ーー校舎内をぐるぐると駆け周って、ようやく保健室に到着。
「失礼しまぁす」と遠慮がちに前方扉を引いた。
目を左右させて室内の様子を伺ったが、養護教諭は不在中のよう。
二つあるベッドの一つだけ閉まってるクリーム色のカーテン。
中に入って人差し指と中指を使ってカーテンを開くと、暫く教室に戻って来なかった滝原くんの姿があった。
長いまつ毛に閉ざされている瞳。
スースーと届く寝息。
掛け布団から左腕は出ているけど、反対側のケガの様子は伺えない。
私を救った時に出来たケガの心配と。
喉から手が出るほど心を揺るがす血の匂い。
両極端な気持ちに心の葛藤が始まった。
吸血したい。
でも、吸血が貧血の身体にどれだけの負担がかかるかわからない。
もしかしたら考え過ぎかもしれないし、一度吸血してみないとその程度がわからないな。
彼の体調は心配だけど、自分のミッションも大事。
何もしなければ0のまま。
だから、彼が眠っているチャンスに賭けた。
彼に顔をそっと近づけて左の首筋に唇を当てて歯を立ててからひと吸いする。
ドックン、ドックンと全身に響く鼓動に包まれながら。
「……っつつ……ぢゅるちゅるちゅる、……んっぱぁぁ!!」
生まれて初めての吸血完了。
どうしよう。
美味しくてヤミツキになる。
もっといっぱい吸いたいけど、まだ吸う力が弱いし、これ以上吸っていいのかわからない。
でも、イメージしていたものよりも味が薄いような……。
吸血を終えて顔を5センチほど離した途端、滝原くんは突然パチっと目を開けた。
すると、ボッと火がついたかのように赤面する。
「えっ! 佐川さん……? いま俺に何してっ……」
声をかけられるまで吸血に酔いしれてたけど、彼の声が間近で届いた途端、ビックリして背後に飛び跳ねた。
どどど、どうしよう……。
たった3秒程度の甘噛みだったけど、吸血の痛みで目が覚めちゃったかな。
「(ギクッ)……なっ、何でもないです! 顔を近づけて、ごごご……ごめんなさいっ!!」
「…………(首にキスされていた夢が一瞬現実かと思った)」
火が吹くほど赤面状態で後ろを向いたけど、心臓が飛び出しそうなほど胸がドキンドキンと鳴り響いている。
ヴァンパイアとしては正解だったかもしれないけど、人間としては失格だもんね。
こっそり吸血して都合が悪くなったら誤魔化して。
私ったらヒドイ女。
トホホ……。
「あっ、あの……。私のせいで滝原くんが怪我をしたから心配で様子を見に来て……」
これが本来の目的だったのに、残念ながら血の匂いには勝てなかった。
だって、ヨダレが出るくらい美味しそうな香りだったから。
「心配かけてごめん。授業がサッカーだったからサボってた」
「そうだったんだ……。さっきはボールが当たりそうなところを助けてくれてありがとう。滝原くんにもう4回も助けてもらっちゃったね」
「そうだっけ?」
「なんか、そーゆーの記憶に残る。滝原くんからしたら小さな事かもしれないけど、私にとっては嫌な思いでもいい思い出に生まれ変わる瞬間なんだ。……捨て子だった分ね」
「えっ……」
「あっ、いまは養子として迎え入れてもらってるから心配しないで……。でも、そのせいもあって人から気にかけてもらう機会が人一倍少なかったから、滝原くんが気にかけてくれた事が嬉しくてありがとうって言いたくなって」
シナリオから外れた話はNGかもしれないけど、恩人に仮面をつけたまま接するのが少し窮屈になっていた。
すると……。
「実は俺も両親が海外勤務で中学ん時から一人暮らし。困ってる人に手を差し伸べたくなるのは、きっと自分がそうして欲しいから。今までは助けを求める人がいなかったから、辛くなったら空を見上げてた。広い空を見ていれば自分の悩みなんてちっぽけに思えるから」
私は彼の状況とよく似ていた。
1人ぼっちが寂しくて、幼い頃は空を見る機会が多かった。
空を見上げれば、両親が見守っていてくれると思って寂しさを紛らわす事が出来たから。
でも、今は心も身体も大人に近付いて、それまで出来なかった事が出来るようになっている。
だから、私は……。
「じゃあ、これからは空を見上げなくてもいいように、いっぱい話を聞いてあげるね!」
何度も助けてくれたお礼として力になる事を決めた。
かと言って、吸血を諦めた訳じゃない。
彼を支えながらやるべき事をやっていく。
そうすれば、未練なくヴァンパイア界に戻れると思ったから。
すると、彼が何かを言おうとしたその時、廊下に女子生徒の足音と笑い声が聞こえた。
そしたら、カッコつけてた自分が急に恥ずかしくなって、「先に行くね」と伝えて廊下へ出て行った。
保健室を離れてからヴァスピスを確認すると、ハートの石が一つ赤く点灯していた。
これをあと二回。
人間界に来て6日目に訪れた奇跡。
初めての吸血はあっさり成功したから、この時はミッションを甘く考えていた。