかすのだろうとちょっと不安になって声を掛けようとした、その時だ。

「分かった。矢田君に会わせてあげる」
「え? で、出来るの?」
「出来るよ。ここじゃない、夢の中で」
「夢の中……?」

 それは私の悪夢をクラス中のみんなに見せたのと同じ方法という事だろうか。
 にぃっと悪戯っ子の様な笑みを浮かべると、彼はすっと伸ばしてきたその手で私の視界を遮る。

「悔いがあったら卒業出来ないでしょ?」

 不安に思いながらもその声に耳を傾けると、私は意識が遠くなっていくのを感じて——、

「最後に全部、話しておいで」

 ——プツリと、そこで意識が途切れた。