二ヵ月後――。

 退院して肌もほぼ元に戻った僕は、西なぎさへ訪れていた。


「美月さん、来ましたよ」
 平日の深夜一時。浜辺に人はいない。もちろん、美月さんもいない。
 美月さんとの最後の別れから意識を手放した僕を救ってくれたのは、事の真相を見守っていた中条さんだった。
 中条さんは美月さんが海月であることと、寿命のことを知っていたようだ。


――中条さん、美月さんの秘密を知っていたんですか?
 という僕の言葉を、美月さんの正体や寿命のことを指していると勘違いをした中条さんに対し、僕は美月さんの肌に触れたら炎症起こすことを話していると勘違いしていた。やはり言語を上手く扱ってゆくのは難しい。
 meeというモデルは電撃引退という形となり、モデルや広告業界が荒れたようだ。だがその荒れた波も今では落ち着き始めていた。
 世間はいつだって足早に過ぎ去ってゆく。meeの存在も、あと数年も経てば、深く関わり合いを持った者にしか、心や記憶に残らないのかもしれない。
 多くの大衆が忘れ去ってしまっても、僕はmeeというモデルの存在を、天海美月という女性を、その正体が海月であったことを、一生忘れることはないだろう。忘れられるはずがないのだ。
 美月さんと過ごしたあの優しい時間を。美月さんの笑顔を。美月さんの儚くて可愛らしい声を。あの全身を走る痛みを――。
 初恋は儚い。初恋は苦い。初恋は甘酸っぱい。色々な表現を聞いたことがあるが、僕の初恋は……儚い海の魔法と激痛――と言ったところだろうか。


「一生、忘れられない初恋だな」
 僕は微苦笑を浮かべる。
 僕に今までの日常が戻ってくる。だが今まで通りじゃないものがある。
 肌に残る赤みは消えてしまうが、美月さんは僕に”手話”というモノを残してくれた。
 僕はこれからもっともっと手話を勉強し、手話通訳士の道を歩むことにした。兄さんにそれを話したら、凄く応援してくれた。
 兄さんは兄さんで独立をして、自分の店をオープンさせるようだ。
 自分のお店に対し、目をキラキラ輝かせて話していた兄さんを見て、これが兄さんの天職なのだと感じた。ある種兄さんは、天職に導かれるためのレールを歩んでいたのかもしれない。
 僕も同じ。悲しみと共に新たなステージへと、天職へと導かれているように思う。


「美月さん、ありがとう」
 僕の声が美月さんに届いていることを祈りながら、そっと呟く。そんな僕に答えてくれるかのように、波音が響いた。


 その後、僕はしばしのあいだ、穏やかな波音を立てる海を、静かに眺め続けるのだった――。