なんという卑劣な女だろうか。最期の瞬間まで、彼の心をムチ打ち続けた。もうとっくに、焔幽の心は修復不可能なほどボロボロだっただろうに。
「それについては俺も偉そうなことは言えない。今でも……長兄の死を幸運だったと思っているからな」
 そんなことで鬼のような女と焔幽は同列にはならない。そう言いたかったが、さまざまな感情が頭をグルグルと回り言葉にならなかった。これは怒りだ。香蘭は今、猛烈に腹を立てている。

 焔幽はふっと、いつもの彼らしい表情を取り戻した。
「こういうとき、女とは美しい涙を流してみたり、そっと寄り添ってみたりするものじゃないか?」
「……涙は悲しいとき、もしくはうれしいときに流すものです。怒り狂っているときには出てきません」
 香蘭の肩は小刻みに震えていた。
 泣きそうな顔で彼は笑う。悲しいのだろうか、それともうれしいのだろうか。
「お前のそういうところが……俺はわりと好きだ」

 この話はおしまい。そう示すように彼は前を向いて歩き出す。
(忘れられませんが、忘れたふりをしましょう)
 彼の過去には二度と触れまい、香蘭はそう決意した。

 互いに何事もなかったかのように、予定どおりに公主李蝶の宮に寄った。
 一風変わった事件の報がもたらされたのはその日の夜更けのことだった。