序章

「あぁ、蘭珠(らんじゅ)。私を置いていかないでくれ。頼むから……」
 数多の神仙(しんせん)の加護を受け、朱雀(すざく)の化身と謳われる『瑞国(ずいこく)』皇帝陛下にいつもの威厳はない。頬はげっそりとこけ、力なくうなだれている。周囲の目もはばからず彼が流す大粒の涙が、皇后蘭珠の頬に落ちた。
 寝台に横たわるは瑞国皇后、()蘭珠。死の淵にあってもなお、その美貌は輝くばかりだ。緩やかに波打つ髪はこの国ではえらく珍しい白銀色。まっさらな新雪を思わせる肌、穏やかに細められた瞳は極上の蒼玉(そうぎょく)、唇は瑞々しい果実のよう。神の筆と称される絵師でも蘭珠の美貌だけは再現できないと、人々は彼女をたたえた。

 蘭珠が中級貴族の生まれにもかかわらず皇后にまで昇りつめられたのは、この美貌ゆえ……では決してない。男に生まれていれば大臣の座は間違いなかったであろう知性、護衛が失職すると大慌てになったほどの武芸の腕前。もちろん妃嬪としての資質も疑うべくもない。詩歌、楽器、舞、おまけに(ねや)でのあれこれも……千年にひとり出るか出ないかというレベルの完璧な妃に、皇帝は夢中になった。
 我が身よりも彼女が大切と言わんばかりの寵を注ぎ、蘭珠はいつしか『千年寵姫』と呼ばれるようになった。

「どうして! 神よ、どうして私から蘭珠を奪おうとする?」
「奪われるなど。わたくしはいつまでも陛下のものですわ。今世はもちろん、来世もその次もです」