——あれは出会ったばかりの一年生の頃。

『学校から出られないんだよね』

 ぽつりと彼が教えてくれた。気づけばここに居て、このベンチから校舎を眺めている事。学校の敷地内ですらなかなか自由には出来ず、少しでも気を抜くとこのベンチに戻されてしまう事。

『でもなんでここに? いつから居るの?』
『覚えてないんだよな……』
『成仏、っていうの? 出来ないの?』
『出来るならとっくにやってるんだよな……』

 ぼんやりと遠くを見つめて彼は言う。幽霊というものは未練があるからこの世に残ってしまうらしいけれど、自分の未練がなんだったのか、そんな事も忘れてしまうくらいの長い期間、彼はここに居るということなのだろうか。たった一人でこの場所から動けずに、じっと校舎を眺めて楽しそうな生徒達の声を聞いている……そんなのってあんまりだと思った。あまりにも孤独である。私には絶対に無理だ。

『……今までずっと、寂しかっただろうね』
『うん。でももう平気だよ、君が居るから』
『でも私だって卒業したら居なくなるし……』
『それまでは一緒に居てくれるでしょ?』
『……うん。私でよければ』

 綺麗で儚い、可哀想で可愛い、なぜか私には見えた、私にしか見えない彼。その時の私が一緒に居る約束をするのは当然の事だった。私で良ければ力になりたい、せっかく出会えたのだからと。その約束が形を変える事なく今も続いていて、私をここに縫い留めているのだとしても——。

 懐かしい思い出を振り返りながら教室へと戻ると、いつも通りに自分の席に着く。けれど、誰一人として私の事を気にしない。
 そのまま授業が始まり少し経つと、隣の席からコロコロと消しゴムが足元に転がって来た事に気がついて、つい、落とし主である隣の矢田君に声を掛けた。

「消しゴム落ちたよ」
「…………」

 矢田君はこちらに目をやる事も無く、私は彼が足元の消しゴムを拾うその後頭部を見つめる。目が合わないかなと心の中で願ったものの、当然そんな事は起きなくて、やるせない気持ちで一杯になった。
 私は、矢田君の事が好きだった。彼は真面目で丁寧で優しい人。どんなに小さな私の声も、どんなに小さな私の変化も、全部彼は気付いてくれた。元々そういう事が出来る人ってだけできっと私にだけじゃないんだろうけど、高校生活の三年間、ずっと同じクラスの彼と最後の一年を一緒に過ごせる事は、私にとって幸せな奇跡でいて、最後のチャンスでもあった。
 それなのに、私はそのチャンスを活かす事も出来ずに、気づけば誰とも目の合わないひとりぼっちの教室に居る。まさかこんな事になるなんて、ついこの間までの私には思いもしない事だった。
 こんなに寂しくて悲しい事は無い。始めの頃は一生懸命話し掛けてみたりもしたけれど、結局全てが無駄に終わり、ついには仕方ないのだと現実を受け入れるしかなかった。寂しいし、悲しいけれど、それでも私の高校生活は今もまだ続いている。
 続いているのなら、きちんとやり遂げなければならない。そんな使命感が、毎日私をひとりぼっちの教室へと向かわせた。
 今では私が私としていられるのは桜の樹の下の彼と二人っきりの時間を過ごす時だけ。
 私の恋も、友情も、今となれば青春だと分かる全てをもう諦めるしかない……でも、だからこそ次こそはと、彼氏を作りたいなんて願望を糧にして、上手くいかなかった悲しみを振り切る為に前を向こうとしていた。本当はもっとたくさんみんなの中でやりたい事があったはずだけど、だって仕方ない。もうみんなと私が関わる事なんて無いのだから。
 卒業まで……いや、卒業してからその先もずっと。ずっともう、みんなとはもう、出会えない。
 
「……悲しい」
「なんで?」
「私の席がずっと用意されてるのに、私が居ても誰も気にしてくれないから」

 その場に居れば居るほどに、私の心が思い出に蝕まれていくのを感じていた。思い出から引き出されるのは後悔で、結局今の孤独が浮き彫りになる。ひとりぼっちだった君の気持ちが少し分かるよと彼に告げると、ベンチの隣に座る彼は微妙な顔をした。

「でも、君はみんなと卒業出来るじゃない」
「……出来るかなぁ」
「出来るよ。早く卒業したいんでしょ?」
「それはそう。早く次の人生を歩みたい。でも最近はこのまま今の時間が終わるのが嫌だと思う気持ちもある……あんなに仲良かったのに、誰の目にも止まる事なく、このまま終わってしまうのかなって」
「俺が居るじゃない」
「君が居るから卒業まで引き延ばす事になったんでしょ? 余計な事知って考え過ぎてこんな気持ちが生まれちゃったんじゃん!」
「……なるほどなー」