「本当にいいのね?」
 闇の中で声が響く。その声に少女は力強く頷いた。
「はい! 私も、あの人のためになにかしたいんです。ううん。あの人が大切に思っている貴方のためにも。私で力になれることがあるのなら、力になりたい」
「……ありがとう。必ず戻ってくるから。貴方を消したりなんてしないわ」
「はい。待っています」
 少女はゆっくりと瞼を閉じ、口元に穏やかな弧を描く。闇の中に現れた靄が少女を覆い隠す。
靄が全て消えた頃には、少女の姿はどこにもいなかった。そこにあるのは奈落の底のような闇――。




  †


♪カンカンカンカーン♪
 警告音が響き、幾人かの利用者は時が過ぎ去るのを待つ。
 丸みのある軽い前髪に内巻きボブヘアーをした少女、藤崎(ふじさき)(かなで)は、感情を失ったピエロのようにふらふらと踏切に近づき、踏切が落ちきる寸前を潜りきってしまう。
 その場にいた者達が右往左往するなか、一人の少年が奏の左手首を掴む。
「⁉」
 前しか見ていなかった奏が初めて振り向く。その表情は驚きと恐怖の色が滲んでいた。
 意思が宿っていなかった奏の焦げ茶色の瞳に、涼しい目元が印象的な少年の姿が映る。
 少年は何も言わず、奏を踏切外に引きずり出す。
「な、なにす――ッ」
「どうせ捨てるつもりの命なら、その命、欲しい奴にやれば?」
 奏の言葉を遮断するかのようにそう放つ少年の声音には、苛立ちと冷徹さが含まれていた。
「?」
 奏は一瞬言葉の意味が分からず、視線をさ迷わせる。
「あんたがどうしようと俺の知ったことじゃない。でも命を落とすつもりなら他でやれ」
 あどけなさの残る少年の声には似つかわしくない冷徹な声が響く。
「ど、どうして見も知らぬ貴方にそんなことを言われなきゃいけないんですか?」
 当惑する奏は震えた声で問う。
「もう、誰かが死ぬのを見たくないから」
「?」
 奏は意味を求めるように少年を見る。
 さも面倒臭そうに溜息を溢す少年は、奏から視線を逸らし、淡々と話を続ける。
「……俺の大切な人も死んだよ。でも、あんたみたいな命の落し方じゃない。自分の命と最後まで向き合って、最後の最後まで生きるんだ! って必死にもがいたはずだ。だけど旅立ってしまった」
 少年の話に奏は愕然とする。
「今この瞬間も必死にもがき苦しんで、自分の命と向き合って生きようとしている奴が星の数ほどいるんだ。だから、あんたみたいなやつを見ていると、腹が立つ」
 少年は奏を軽蔑する目で睨み見る。
 奏は少年の言葉と視線に目を見開き、自分を恥じるように耳を赤くさせた。居た堪れないのか、少年から視線を逸らす。
「で、でも! こ、心が死んで生きていけなくなることだって、あるんですッ」
 奏は振り絞るように言い返す。白のマリンセーラー服を握り締める指先は震えていた。
「ふ~ん」
 奏のせーいっぱいの反論に対し、少年はさも興味のない相槌を打つ。
「ふ、ふ~ん。って……」
 奏はその反応に対して唇を震わせた。
「お前の心が死んだのってさ、イジメが原因? それとも家庭環境?」
 少年は鋭利な洞察力を使って問いかけるが、奏は複雑そうな顔を返すしか出来ない。
「まぁ、俺にとってはどうでもいいけどさ」
 話を聞くことを諦め放棄したかのように、少年は深く息を吐く。
 二人の間に沈黙が流れる。
 その沈黙は少年の言葉によって破られた。
「心は何千回死のうと、何千回も息を吹き返すものだろ? だけど、命はたった一回死んだだけで、もう二度と生き返りはしない。その重みの違いをもっと感じたほうがいいんじゃねーの。お前の心だって……俺の心だってさ、いまは死んでるかもしれねーけど、いつかはまた息を吹き返す、はずなんだよ。だからさ、お互いもっと、自分を信じて生きていければいいな」
 どこか自分に言い聞かすかのようにそう告げた少年は、儚げな笑みを浮かべ、去ってゆく。
 少年の言葉に奏は何も言えず、ただ息を飲むしか出来なかった。
 奏は去り行く少年の背中をいつまでも眺め続けた。まるで、少年の言葉を咀嚼して、自分の中へと取り組むかのように――。