(トラウマともいえる女の幽鬼。忘れたふりはできても、本当に忘れられるはずはないでしょうから)
 彼女の気配が常にまとわりつき、気が休まる瞬間などないだろう。
「では、ごあいさつだけ」
 香蘭は夏飛と一緒に朱雀宮に向かうことにした。

「まぁ。香……じゃなかった、蘭楊!」
 途中、そんなふうに声をかけられ香蘭は足を止める。自分の正体を香蘭と知るのは、隣にいる夏飛、そして命じた焔幽以外にはひとりだけ。
「雪寧さま! ご無沙汰しております」
 応える雪寧の笑顔はどこか硬い。
(なにかあったのでしょうか。雪寧さまの笑みは、いつも可憐な一輪の花のようですのに)
 香蘭は彼女の周囲をキョロキョロと見回す。
「おひとりですか」
 あまり権力がないとはいえ雪寧は公主だ。供もなしにひとりきりとは珍しい。
「えぇ。このところ寝不足で……疲れてしまったから少しだけ気分転換」

 気持ちはよくわかる。心を許した女官や護衛であっても常に誰かの目があるのは疲れるものだ。高貴な人間だって、ひとりになりたいときもある。それは構わないが、寝不足は心配だ。
「大丈夫でしょうか。このところ幽鬼が出るなど、夜はなにかと騒がしいですからね」
 香蘭は気遣うように彼女の顔をのぞく。たしかに、顔色があまりよくないし少し痩せたようだ。もともと大きな目がさらに強調された印象になっている。