「幽鬼ではなく、人間に襲われたんじゃないのか?」
 焔幽の冷静な意見に香蘭もうなずく。幽鬼が出るといううわさが流行っているなかで夜に怪しげな人影を見ればそう思い込んでも不思議はない。
「ですが、本人があれは絶対に人ではないと。生きている人間とは思えぬ土気色の顔で足がなかった。恐ろしく鋭利な爪で切りつけられたと主張しています」
「……ふむ」
 香蘭は夏飛に顔を向ける。
「琥珀宮の人に話は聞きましたか? 誰か怪しい人物を見たとかは?」
「ちょうど今、行ってきたところなんです」
 夏飛はズイと身を乗り出し、仕入れてきた情報を報告する。

「女官のひとりがその幽鬼を目撃していたんですよ。彼女もまた、土気色の皮膚で足がなかったと証言しています」
 となると、被害者の思い込み説を主張するのは苦しくなるだろうか。
 夏飛は首がもげそうなほどに大きくひねって、つぶやく。
「実体のない幽鬼が人を切りつけるってありえるんでしょうか」
「呪い殺すとか生気を奪うとかそういう話は聞いたことがあるが、作り話なのか事実なのかはっきりしないものばかりだな」
 焔幽も悩ましげに眉根を寄せた。
 香蘭はきっぱりとした口調で言った。
「たいていの場合、人を傷つけるのは生身の人間でしょうね。もし実行犯が幽鬼なら……裏に妖術師がいるはずです」